原稿執筆の依頼を頂くことは、ありがたいことです。
そのテーマについて書きたいな、と元から思っていても、実際に原稿を完成させることはそれほど容易なことではありませんが、 執筆を第三者から依頼されて書く場合、難しい場合も多いです。
この年末年始にいくつか原稿の目鼻を整えますが、その一つは「社会との関わりを大切にしているあなたに書いてもらいたい」という程度の縛りで執筆依頼が来ました。
何を書いてもよい、という依頼ですが、現時点の私にいただいたチャンスだと思い、考えた結果、「コンクリート工学における技術の社会実装」というタイトルでチャレンジしてみることにしました。未熟者であるが故、原稿執筆は自身の考えを整理することになり、また自身の奥底に潜んでいるものを引き出すことになり、またもちろん勉強も必要になるので、大変に貴重な機会です。
実装、という言葉は重く、技術の社会実装、などというよく分かったような分からないような大きなテーマを設定してしまいました。
人間は、自分の経験したこと、勉強したこと以上のことを書こうとするとボロが出ますので、現時点での私の力量に見合った内容に落ち着くとは思いますが、着想の段階では自由度を持たせ、これまでの私が経験してきたこと、見聞してきたこと、を中心に着眼点を拾い出し、必要に応じて執筆とともに勉強し、書き上げていきたいと思います。
ブログも同様ですが、原稿執筆は着想が重要で、広げておいた着想のアイディア群をつなぎ、埋めていくように執筆していきます。
技術の社会実装は、私が生涯をかけて大切にしたいテーマの一つであり、まだまだ若輩ですが、現時点で書き得ることを残しておきたいと思います。原稿の冒頭に記しましたが、数十年後に、様々な経験を重ねた後に、もう一度チャレンジしたいテーマです。
コンクリート構造物の品質確保小委員会(350委員会)の年末の戦略会議が、徳山で行われました。恒例の青山での戦略会議でした。
この日まで無事にたどり着けるのだろうか、と不安に思う日もないではなかったですが、何とかかんとか年末までスケジュールをこなし、26日(土)の14時過ぎに山口宇部空港に到着。2台の車でいくつかのボックスカルバートを見学して、徳山に向かいました。高度成長期に造られたカルバートの傷み具合は凄まじく、近年造られた山口県のカルバートとの差異は明瞭でした。現在、様々な事案が世間をにぎわせていますが、公共事業の品質確保の重要性を改めて認識し、これまでの取組みをさらに力強く、発展、展開していく必要性を共有しました。
青山での、二宮さんの博士論文の発表練習、いくつかの話題提供、350の戦略会議は和やかに楽しく、熱く続けられ、新年に向けても様々な方針や目標が設定されたように思います。
田村先生からの萩焼のプレゼントは、「同志」の箱に入っており、萩焼の名匠の作品だそうです。翌日の2時まで、熱い議論が続きました。
27日は、徳山港から大津島まで高速船で渡り、回天の記念館等を訪れました。人間魚雷と言われた回天について多くを知りませんでしたが、この国を護ろうとした若者たちの思いに胸を打たれ、涙が溢れました。先人たちが護ろうとしたこの国が、様々な面で壊されていく様子は今を生きる後輩として忍びなく、同志たちと連携して、できることをやっていこう、と改めて決意する機会にもなりました。
日曜日の帰りの新幹線はほとんど寝ていましたが、一晩ゆっくり休み、今日からは子どもたちのお世話もしつつ、年末年始に予定していた仕事をゆったりした気持ちでこなしていく日々になりそうです。とてもとても手が回らなかった原稿類も片付いたり、書き始めたり、気分もよいです。
今日、28日が仕事納めで、午後は学生たちとの研究ミーティングがびっしりです。皆様、良いお年をお迎えください。
2015年の最終出張で山口宇部空港へ向かう機内で書いています。
2015年も終わろうとしています。2015年のスタートは、パリでした。私は2014年10月から日本での生活を単身で再開しました。浦和の実家に居候しての再スタートで、家族とは離れて、私の実家に支えられて、ほとんど休日の無いスケジュールで飛び回っていました。2015年の1月3日に家族でパリから帰国しました。私はすでに3ヵ月、日本で全力疾走していましたが、他の家族は日本での新たな生活のスタートに最初はとまどっていました。住居もゼロからスタート。私自身もなるべく出張は控え、家族がスムーズに生活リズムをつかめるよう、難しいながらも努力した記憶があります。
そのようなスタートで始まった2015年でしたが、娘たちも新しい環境に多大な努力とともに適応し、一層たくましくなったと思います。
