細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

2020年の総括

2020-12-31 13:26:39 | 人生論

とんでもない1年が終わろうとしています。2月末に、学校が休校になることを聞いたときはさすがに驚きましたが、その後、丸3ヶ月以上、二人の子どもの学校も休校となり、異常な数ヶ月でした。我が家に関しては、コミュニケーションも増え、食事のレパートリーも増え、悪いことばかりではなかったと思いますが、それにしても異常でした。

4月から、大学の土木系の主任教授となりました。過去、2年間の任期のポストなので、2021年度まで、これまでのように出張で動き回る仕事のやり方はできないかな、と思っていましたが、コロナの状況となり、そもそも動けなくなりました。会議もほとんどすべてオンライン、講義もオンライン、というこれまた異常な状況に陥りましたが、YNUの土木の教員やスタッフの方々はとてもよく働いてくれるので、一つ一つ課題を解決しながら、何とか2020年の終わりまでたどり着くことができました。私自身は6月ごろから出張ができるようになり、結果的には、社会が制約された状況ではありますが、それなりに研究のための国内出張を行うことができました。

変な表現ですが、私にとっての「青春」が終わり、次のステージに入ったのかな、と思っています。20代の最後にJR東日本で実務経験を積み、30代の10年間は、YNUで自由にのびのびとやらせていただきました。研究者としてもあまりにも未熟な状況でYNUに助教授として赴任し、学生たちにも迷惑もかけたようにも思いますが、でき得るチャレンジを同僚や後輩たちと重ねてきたように思います。YNUに赴任してからちょうど10年が経過した2013年10月から、1年間のフランス滞在を経験させていただきました。これも大きな1年間でした。そして、2014年9月末に帰国し、山口システム・東北システム関連の仕事で日本中を飛び回る時期が続き、2018年7月に教授となりました。そして、2020年4月から土木系の主任教授を拝命しました。

未熟者ゆえ、ある意味怖いものなく、ひたすらチャレンジし、駆け回ったのが青春であった、とすれば、一つのターニングポイントは、2020年4月であったように思います。

五十にして天命を知る、とも言いますが、まだ私自身の天命を明確に覚る状況には至っていないように思います。自分自身の得意とするところや、ぜひ貢献したいところ、チャレンジを重ねたいところ、などはもちろん見えてきていますが、天命というにはもう少し時間をかけて熟慮したいと感じます。熟慮するようなものではないのかもしれませんが、あと数年ありますので、自分の原則に従って日々を重ねていく先に自然に覚るものなのでしょうか。

あまり無責任に放り出すことは許されませんが、私自身は、研究能力が適切なレベルを満たせなくなった場合、すぐにでも現在の職は辞そうと思っています。という意味では、2020年は、研究能力、研究テーマ、という点でも改めてもがき始めた年であったようにも思います。品質確保、耐久性確保、ひび割れ抑制等でまい進してきた青春時代については、それはそれでよいものの、この先、青春時代を終えた研究者として、どのようなテーマに研究者としての人生をどのように捧げていくか、ということを真剣に熟考するタイミングに来ていると感じています。青春時代のテーマを極めることも重要、ということを念頭に置いた上で、よく考えたいと思います。

土木学会のコンクリート標準示方書の施工編の改訂部会の幹事長を拝命したことも、自分にとっては転機の一つのように思います。示方書の改訂作業には、2012年版のための委員会から関わってきましたが、今回は幹事長ということでより全体を把握したり、深く理解したり、他編との連携等の役割もあり、より多くの時間を割く必要があります。改訂部会の主査の綾野先生を始め、改訂部会の活発な議論からも、非常に多くのことを学ばせていただいており、2023年の発刊へ向けて、施工編の将来を担う気持ちで努力したいと思います。

2020年は、社会状況が異常であったので、私自身としてはとにかく無理をしないで、大きな波のないように、自己コントロールするよう努めてきました。とにかく睡眠をしっかりと取ることを心がけました。10月以降は、毎年繁忙期となりますが、運動の量を例年より減らし、無理をしないようにしました。そのため体重も例年の同時期より数キロ増えましたが、まずは無事に乗り切ることを目標にしていたのでよしとします。

2020年を楽に乗り切れた人はほとんどいないと思いますが、私自身も悩んだ時期もありました。2020年度の序盤に、仏教の教えに大きく支えられました。大愚和尚の動画での教えや、著書も読み、以前から少し興味のあった仏教に大なる興味を抱くきっかけにもなりました。所詮、自分でコントロールできると思う時点で不遜であり、自然の摂理を悟り、それに則って生きていけるようになるのが今の私の望みです。

小さなことですが、肌荒れが改善しました。元々肌が弱いのですが、数年前までは比較的良好な状態を保っていましたが、数年前から肌荒れがひどく、悩みの一つでした。時々行くスーパー銭湯で、重炭酸の入った人工温泉の風呂に浸かると肌の調子が良くなることを踏まえ、日常の風呂でもその効果を利用できるとよいと思い立ち、11月の上旬から毎日、入浴剤を使用し、明らかに肌の調子が改善しました。2ヶ月使用し、自分には合っているようなので、自分自身のメインテナンスメニューに加えようと思います。