私も5月ごろにかなりの不調に陥りましたが、何とか脱出し、自身の信条に基づいて研究、教育活動を展開してこれたように思います。
悩むこともたまにはありますが、人からどう思われようと、私自身が心底から大切に思う原則に忠実に行動することを心掛けるようにしています。そのように一歩一歩進むことにより、一見時間のかかるように見える取組みが、思いがけない出会いとともに急に展開したり、私の気づかないところで大きく根を張っていたり、と勇気づけられる発見が今年もいくつもありました。
いつになっても未熟であるので、勉強し、チャレンジのしがいがある。でも、少しずつ成長し、あるレベル以上に到達した能力があれば、それらを活用して社会に貢献する。なるべく社会への貢献の質と量の向上を目指す。
人を育てる、ということも非常に大事なことで、私の中でも重要性がさらに増してきているミッションであると思っています。元来、人を育てる職業なわけですが、私のようなスタイルの研究者ですと、関わる人の数が膨大です。響き合って一緒に仕事をできる方々に対しては、その方々が伸びるような環境整備に少しでも貢献できるように行動する。人が育つ、ということはおそらく何よりも大切なことであろうと思います。2015年は、私に近い何人かの方々から、「以前より、大分、人を育てよう、という意識が高くなったね」と言われました。今後、この傾向はますます強まるものと思います。
2016年も様々なチャレンジが待ち受けていると思いますが、同志たちと切磋琢磨しながら誠実に前進していきたいと思います。
いろいろと企画されていますので、意欲の高い学生は応募してください。
1. 1/18(月)および2/1(月)のショーボンド建設の現場、研究所の見学会
2. 1/18(月) 首都高 横浜環状北線の現場見学(シールド切り開き、トラス橋等)
3. 1/25(月) JR東日本 研究開発センター 見学会
4. 3月6~10ごろの数日間で、台湾の烏三頭ダム(八田與一)の見学等を企画中。
今日で何とか、2015年の講義がすべて終了しました。
私の講義の負荷はほとんどが年度後半に集中しており、10月以降はなかなかに厳しいスケジュールが続きましたが、とりあえず一息です。
講義には、300名の受講生を相手に毎週300枚のレポートの採点ものしかかる「土木史と技術者倫理」や、英語で講義を行う大学院の講義が二つ、等も含んでおり、結構タフでした。しかし、講義は学生もそうですが、結局は教員が最も鍛えられると思っています。土木史の講義もそうですが、大学院の博士課程の学生たち(全員留学生)6名との講義でも、私自身も鍛えられるように講義設計しています。
その講義では、英語の教科書数冊を題材に、私も勉強したい章などをピックアップして、輪講を行っています。輪講では、全員の理解度を深めるための良質の質問が鍵になります。良質の質問に答える努力をすることで、一人で勉強していたときに比べると、格段に理解度が増すことを、優秀な学生は心底から納得しているようでした。輪講は、議論に参加している人間の実力が暴露されます。また、私も勉強対象の教科書を事前に100%理解する必要はなく(もしくはできず)、良質な質問を提供して、議論を重ねることで、私自身の理解も格段に向上します。
省エネで、教育効果の高い方法、とでも言えるでしょうか。
いずれにせよ、年内の講義が終わりました。
溜まっていた原稿も、先週末や昨日の天皇誕生日からようやく執筆できる状態になり、26~27日の山口県徳山出張で年内の出張も終わりです。あちこち飛び回った一年でした。
28日が仕事納めで、一日研究室にいて、学生たちと研究の議論をしようと思っています。
29日からは、原稿執筆の日々になると思いますが、それもまた楽し。花粉によるアレルギーがひどくなっていますが、体調管理も万全に行きたいと思います。
私のブログによれば、10/29(木)に、次女と百人一首を覚え始めた、とのことです。
覚えるのは必ず、朝の通学時。朝、私と一緒に歩いて通学するときは必ず一つ覚えるようにしています。今朝、19個目の歌を覚えました。「難波潟みじかき葦のふしの間も・・・・」です。
10/29以降、次女と一緒に通学した朝が19回目だった、ということも意味しているかと思います。出張が多く、朝の講義等で一緒に通学する余裕の無いときもありましたが、20個が近づいてきました。
次女は楽しんで覚えているようで、年末年始に長女も含む形で百人一首のかるたを25枚程度でやることに意欲を燃やしています。
柔らかい頭に、日本の伝統、文化を入れておく。洗練された日本語を、若い頭に染み込ませておく。とても大切なことだと思います。
まだ先の道のりは長いですが、1年以内に100番までたどり着けるよう、朝の通学を一緒にできる時間を確保したいと思います。
年末年始のかるた、楽しみ。
もはや日付も曜日も明確に意識できない状況で、組まれたスケジュールを確実にこなしていくしかなく、何とか3週目の金曜日までこぎつけました。
今週が2015年師走のピークだったように思います。今日は、午後から西湘高校という小田原の近くの鴨宮にある学校で、「世界最大の自然災害大国日本に住む日本人に必要な防災文化と、土木工学の役割」 というタイトルにて2時間の授業を行います。小中高で授業をする機会がいつの間にかとても増えていますが、とてもとてもありがたい話で、今日も将来を支える若人たちに、夢や希望を持ってもらえる授業に全力を注ぎたいと思います。
昨日まで、怒涛でした。
16日(水)は三陸国道事務所にて100名規模の勉強会。聴講者はすべて、国交省と国交省の業務を支援する方々でした。民間(施工者)の方々も聴きたい、という方々が多かったそうですが、会場に入りきらないのでお断りせざるを得なかったとか。次回は、施工者も含んだ大勉強会をする必要がありそうですね。
1年前にもほぼ同じ時期に、三陸国道事務所で勉強会がありました。でも、今回は、三陸国道の所長からの直々の依頼が、南三陸国道事務所の佐藤所長にあり、我々も応援する形で実現しました。押しかけではなく、依頼されて、は大きく違います。
勉強会では、三陸や南三陸の事務所の監督官も発表し、実構造物のデータや情報も飛び交い、学の発表者も実構造物のデータ等をふんだんに織り交ぜた話題提供が続き、1年の進歩は極めて大きいことを実感しました。三陸にも熱気が伝播していくことでしょう。今後が極めて楽しみです。
17日(木)は宮古から車で南下し、南三陸国道事務所へ。その過程でいくつか現場を視察したり、既存のトンネルの歩道を歩き、劣化の実態を議論しました。ますますモチベーションが高まりました。
17日(木)の午後は、南三陸国道事務所にて、トンネル覆工コンクリートの品質確保の手引き、原稿の改善の議論。3時間、集中的に議論し、最後まで目は通せませんでしたが、非常に良い議論ができたかと思います。あと何度か、打ち合わせを重ねて、年度内に形を仕上げることを目標にしています。
極めて先進的な、実効力を持つ品質確保の手引きが二つ、形になろうとしています。これは、私たちが以前から、心からやりたいと思っていたことであり、産官学の協働で実践しています。
くたくたになって昨夜、帰宅し、ぐっすり眠ることができて、今日はかなり回復しています。
西湘高校での授業の後、大学に飛び戻って大学院博士課程の少人数の学生たちに英語での講義を行い、バタバタと打ち合わせ等の予定が入っていますが、今週が終わります。夜はある学生からのリクエストがあったので、ゆったりと食事をしながら、進路等の相談に乗ります。アドバイスすることが私たちの仕事ですから、遠慮なく活用してもらえればと思います。
溜まりに溜まった、原稿執筆作業や、原稿の添削作業、事務作業に、ようやく着手できそうな状況にこぎつけようとしています。いろいろお待たせしてご迷惑のかかっている方々もおられますが、もう少しお待ちください。。。
今週末から、もりもり仕事しようと思います。
やや体調を崩している長女と、昨夜、今朝とコミュニケーションしました。
体調を崩しながらも回復途上にあるため勉強を頑張ろうとしている長女を励ましましたが、勉強の気分転換にある本を読んでみたら、と薦めてみました。
私のこのブログは、これまで三冊、本として自家出版してきました。発行部数は極めて少数ですが。
出版していない最近の部分を本にすると、さらに三冊くらいのボリュームは溜まっているように思います。この年末にでも、第4巻~6巻までを発行することにしました。
長女に、「細田暁のブログ③」で、子どもたちが登場するエッセーを読ませてみたところ、非常に面白い、とのこと。
自分の父親が書いた文章に、自分たちが登場していて、それが本になっているを読む、というのは斬新な経験のようです。
人間とは、お互いに何を考えているのかを知ることは簡単ではありません。夫婦であっても、親子であっても、簡単ではありません。
私のブログは非常に多くの方々に読んでいただいており、ありがたいですが、長女に読んでもらう、というのも特別なことのように思います。
私が何を考えて生きているのか、子どもたちや家族にどのような気持ちを持っているのか、を文章で読んでもらうことは、今後の長女とのコミュニケーションのあり方にも影響を及ぼすかと思います。
早く体調を回復して、充実した年末年始を送りましょう!勉強も頑張ってね!