自宅でもオンライン会議、打ち合わせ、講義がほとんどなので、自宅での仕事スペースであるキッチンでの環境を快適にするため、仕事用のチェアーを新調し、足を温めるための簡易コタツ(足用)も購入し、ほぼ常に足を温めながらオンラインの仕事をしています。どうせオンラインの仕事に拘束されるのであれば、体調や心の調子を健全に保ちつつやり抜こう、と開き直りました。

オンラインでの講義のやり方は教員としてはほぼ確立できましたが、やはり学生たちがかわいそうに思います。オンラインの方が効果が上がる面ももちろんあるのですが、人間の本来のやり方、あり方、生き方に反するオンラインツールに過剰に頼ると、大きなしっぺ返しを食らうと思います。一日も早く、通常の日常が戻ることを祈念しています。

研究室の指導学生たちも苦労していると思いますが、全般的にとても頑張ってくれていると思います。ポスドクや学生の皆さんと有意義な研究活動を重ねていくことで、社会へも貢献していけると思っていますので、彼らが高いモチベーションを持って研究にまい進できるよう、特に10月ごろ以降、研究指導においても少しモードを入れ替えて取り組んでいるつもりです。

年末の12月29日から2泊で、私の実家(浦和)に来ました。なんと、父親と会うのはほぼ1年ぶりで、このような状況をもたらしているコロナ社会状況を改めて恨めしく思います。ウォーキングを日課としている父親と、29日、30日と二人でウォーキングしました。久しぶりに実家で和やかな時間を過ごし、日常や家族の意義をしみじみと感じました。

年末年始も留学生たちは研究を頑張ってくれており、実家滞在中も、投稿論文の添削や講義レポートの採点をゆったりとやりました。本日大晦日も10時から研究打ち合わせを一件しました。ゆったりした時間の中で追い立てられずに論文執筆・添削や、講義のレポートの採点、自分の勉強をするのは心地よく、年明けの1月が危機的な状況にならないよう、年末年始の日々は仕事とリラックスを上手に両立したいと思います。よりクリエイティブでエネルギーを必要とする仕事を溜めており、明日の元旦から少しずつ着手したいと思います。

とりとめのない内容になりましたが、年明け後、3ヶ月、2020年度末までを無事に、かつ充実して乗り切ることで精一杯になると思いますが、少しでも我が国にとって良い一年になることを祈念しますし、私自身はできることをやろうと改めて決意します。


情報の怖さ

2020-12-30 07:56:56 | 人生論

今年は、ほとんどすべての人にとって、コロナ禍なるものが最大のニュースであったのだろうと思います。そして、このコロナ騒動をほぼ1年間見てきて、改めて人間がいかに情報に踊らされているか、操作されているか、強いて言えば洗脳されているか、ということに怖ろしい思いを抱きます。

1年前、まだコロナと騒ぎ出す前、2019年10月の消費増税により、経済は激しいダメージを受け、2019年10~12月のGDPは、大きく低下しました。安倍政権の10年にも満たない期間に2回も消費増税したことや、2019年10~12月のGDP低下はこれだけでも大変なことなのですが、情報に操作され切った国民は何とも思わない人が大半のようでした。多少GDPが下がったところで、多少消費税が上がったところで、自分にはあんまり関係ないや、というレベルなのかと思います。実際は、平成に入ってからの消費税3%から5%への増税を契機に日本はデフレに突入し、怖ろしいレベルの「破壊」を重ねてきたのですが、もはや「家畜の安寧」とでも呼ぶべき状況で、「見えない」のですね。

消費税に代表される、いわゆる「財政問題」「財政破綻」「緊縮財政」といった問題は、じっくり時間をかけて確実に社会を破壊してきたわけですが、なぜこんなにも続くかというと、ほとんどの国民が賛成しているからです。上手に騙され、賛成してしまっているのですね。少し話せば、賛成している(嘘に騙されている)人か、そうでない人かはすぐに分かりますが、ただ街を歩いてすれ違うだけではその人の財政に関する考え方は分かりません。

今年のコロナは、結局は財政破綻問題と構造は同じ、というのが私の結論ですが、より性質が悪い。

コロナの場合は、命の問題でもあり、自分自身の命にも関わるとほとんどの人が思っているので、よりヒステリックになるし、ほぼ全員が過剰な関心を持ちます。そして、多くの日常の行動にも表れるので、街を歩いてすれ違っても、その視線で考え方も分かってしまう。「自粛警察」なるものが最たるものでしょうか。そして、あえて言いますが、ほとんどの国民が「騙されて」行動した結果、社会を破壊していきます。財政破綻問題に比べると、もっと個々人が強力に行動するので、社会へのダメージもさらに強力になるでしょう。

そして、コロナ問題について、真実と思われる情報を共有しようとしても、もはや聞く耳も貸さないし、会話も成り立たない。田舎に帰省しようとする人が拒絶される、という状況があちこちにあるようですが、心の底から世も末だと感じます。(こう書くと、「何を言ってるんだ!」と罵声が飛びそうですが、それくらい世の中が洗脳され切ってますね。)