昨日は、鞆の浦で楽しい一日でした。
鞆中学校の国語の授業で、とても先進的な取組みが実現しています。
中学校1年生の国語の授業で、学習指導要領での位置付けは、第1学年の【話すこと・聞くこと】の中の、「日常生活の中から話題を決め、話したり話し合ったりするための材料を人との交流を通して集め整理すること。」と、【書くこと】の中の、「段落の役割を考えて、文章を構成している。」になります。
国語の毛利先生が授業を設計し、私が支援しながらダイナミックな授業が展開されています。毛利先生とは知り合って2年目になりますが、新婚旅行でパリに来られたときに、当時のパリの我が家にも遊びに来てくれたお友達です。これまでも教育について熱く語り合ってきましたが、ようやくこのような共同プロジェクトとして結実しつつあります。
今回の単元名は「調べたことを報告しよう」で、全7回のシリーズになります。
毛利先生の指導のもと、生徒たちが話し合ったり調べたりして、防災に関するテーマにうち、生徒たちが土砂災害、地震、火災、について調べることを決めました。自分たちの生活に深く関係する、興味のあるテーマを選んだことになります。これらのテーマが私に知らされ、私は生徒たちの参考になる情報をパワーポイントで毛利先生に送りました。
生徒たちは、本や、インターネット、私の送った情報等から多くの情報を得て、自分たちの疑問点を話し合いながら整理していきます。
生徒たちの質問が私に事前に送られてきました。
そして、いよいよ私も登場する第4回目の授業(12/11(金))となりました。私は鞆の浦に向かう新幹線の中で、生徒たちの質問に上手に答えられるよう、準備をしておきました。
毛利先生の作戦で、二つの隣り合った教室を使うことになりました。
毛利ルームでは、調べたことを防災新聞にまとめ上げていくための授業が展開されています。全18名のクラス(当日は2名欠席)は、4つの班に分かれてこれまでも調査してきましたし、これから新聞記事をまとめていきます。土砂災害A、土砂災害B、地震、火災、です。
もう一つの取材ルームでは専門家(細田)に各班が取材をします。それぞれの班が交代でやってきて12分ごとの持ち時間。「本当の取材では、○○新聞の△△です、と名乗ってからインタビューを始めるんだよ」などと私も説明したり、私も大学の名刺を班の代表者に渡したり、とかわいい生徒さんたちもすっかりその気になって、インタビューをしていました。」
私は生徒たちの質問にはしっかりと答えましたが、それ以外にも重要な視点や、考え方、情報などをたくさん伝えました。
生徒たちはたくさんの情報を持って毛利ルームに戻って、新聞記事にまとめるための見出しや、内容などについて話し合いました。
今後第5回目以降、毛利先生の指導のもと、手作りの防災新聞が創り上げられていきます。新聞は間違った情報を発信してはいけないので、新聞の内容が固まってきた段階で、原稿が細田研究室に送られ、評価、チェックをすることになっています。
自分たちの調べた情報が新聞という形にまとまり、専門家の評価、チェックも受けた完成度の高いものになる。そして、その新聞を使って地元のさくらホームなどでプレゼンをしたいね、という話になっています。
ごく普通の国語の授業で、このようなチャレンジングな取組みもできます。素晴らしいと思います。年明けには同じ中学校で、理科の3年生の授業でチャレンジすることになっています。どうなるでしょうか。
昨日は9:30ごろから18:00ごろまでほぼ休憩時間もない状況で講義、打ち合わせ、等が続き、日中が終わりました。
日頃の疲労も蓄積しているのだと思いますが、3限の学部の講義が終了した後は、あまり頭も働かない状態で研究の打ち合わせにいくつか対応しました。
18時ごろになると、抱え込んでいる仕事の量やスケジュールを想像して気が重くなり、帰宅することにしました。
帰宅後、夕食を食べ、子どもたちとも少しコミュニケーションしましたが、長女の塾の算数の問題(ニュートン算)の解き方を聞かれても、頭が働かず、ちょっとだけアドバイスをすると長女が自分で解いて正解していたので救われました。
起きていても無駄だし、翌朝は福山へ向けて早朝に出発する、ということで早めに寝ました。
かなりぐっすり寝ることができ、出発前に日課のテレビ体操もしっかりと行い、体調とともに気力も戻りました。睡眠の偉大さに感動しますし、健康がすべてといって決して過言ではありません。
前日は仕事に対してもげんなりしておりましたが、今朝は、新幹線の中で、17日の南三陸での打ち合わせに向けて、「トンネル覆工コンクリートの品質確保の手引き」の叩き台の添削を行うなど、仕事もはかどっています。
今日のメインの仕事は、鞆中学校での国語の授業です。鞆中学校で国語の先生が中学1年の国語の授業で、防災をテーマとした実験的授業に取り組みます。全7回の第4回目が今日で、私も専門家として登場します。生徒さんたちが時間をかけて準備した質問にインタビュー形式で答えていきます。最終的には生徒さんたちが防災新聞を作ります。
全く何も無い白紙の状態から、国語の先生と私とで相談を重ねて、このような実験的授業にチャレンジしています。昨年度までは、私が、特別授業、総合的学習の時間などを活用させていただいて防災授業を行ってきたわけですが、今年の「教科」の中で取り組む、しかも国語で、というのは新しい、やりがいのあるチャレンジです。
当たり前のことを重ねてきた結果、このような普通ではないチャンスにも恵まれるようになってきました。本当にありがたいことですので、感謝の気持ちを常に忘れず、私のできる貢献をしていきたいと思います。
今日の夜は、中学校の校長先生お二人と、現役の若い先生お二人と、横国防災研究チームとで、懇親会の予定。いつも楽しい懇親会となるのですが、楽しみです。
大学の教養科目として300人を相手に「土木史と技術者倫理」の授業をしていると、あきれ返るような事態に遭遇します。土木、建築だけでなく、様々な学部からも受講に来ているためです。
この私の講義で、しかも、先週、講義をストップしてまで、バカモノの私語を注意し、さらに昨日、講義の冒頭で「講義と関係ない私語をしていた人は迷惑でした。どうにもできない自分がもどかしかったです。注意してくださってありがとうございました」という学生のレポートの記述も紹介した直後に、この私の講義で(繰り返してすいません)、私語をしていたバカがいたのですが、さすがにあきれ返りました。
階段教室を、その学生の近くまで登って行って、「よくこの私にケンカ売る気になるね。名前何ていうの。」と問いました。名乗っておられました。。。今後、レポートを読むのが楽しみです。。。バカモノの相手をするだけ時間の無駄なのですが、邪魔者なので仕方ありません。この先の人生、苦労するでしょうね。私の知ったこっちゃありませんが。
また、この講義は教科書がないと成り立たないので、50冊程度、私が自腹で立て替えて購入して初回の講義で配布しました。その教科書を受け取った学生の半分程度、教科書代をまだ支払っていない、とのこと。最終的に支払わないままトンずらする輩もいるのでしょうか。泥棒と一緒ですね。
もちろん、優秀な学生はどの時代にもいるし、この講義の受講生の中にも極めて優秀で、高い意欲を持っている方々も少なくありません。彼ら、彼女らのまっすぐに伸びようという気持ち、レポートににじみ出ていますが、それが私の心の救いです。
私語を止めないバカものには本当にあきれましたが、しかし、この講義をしていると、大学生のレベルの低いことに唖然とします。この国は終わるね。
私にできることは、YNU都市基盤(土木)での教育なので、あきらめずに頑張ろうと思います。
今朝は4時半に起床して、次女と私のお弁当作成。次女も大好きな、豚肉ロースでシソと梅肉を巻いて焼いたものがメインのおかずです。
さすがにこの時期は厳しく、出張も多いので、書類作成や原稿執筆、講義の準備等を回していくだけで精一杯です。10月に入ってからあまり原稿を書けていませんが、現在指を折って数えるだけでも片手を超える原稿が溜まっているので、年末年始はいそいそと原稿執筆や学生等の論文の添削に励む期間になりそうです。