我が国は、緊縮財政により徹底的に破壊され、それだけでも息の根が止まる、と私などは思っていましたが、さらに強力なコロナ騒動により、奈落の底まで叩き落されそうですね。テレビ、スマホ、など便利なモノに人間が「頼りすぎる」と、人間自身がダメになり、社会もダメになる、というのは火を見るより明らかだと思いますが、情報により操作された社会だからこそ、逆に、正しい情報が広まることによってしか復活もないのではないかと思います。

自分自身が「正しい」情報を取得する努力を重ねることと、少しでも周囲に共有すること、議論すること、しかできません。


少人数ゼミ「人間学とリーダーシップについて考える」の受講生のレポート

2020-12-29 13:02:48 | 教育のこと

学部3年生を対象としたこの少人数ゼミも長年続けてきましたが、今年は初めてのオンラインでのゼミでした。
「7つの習慣」を共通図書として読むことを前提にしたゼミですが、とても有意義な議論ができたと思います。以下、基本的に提出順に、学生たちのレポートを紹介します。

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一人目:金井 大樹

「ミッションステートメント」

「7つの習慣」を読み、細田先生と同じゼミの仲間との議論を通して、自分なりに考えた今の時点での自分のミッションステートメントとそれらの基となる原則を以下にまとめる。

「健康」
・運動を習慣化し、食事に気を使い、規則正しい生活を送る。

「貢献」
・ユーモアを忘れず、何事も楽しむ姿勢でいることで、世界(自分自身と周囲環境)をポジティブな環境にする。
・今まで育ててくれた両親に恩返しをする。

「誠実」
・感謝を忘れない、それを伝える。
・助言を素直に受け入れ、自分の間違いを素直に認める。
・欠乏マインドに支配されない、自分を豊かさマインドで満たす。
・表面的なもので他人をジャッジしない。

「成長」
・Put myself out of my comfort zone. 
・リーダーとして、優しさの中に必要な厳しさを発揮する。
・テレビやSNSに時間を無駄にせず、読書など知性を磨くことに時間を使う。生産性のないような飲み会の誘いなどは断る。
・指示待ち人間にならない。自分の頭で考え、まず行動に移す。
・多様性を大切にする。みんな違ってみんないい。

今回のゼミを通して、今までの自分の行動原則の中で、継続すべきもの、変えていきたいもの、そして、新たな自分になるために加えるべきものをしっかり言語化することができた。自分の中にあった、なんとなくもやもやした自分の行動原則を言語化することで、自分のやるべきことがはっきりした。どれも簡単なことではないが、できることから一歩ずつ始めていき、それを継続していくことで、ここにあるすべてのミッションステートメントを達成している人になる。そして、その日々の中での気付きから、このミッションステートメントに一層の磨きをかけていく。

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二人目:長田 朋樹

「私のミッションステートメント」

スティーブン・R・コヴィー著の「7 つの習慣」における第 2 の習慣「終わりを思い描くことから始める」では、自身の葬儀の場面で親戚や友人など周りの人々が自分のことをどのように語ってほしいのかを考えよ、とあった。「終わり」とは、まさに人生の終局のことを指し、長期的な視点に立って人生について考える有効な手段であると思う。

私は細田暁教授のセミナー「人間学とリーダーシップについて考える」では、同じ学科の仲間 6 名と細田教授とともに 7 つの習慣についての議論を交わし、メンバーたちの価値観や考えに触れ、多くのことを学ばせていただいた。今回はその集大成として、第 2 の習慣にあった「ミッションステートメント」を自身の考える正しい「原則」を中心にまとめていく。

その際に一つだけ断っておきたいことがある。それは今回公表するミッションステートメントは今後変化したり、付け加えられたりすることがある可能性が高いということだ。仏教の教えによれば人間は「無常」であるという。人は常に移り変わる生き物であり、今日の自分と明日の自分が全く同じということはなく、日々考えや価値観はちょっとずつ変化しているそうだ。私もこの 10 年間で多くの出会いと出来事に揺さぶられながら大きく変化してきたと感じる。なので、今後も時間の流れとともに、様々な経験を通して変わっていくのだと思う。

今回このような形で、私のミッションステートメントを公表させていただくが、とても良い機会を頂いたと考えている。なぜなら、自身のミッションステートメントを公表することによって、周囲いらっしゃる方々と、そして将来の自分と約束することが出来るからだ。

前置きが長くなってしまったが、2020 年 12 月現在、20 年と 9 か月を生き、横浜国立大学都市科学部都市基盤学科 3 年次に属している長田朋樹が考えた自身のミッションステートメントを書いていく。

1.主体的にコミュニケーションをとる。
「communicative」という言葉がある。これを辞書で調べると「おしゃべりな、話好きな」という解釈が出てくるが、実際のところこれはあまり正確ではないらしい。この単語の意味は「積極的にコミュニケーションをとる姿勢のこと」を指す形容詞だそうだ。コミュニケーションというからには、相手の話を聞き、解釈して、自身の考えを述べる、といったプロセスがそこには存在する。ちなみに「おしゃべり好きの」という英単語は「talkative」というようだ。これらの英単語は私がフィリピンの UST に留学した際に、現地でできた友人から教えてもらったものだ。