今週終盤の11日(金)は、鞆の浦の鞆中学校にて、国語の先生の授業の中で防災をテーマにした新しい授業のチャレンジが始まっており、私も授業に専門家として参加します。全7回の単元で、最終的には中学校1年生の生徒たちが防災新聞を作成する、というものです。生徒たちが話し合って選択した、地震、火災、土砂災害というテーマについて、先ほど、私がこれまで蓄積してきた情報を、担当の先生に送りました。それらの情報も適宜活用してもらいながら、生徒たちの議論が進み、専門家への質問を準備していくようです。私が登場するのは、第4回目くらいの設定になっています。最終的に、どのような防災新聞が出来上がるのか、またこの新しい授業が、来年度以降、どのように展開していくのか、とても楽しみです。
鞆中学校では、年明けにも理科の授業で担当の先生が防災の授業にチャレンジするのを私が支援する予定になっています。
来週の18日(金)の午後には、西湘高校でも高大連携の一環として私が授業を行うことになっており、ここでも防災、土木工学について授業をする予定です。
私の防災に関する研究活動はまだ体系的にはなっていませんが、少しずつ種まき、実践が進んでいる状況です。焦らず、実践を重ねていくつもりです。
一方の、本業の、コンクリート構造物の品質確保、耐久性確保についても、今週の9日(水)は福島河川国道事務所での勉強会、来週の16日(水)は三陸国道事務所での勉強会に登壇します。 こちらは慣れた仕事ですので、現場での実践が少しでも良い雰囲気で前進していくよう、私にできる役回りをしっかり努めたいと思います。17日(木)には南三陸国道事務所で、トンネル覆工コンクリートの品質確保の手引きの議論です。重要な仕事が続きます。
限られた時間で仕事の準備をし、回していくしかないので仕事の質を高めるのが容易ではありませんが、これまでの蓄積の活用と、わずかな時間でも上積みをする努力を重ねるしかありません。
あと3週間、一息付けるまで、師走が続きます。
さあ12月に入りました。
私はほとんどの講義科目を秋学期に抱えているので、普通にしていても忙しいのですが、まあ次から次へと降りかかってきて、土日も休める日はありません。今年は27日の日曜日が山口県の徳山にて公式スケジュールの仕事納めになりそうです。 12月は国内出張ばかりで、大阪、岡山、福島、鞆の浦、三陸・南三陸、神奈川の鴨宮、新東名の現場、徳山、で終わりそうです。
昨日は、YNU21という会合の第6回目と、懇親会でした。
今年度から横浜国大は長谷部学長の体制となりました。我々のような平教員と学長が直接お話をする機会はほとんど無いのですが、このYNU21は学長、学長補佐と、いくつかのルートで選抜された20名弱の教員の懇談会です。毎回、2名の教員がこの大学を良くしていくためのアイディアを、自分の研究活動とも絡めながら提言するプレゼンを行い、議論する、というものです。その結果を、YNUの将来ビジョン、提言として取りまとめる予定だそうです。
大学のすべての領域から中堅・若手の教員が選抜されていますので、話題も多岐に渡り、いろいろと勉強になったり、驚いたり、共感したり、と楽しい会合になっています。もちろん、毎回、学長先生がおられます。
私の話題提供はまだ終わっていないのですが、昨日は懇親会もあり、参加した全員が一言スピーチしました。私は以下のような発言をしました。
「私の最も大切にしたいことの一つに『実践』があります。実践する、ということは真剣に現場の問題を解決する、ということなので、専門の力だけではできません。自然に文理融合にならざるを得ません。個人が文理融合的になることが、大学の中に連携や大きな流れをもたらすことになると思っています。とにかく実践を重ねていくことでこの大学に少しでも貢献したいと思っています。
また、今日の話題提供でも出た『文化』というキーワードにも共鳴しました。当たり前のこと、素敵なことが、普通になされるような文化がこのYNUに築かれていくようになるといいな、と思います。ぜひ、YNUの将来の文化についてたくさん議論していければと思います。今後ともよろしくお願いいたします。」
このYNU21は、参加者の皆さんもおっしゃっていますが、参加するのが楽しみな、学内では稀な会議です。若干の組織の変更はあってもよいかもしれませんが、ぜひ継続的に設置していただければな、と思います。