自分が進もうとしてしている道や、実際に進んでいる道の先を行く人たちの話を聞くことはとても価値のあるものだと考えている。新たなことを学べたり、自身の考えや想像が違っていたと気づくことができるからだ。その際に主体的にコミュニケーションをとるという姿勢が大切になってくる。「主体的な」というのは「周りの環境や人に依存せず、自身の考えや思いに従って行動する」という意味が含まれている。正直なところ、私は内向的な側面があるため、初対面の人と会話するときはかなり緊張するうえ、話し方もぎこちないものになってしまいがちである。しかし、私はそんな自分自身を肯定的に捉えていて、大切なことは誠実に相手の話を聞き理解しようとする姿勢であり、巧いコミュニケーション術を用いたり馴れ馴れしい話し方をすることではないと考えている。時として、そのような社交性も必要になってくることは理解しているが、器用な性格をしていない私はとりあえず聞く姿勢を徹底しようと思う。「talkative」ではなく「communicative」でありたい。

2.心を尽くす
この「心を尽くす」という言葉は草薙龍瞬著「反応しない練習」という本から引用したもので、私はこの言葉が好きだ。「心を尽くす」とは、他人の目や評価を気にすることなく、最高の「結果」を出すために「無心」で目の前の物事に取り組むことである。その「物事」とは、自分のためか、相手のためか、はたまた社会のためか、その対象はなんでも構わないが、最終的には自分自身が「納得」できるようになることが目標であることを理解する。

3.体の健康と常に良いコンディションを保つ。
幸いなことに、私は今までに大きな病気をしたことがほとんどなく、基本的に健康に過ごすことができた。それは、両親が食生活に気を遣ってくれたからだと感謝しているが、私自身もこれまで多くのスポーツに取り組み体を動かしてきた。大学生になった今では、基本的にサイクリングとランニングをしており、ランニングの方では週に最低でも 40km は走るようにしている。社会人になると今のように今のように毎日走ることは厳しくなるかもしれないが、それでも最低週 2 回は本格的に走りたいと考えている。習慣的に運動をし、しっかりと睡眠をとることで、日々のコンディションを整え、万全の状態で作業に取り組みたい。

4.多くの人々の小さな幸せに貢献する。
土木工学を英語で表すと[Civil Engineering]となる。この土木工学ないしインフラと呼ばれるものは他の工学や産業と比べて大きく異なる点が一つある。それは、この工学は貢献する人々の規模が壮大でかつ、基本的に平等であるという傾向にあることだ。例えば、自動車産業や電子機械産業では、その人の経済力によって購入できる製品の品質がことなる。経済力のある人はブランドものと呼ばれる値の張る自動車やハイテクの恩恵とも言えるその時代の最先端の技術が用いられたスマートフォンや PC を購入することが可能である。しかし、橋や道路などのインフラストラクチャーは使う人を選ばない。裕福でも、貧しくても、どんな人種、国籍の人でも必要とあらば皆、平等にそれを使う。まさに、「市民のための工
学」だと思う。しかし、これらインフラが個人個人を急激に幸せにすることは少ないだろう。

いつしか、そのインフラがそこにあることが当たり前になり、毎回毎回使うたびに幸せをかみしめるひとも少ないだろう。しかし、私はそれでも良い。私の現在の専門は土木工学であるが、その社会の人々の生活水準が一つのインフラによって少しだけ向上した、その小さな幸せに貢献できることを私はきっと将来誇りに思う。私は徹底的な利他主義のもと、多くの人々が利用するインフラの品質の向上に努め、この社会を豊かにする。そして、この社会の不均衡を少しでもなくしたい。

5.常に学び続け、進化する。
2019 年 12 月、「地震防災都市論」という授業で担当であられた前川宏一教授は次のように言った。「学問は人生を豊かにします。」

これは、授業中に何気なく放たれた、たった一つのフレーズに過ぎなかったのだが、私の中に深く突き刺さった。なぜなら、当時私はなぜ自分は今学問に励んでいるのかということに、度々疑問を持ってきたからだ。今学んでいることが、将来に役に立つからだ、ということはなんとなく頭の片隅で理解していても、「では、今はただの準備期間に過ぎないのか」や「本質的に今しなければならない理由はなんだ」などと考えていた。前川先生の「学問は人生を豊かにする」という言葉は、「なぜ今学問に励まなければならないのか」という疑問に対する一つのヒントを与えてくれたように思う。学問に励み、知識やスキルを身につけることは、将来的に社会に貢献できる機会を増やしているのと同義であり、岸見一郎・古賀史健共著の「嫌われる勇気」でも「人生における幸せとは、貢献感である」とあることからも、学問は人生の幸せに繋がるだろう。しかし、こ
の学び続けるプロセスそのものが人生を豊かにすると私は思う。もちらん、知的好奇心を満たすことが快楽であるという側面もあるが、貢献できる可能性に向かうことが希望になりえると感じているからだ。

私は学問にとどまらず様々なことを学び続け、成長したい。それは将来のためだけでなく、今この瞬間を充実させるためである。そして、その模範となって多くの人々に学びの機会を与えたい。

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三人目:佐藤 真希

「インサイド・アウトの概念を見つめる」

『今まで、大学生だから生活の経験値や人生の知識をあまり知らなくても大丈夫〜みたいな甘んじた感覚があって そういう感覚は 例えば美術館に行った時に(絵画の知識がないから)何も得られなかった時や、常連になりたくて行きつけているバーで 周りの大人の話をただ聞くことしかできない時とかに 自分に大打撃を与えてくる。大学は年齢より学年重視と思っていた今までの考えが 最近覆されてきた。高校同期が社会人になったこの春、もう自分は23だという事実を噛み締めて もっともっと教養を深めたい』

大学2年の夏頃から大学外での交流が多くなり、刺激があり楽しい反面、自己喪失的な感情もふつふつと抱いていた。『7つの習慣』の言葉を借りると、「関心の輪」ばかりが広がり、対して「影響の輪」はそのまま、あるいは縮小してしまっていた状態であった。上の文章は、その頃自分の誕生日にSNSに投稿したものである。

また、時間管理に関する4つの領域には「重要度」と「緊急度」が要因としてあり、「緊急でないが重要である」領域が、最も人生構築の礎になるという。今年は例年と大きく異なり、自宅でほとんどの時間を過ごした。その「おうち時間」を活用して、「緊急でないが重要である」事柄、つまりそれは影響の輪を広げる絶好の機会でもあるが、それらを行う時間は十分にあったはずである。しかし思うように時間をマネジメントできず、苛立ちが募ることもしばしばあった。

このゼミに参加しようと思ったきっかけは、これらの心情からだったのかもしれない。自己形成につながる何か、内面の変化を渇望していた。『7つの習慣』の中でも、特に印象に残った内容がある。それは、刺激と反応の間には、選択の自由が存在するといったものである。具体化すると、人間は、自分の身に起こったことに傷付くのではなく、その出来事を容認する「選択」をしたことに傷付くということである。つまり、人間を人間たらしめるものは、決して広義のobjectではなく、自分自身の人格なのである、と解釈したい。他人の価値観や社会の価値基準でもない。そのため、自分を形成するために整えるべきなのは環境や刺激ではなく、繰り返しになるが、自分自身の内面なのである。これには、原則や自身のミッションステートメントに従順に倣って過ごす必要がある。

太宰治が著書『津軽』で自身の専門科目が愛であると述べているように、彼にとっての原則は愛なのかもしれない。メンバーとの議論の中でも、原則についての考え方は特に白熱し、しかし同時に難しいものでもあった。私はここで、原則を「専門科目」と名付けていることに共鳴した。原則は確かに普遍的で絶対的な法則であるかもしれないが、それを人生をかけて探求しているというアプローチは、決して間違ってはいないと思う。天高いところ(あるいは中心の奥深いところ)から、ぐっと身近に感じられるような気がする点も個人的に気に入っている。

冒頭の投稿文を書いてから、あと数ヶ月で一年が経つ。生活の経験値や人生の知識、教養、そういったものを貪欲に吸収したいという決意は変わらないが、まずはインサイド・アウトの概念がしっかり核として「ある」ことを自覚する。そして、このような機会を得たことと、議論を重ねたメンバーに感謝する。

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四人目:橋野 大智

「個人のミッションステートメント」

今回の少人数ゼミではスティーブン・R・コヴィー氏の『7つの習慣』を読み、その内容などについて議論を行った。4回の議論中、私は必修授業の関係で2回しか参加できていないが、その2回で感じたことや学んだことを基にレポートを書きたいと思う。

・ミッションステートメントについて
この講義を受けて、私が2回の講義を受けて考えたミッションステートメントについて書く。ミッションステートメントを考えるうえで、まずは自分がなりたい人物像として「常に成長し続ける人」と考えた。私は議論を通して人として素晴らしい生き方とは自分以外の人間と関わりながら、人の考えや意見を吸収し成長し続ける人であると思ったからである。

そのうえで、自分の人生の軸ともいえるミッションステートメントの内容と、決定した理由について述べたいと思う。

➀無知を恐れず、常に行動する。
これは、私が尊敬する人物からは恐れる姿勢を感じないからだ。土木に関わる偉人は皆、自分から学び、苦しい状況でも恐れず常に積極的に行動している。人間は体の成長は20代で止まるが、頭は死ぬまで成長することが出来る。常に成長することで自分という人間が磨かれて行くと思う。

➁物事を後回しにしない。
これは物事を後回しにすることで人間的に衰えてしまうと考えたからである。「後でする。」という言葉は危険であると思う。人間は忘れてしまう生き物であるため、物事を後回しにすると、約束事も忘れ、嘘をつくなど、人格的な成長を妨げてしまう。物事を後回しにしないということは人格を成長させることに必要不可欠であると思う。

➂当たり前に感謝する。
人間は一人では生きてはいけない。本を読むという行為も本を書いた人、印刷した人など他人が関わっている。それらの人に感謝する心がないと自己中心的な人になってしまう。当たり前の日常に感謝することを忘れず生きることで人間らしくなれると思う。

➃素直に生きる。
素直に生きるとは➀に似ているが、人から言われることにまず否定から入らないことである。ゼミで議論する前、私は自分と考えが違う人を否定してしまう傾向があった。しかし、議論を行っていく中で、他者の考えや意見にもなるほどと思うことが多く、自分の行動を変えるきっかけになったからである。他者の考えや意見も否定しないことで時分も成長できると考える。

⑤適度に運動する
これは➀~➃のミッションステートメントを行うために必要であると考えたからである。体が健康であれば心の余裕もでき、ミッションステートメントも行いやすくなると考えた。病気であればミッションステートメントを実行できないというわけではないが、心と体のバランスを整えることも私の経験上、重要であると感じたからだ。

以上、4つのミッションステートメントを決めたが、これは生きている間、継続し続けなければ意味がない。一日でも怠ってしまうと成長を止めることになり、一気に衰えてしまう。私はこれからの長い人生の間、上記の4つのミッションステートメントを、何をする際も意識する。

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五人目:江田 隆太

国際基盤工学実習 少人数ゼミ 『人間学とリーダーシップについて考える』最終レポート

1. 全体を通しての所感
今回の少人数ゼミでは「7つの習慣」という本を通じてその中で述べられていることに対しての疑問点や反論などについて共有し、議論をするという形で行われました。

本の中に登場する重要なキーワードとしてパラダイムシフト(それまでと異なる視点・観点から物事を解釈するということ)という言葉がありますが、このゼミはまさにパラダイムシフトの連続であったと思います。今までの人生で自分は自身の価値観や人生観などについて人と話し合うということをほとんどしたことがありませんでした。そんな中で今回のゼミでは各々が持つ価値観や人生観について話し合うことによって自分とは違う考え方・ものの見方をしている人の話を聞くことができたとともに、話し合いを行うにつれて今まで自分自身でもあまり気付いていなかったような自分の根底にあるような価値観とも向き合うことができ、今後の生き方を考えていくうえで非常に有意義な時間を過ごすことができたと感じています。

2. 私のミッションステートメントについて
4回のゼミを終えて、現時点においての自分のミッションステートメントについて考え、まとめてみました。この場を借りて1つずつ紹介していきたいと思います。

 おもしろくないことをおもしろくする
これは自分が思う「頭のいい人」の共通点を考えたとき、多くの人がこれに当てはまっているのではと感じたことです。これを持っている人は自分の成長にも周りの人を笑顔にするのにも役立てることができると思います。身の回りのありふれたことに面白さを見出し、それを人に伝えることができればいつも周りの人に笑顔を与えることができます。勉強においても、ただ与えられたことをこなすだけでなく、その分野の面白さを見つけることができればより深い理解ができ、どんどん新たな分野へと学びを広げていくことができると思います。

 結果だけを求めすぎない
これは本の中にあった「影響の輪の中にあることだけに取り組む」ということを自分なりに解釈した結果生まれた項目です。例えばテストの点などは自分の努力次第でいくらでも良くも悪くもなると思います。しかし対人関係などでは、どれだけ自分が相手のためを思って行動したとしても必ずしも相手が望んでいた反応をしてくれるとは限りません。仕事などに関しても学校のテストとはわけが違い、社会の状勢などの不確定要素が多く絡んでくると必ずしも自分の努力だけでは結果が付いてこないこともあるかと思います。本の中の言葉を借りると結果というものが影響の輪を出てしまう状況があり得るということです。このような場合は自分が望んでいた結果が出なくともそれに固執することなく、ある程度「しかたないもの」と割り切ることも大切であると思います。結果だけを重視していると「これだけやってあげたのにお礼の一つもないなんて恩知らずなやつめ」「今回うまくいかなかったのは部下が無能なせいだ」などたいていの場合は他人に責任押し付け、人間関係の悪化につながってしまいます。あるいは必要以上に自分を責めてしまう人もいるかもしれません。そのため結果というものに固執しすぎることなく、そこに至るまでに自分が何をしたかということを大切にしていきたいと思っています。

 当たり前を疑う
これにも2つの面での意味があります。1つ目は世の中でいわゆる「常識」として扱われているものに対して、簡単に鵜呑みにすることなく自分で本当に正しいのかをよく考えるということです。世の中にはありとあらゆる「常識」があふれていますが、それは多数派の意見であるというだけで必ずしも正しいといえない場合もあります。いつの時代においても新しいものを生み出していける人は「常識」を疑い、それにとらわれることなく違ったものの見方をできる人であると思います。自分も同じような視点を養い、世の中を変えるまでは至らなくとも自分やその周りの人の人生を豊かに変えるための土台とできればよいと思っています。

2つめの意味としては何事にも感謝を忘れないということです。「ありがたい」は漢字で書くと「有り難い」となります。つまり有ることが難しいというのが本来の意味です。一方「有り難い」の対義語が「当たり前」になります。人は生きていくうえでいろいろな場面において他人の世話になっています。しかしそれを「当たり前」であると思ってしまうと感謝の気持ちというのはまず生まれてきません。どんなに小さな事であっても、いままで「当たり前」だととらえていたことも「有り難い」ことだったと気づくことによりたくさんの人・ものに感謝をすることができると思います。良い人間関係を築くうえで感謝というものは必要不可欠であると思うのでこの姿勢を大切にしていきたいと思っています。

 無敵
自分はとても負けず嫌いな性格であると思っています。仮にこれを対立に勝ち続けることによって解決しようとしたなら勝ちが重なるごとに次に負けるのが怖くなり、根本的な負けず嫌いという性格は悪化する一方になっていくと思います。そうなるとしまいには周りの人がすべて敵に見え、とても良好な人間関係を気付くことはできないことでしょう。そこでそもそも対立というもの自体を避け、相手との協力を大切にしていこうという考えです。「最強」にならなくても「無敵」になることはできます。敵をつくらなければいいというだけです。要するに「戦わなければ負けない」ということになります。この考え方は第4の習慣「Win-Winを考える」、第6の習慣「シナジーを創りだす」とも共通する部分があると思います。他人と対立しそうになった時も、いったん冷静になり相手の立場を考え、協力していくことでより大きな成果を生み出すことができます。

3. まとめ
たった4回の集まりでしたが、社会人になる準備段階のこの時期に改めて自分の生き方などについて深く考える場は非常に有意義なものでした。個人的な事情になりますが自分は今年から編入学してきたばかりで対面授業もなかったため大学の同期生と話すという機会がほとんどありませんでした。そんな中で今回のゼミでは同期の仲間たちと率直な意見を交わし合い非常に楽しい時間を過ごさせていただくことができました。

また、リモートで行われたことにより実際に集まってだと気恥ずかしくて言えないような意見も言いやすくなった気がしたため(自分だけかもしれませんが)、リモートでの議論の意外なメリットも気づくことができました。

最後になりますがこのような貴重な場を設けてくださった細田先生、そしてともに有意義な時間を作り上げてくれた同ゼミの仲間たちにこの場を借りて感謝の意を述べさせていただきます。

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六人目:安達 洋輔

「自己の存在・思考 -人間学とリーダーシップについて考える」

「人間とは考える葦である」とは、あまりにも有名なパスカル「パンセ」のフレーズであるが、思考こそ人間を人間たらしめるものであると私は思うのである。だが現代において、真に思考のみに対して割ける時間を、他者から与えられることは滅多にないのではないだろうか。

自由な時間は個々人に選択を強い、選択に次ぐ選択は思考力を鈍らせていく。漂流する人生は安楽であろうか。それでも私は満足な豚より不満足な人間でありたいのだ。

ゼミの最終回から自分のミッションステートメントと向き合いつつ、一度ゼミの内容から離れ、2週間がたって再びメモを見返した際に沸き上がったのが上に記した数文であった。

思考しながらの会話は非常に難しいが、それゆえに価値がある。困難を克服することはいつでも甘美な幸福だ。今回のゼミでは有意義な対話が行われたように思うが、思考体験をそのまま文にすることは不可能である。代わりにその痕跡として私が自身に課したミッションステートメントを記したいと思う。
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本質的な新しさを追求する
・先人への敬意を続ける
・変化への好奇心に目を向ける
・圧倒的なインプット、圧倒的なアウトプット

考える
・今、動く
・身体の健康は精神の健康に、精神の健康は身体の健康に
・視野を広く、視点を遠く

汝自身を知れ
・積極的な余暇を作る
・意思に基づいて行動する

遺す
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私は私自身に、「私」であることの意味を与えたい。本質的な新しさとは私自身が常に私であるのに必要なことだ。今回のゼミでは実体のない霞のような印象に過ぎなかったこうした思いに、絵の具の乾ききっていない絵のような形が与えられた、そのように思う。

コロナ禍、見えない未来は不安を呼び起こす。自由な生活は遠いかもしれない。しかし思考はいつでも自由でいられるはずだ。空間的制約は今回のゼミのように稀有な精神活動を励起するかもしれない。


コロナ2020の師走

2020-12-19 17:56:56 | 人生論

前回のエッセーから随分と時間が空いてしまいました。

師走に入ってから特にスケジュールがタイトになり、過去に自分が経験した極めて忙しい時期に比べるとまだ余裕はあるものの、あまり無理をしたくないという意識もあり、しっかりと睡眠時間は確保しながら乗り切ってきました。いつのまにか年の瀬も迫り、波乱の2020年も残すところ10日あまり、今日は土曜日です。

異様な1年だったと思いますので、ちなみに(参考までに)師走の今週がどのような一週間であったかを記録しておきます。

12/14(月)に始まった今週は、一度も大学には出勤しませんでした。講義・会議系がほとんどオンラインでなされることと、出張が少しあったことによります。

14日(月)の朝一番は、過去ずっと続けている学部3年生用の「人間学とリーダーシップについて考える」の少人数ゼミの最終回でした。今年は6名の学生が受講してくれ、オンラインで4回の議論でしたが、非常に楽しい、有意義な、深い議論にまで踏み込めたゼミであったと思います。受講してくれたメンバーが良かったのもあったと思いますし、主体的に議論を活性化してくれたのもあるでしょうし、私もベストを尽くしました。年末にこれらの学生からのレポートが提出されますので、このブログで公開したいと思います。このゼミもいつまで続くのか分かりませんが、大切にしたい教育の場、です。

14日の午後は、共同研究での技術開発のミーティングのため都心へ。技術開発は、これまで私も少なくない数に関わってきましたが、今回の案件はその中でも困難でやりがいのあるものです。私も多くを学ばせてもらっています。少しでも貢献したいと思っています。

15日(火)は、朝一番で、研究室の教員3名(前川、細田、藤山)と10月に新しく入ってきたドクターの留学生2名の研究テーマについての5名でのミーティング。これもオンライン。このような全員でのミーティングは過去行ったことがありませんが、とても新鮮でした。研究室のメンバーが非常に多くなると、コミュニケーションが粗になってしまう箇所も出てくるのですが、意識的に密度を高めるべき箇所があることを今回も学びました。

15日の午後は、仙台での会議。東北地整の品質確保(NATMトンネル覆工コンクリート)、耐久性確保(RC床版)の手引きの改訂の議論。私の研究チームの成果の還元もなされますし、もちろん議論から多くを学ばせていただいております。雪の仙台。日帰り。

16日(水)は在宅勤務。終日、オンライン会議でしたが、有意義な一日でした。朝一番の研究室ゼミでは、ポスドクの2名が発表。コンクリートの火災による爆裂に対して、ポリプロピレンなどの合成短繊維が効くことは知っていましたが、そのメカニズムがこれまで言われてきたことが全く間違っていた、ということを知り、やはり研究の面白さ、メカニズムを明らかにすることの重要さ、などを学びました。

16日は様々な種類の会議が続き、教授会の後、土木の教員の短いミーティングを行い、その後、また研究室の教員3名で議論。前日のドクターの学生のテーマ設定について、前川先生からご提案があり、コンクリートの舗装をテーマとして、私と一緒に指導しよう、とのこと。これまで前川先生との共著の論文は少ないですが、「最後に細田さんと一緒にやりたい」と言っていただき、とても意気に感じました。エチオピアからの優秀な女性の学生ですので、私も大変に楽しみにしています。

17日(木)は、またまた在宅勤務。秋学期の木曜日の講義はこの日が最後、ということで、耐久設計・耐震設計を教える大学院の講義(英語)を午前に行い、昨年度立ち上げた「メインテナンス工学」(学部3年)を午後に行いました。大学院の英語での講義は、なるべくディスカッションも取り入れつつ、私が研究や実務で学んできた哲学を学生たちになるべく伝える努力をしています。この日は耐震設計の初回で、わが国の鉄道の耐震設計・耐震補強のエッセンスを伝えました。学部の講義では、NEXCO中日本のエンジニア(三井さん)に、トンネルのメインテナンスを軸にご講義いただきました。

17日の夜は、研究室の忘年会。これもオンライン。幹事の中山君の工夫で、Zoomでのブレイクアウトルームという機能を使い、5つくらいの小部屋を作り、メンバーをシャッフルしてそれぞれの小部屋での会話を楽しむ時間を作ってくれました。初めてこの機能を使いましたが、とても楽しく、2回の小部屋トークセッションも挟み、1時間半で、学生たちからのスピーチや、教員からのスピーチもあり、YNUコンクリートチームに属している幸せを感じた時間でした。

18日(金)も在宅勤務。2つ、留学生と研究ミーティングをしてから、10:30より土木史の講義。今年は、土木史の講義もオンラインで行っており、講義スタイルは変えず、オンラインでの講義システムもすでに確立されました。例年と違うのは、手書きのレポートを講義中に提出させるのではなく、その日の夜10時までにオンラインでレポートを提出してもらうシステム変更しましたが、学生たちのレポートが素晴らしく、私もとても刺激を受けています。中には、お母さんと一緒に講義を受けてくれている学生もいるようで、オンラインならではの効果でしょうか。学生のレポートに紹介されていた図書を私も購入するなど、相互のやり取りがかなり高いレベルで実現できているようにも感じます。

18日は昼休みも会議で、13時からは建設マネジメントの大学院生用の講義の聴講。建設マネジメントの第一人者の草柳俊二先生が講師で、コーディネータが前川先生という超豪華布陣。今年度で草柳先生が引退されるので、来年度からは前川先生が主担当で引き継ぎ、私もサポートに入る予定ですが、その後はYNU土木でこの講義をどう運営していくか、分岐点となります。13時~18時まで、留学生が聴講生で、母国では役人を務める学生も少なくないため、ディスカッションも濃厚で、私も大変勉強になりました。さらに、18~19時15分は、学部3年生の平野君の主催のオンライン見学会。この日は、OGの大成建設の鈴木三馨さんがゲスト講師で、女性技術者としての働き方、土木偉人かるたを含む広報活動、最近従事している3Dプリンティングの技術開発、など盛沢山で楽しい時間でした。

そして、本日19日(土)。午前に、指導している3人の卒論生の研究指導ミーティング。それぞれ別のミーティングでしたが、進捗状況もそれぞれでしたが、今日のミーティングは私もとても楽しく、進捗状況に応じたアドバイスがたくさんできたように思います。これからの数か月間、どのように進展していくか、それぞれ楽しみです。

といった感じで、今週は一度も職場に出勤できなかったのですが、それなりに?充実した一週間でした。

今年度は土木工学教室の主任教授を務めており、いろいろ学ぶことも多い一年でしたが、一年の振り返りにはまだ早いので、あと10日余り、まずは2020年をしっかり生き切ることに専念したいと思います。。。