細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

CDGにて

2014-05-31 03:52:32 | フランスのこと

CDG(シャルル・ド・ゴール空港)に早めに着いて、日本行きのフライトに乗るのをくつろいで待っています。

フランスに渡航してからの単身での日本出張は今回が4回目になります。


最初の出張は2013年の10月末でしたが、これはまだ家族の生活が全く落ち着いておらず、ホテル暮らしの日々でしたが、私の母にアシストに来てもらい、10日強の日本出張をさせてもらいました。

2回目は1月下旬から2週間の日本出張で、学生の研究も最終版を迎えていたこともあり、また大雪騒動などもあり、非常に密度の濃い出張でした。

この2回目の出張にパリから出発するときにとても不思議な、初めて味わった空港での感覚を今でもはっきりと覚えています。パリにホームグラウンドがあり、しかし日本という私の故郷への出張で、しかも私の自宅はない。とても不思議な感覚でした。

3回目は3月末から1週間強で、これも寸分の隙も無いタイトなスケジュールとなりましたが、免許証の更新も無事にでき、最終日に研究室の歓迎会にも無事に参加でき、パリに戻って留学の後半戦をスタートしました。

今回の4回目は、不思議な感覚はもはやなく、10日間の日本出張と、その後に続くノルウェーでの国際会議を無事に乗り切れるか、ふつふつと闘志が湧いて来ている状況です。出国前にできる準備はほぼ完ぺきにしたつもりですが、帰国直後からも新幹線の切符の手配やら、事務手続きの対応も含めて、一つ一つを着実にこなしていくしかありません。6/4の釜石でのレクチャーの準備もあと一息ですが、機内での仕上げになるかと思います。月末が締切りのコンクリート工学誌の原稿「品質確保と人」(仮題)も機内で気分が乗れば加筆したいと思います。

実は、あと一回、5回目の日本出張を8月上旬に予定しています。指導学生の博士論文の最終審査がありますので、それを絡めて最後の日本出張にする予定です。

その日本出張の前に、パリからのナイジェリア出張が入ることになりました。ナイジェリア人の指導学生の修士論文の内容に関連して、ナイジェリアの下水道インフラの状況を視察、調査することになります。

8月末には、トルコに遠征して、第三ボスポラス海峡橋、イズミット橋の建設現場の見学をする予定で、大きな出張としてはこれで打ち止めになりそうです。私のまさにやりたいようにやらせていただけているのは周囲の多くの方々のサポートによるものであり、心より感謝いたします。

いよいよ、貴重な留学生活も残り3分の1に差し掛かり、しっかりと終わりを見据えながら、悔いの残らないように過ごしたいと思います。

まずは、日本行きの機内を充実させ、到着直後に始まる指導学生(留学生)の指導をしっかりと行うことからです。


日本出張へ

2014-05-30 16:26:12 | 研究のこと

今夜から日本出張へ出発します。

今回は、両親が入れ替わりでパリに来ているので、実家を一応の拠点にはしますが、ほとんど日本国内を飛び回っています。東北の5泊の出張もありますが、ほとんど転々と移動するので、一つは洗濯の問題があります。日本国内の業務ではスーツを着用しませんので、着替えを多く持っていくこと、何とか隙間を見つけて洗濯をすることでしのぎたいと思います。

日本出張後、ノルウェーの国際会議も連続した、二週間以上のタフスケジュールとなっているので、荷物も多く、出張には慣れていますが、準備、段取りがやや大変です。

日本国内の出張も、6/10の成田出発までほぼまったく隙間の無いスケジュールを設定できましたが、本格的な現場調査も多く含まれるので、現場の予定もあり何度もスケジュールが変更になりました。結果は、素晴らしいスケジュールとなり、今回は東北ではトンネルの覆工コンクリートについて理解を深め、議論を深めることになりそうで楽しみです。

今回も、多くの方々とコミュニケーションを重ねる旅になる、という意味ではいつもと同じです。6/4(水)は釜石の南三陸国道事務所で、80名程度の実務者の方々(産官)を対象に、品質確保のレクチャーをさせていただく時間もありますので、私にできる最大限のことをしたいと思います。東北の品質確保を、着実に前進、展開させることは極めて重要なことであると肝に銘じています。

多くの方々に支えられての出張になりますが、一つ一つの時間を大切に重ねていきたいと思いますので、私の段取りがまだ終わっていない案件もありますが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。


国際会議その2

2014-05-29 00:26:21 | 研究のこと

今日は5/28(水)で、参加しているデルフトでの国際会議の最終日です。

今回の国際会議は、"Ageing"がキーワードの会議で、第一回目です。年を重ねること。良いことも悪いこともあります。インフラだけが対象ではありません。

会議を主催したデルフト工科大学には最大限の敬意を表したいと思います。新しいことにチャレンジすることは大事で、Ageingの研究センターを立ち上げ、会議も主催したブロイゲル教授の先見性、リーダーシップにはいつも感心させられます。

また、今回の会議はものすごく参加人数が多いというわけではなかったこともあり、私も濃厚なコミュニケーションを多くの方々とできたのは、一つ前の記事にも記した通りです。私はあんまり国際会議の場で質問を活発にしたことはありませんが(もちろん、質問したことはありますが)、今回は2回、質問しました。これまでも遠慮してきたわけではありませんが、もう遠慮せずガンガン行くべき時期かもしれませんね。

さて、以下が本題です。

分野横断的な会議を企画することは素晴らしいし、その中で様々な交流も起こってくる可能性もある。しかし、やはり研究発表のレベルが低い、と率直に感じます。もちろん、高いレベルの研究発表はあります。私たちの土木工学の分野に限れば、日本の研究のレベルが突出しているのは明白でした。東大グループが参加していたことももちろん大きいと思いますし、先人たちのご努力もあり、コンクリート工学の分野の日本の研究レベルが非常に高くなったことが主要因であることは、これまでも感じてきたことです。

学会という場もいろんな場がありますし、今回の学会が代表的な学会とも決して思わないし、私もそれほど経験が豊富な方ではないのであまり大きなことを言うべきではないかもしれませんが、やはり国際会議の数が多すぎるし、一つ一つの会議の平均的なクオリティはかなり低くなっているのではないかと思います。

会議を開くことが目的になってしまっている方々がいるように思い、それも今の時代では致し方ないのかもしれませんが、やはり本来の目的が何であるのかに立ち返って、やるのであれば質の高い会議となるよう、努力するしかないのかと思います。

国際会議からでないと情報が入ってこない、という時代では全くないのですが、そういう時代の国際会議とはどうあるべきなのか、いろいろな好例も観察しながら、周囲の方々とも議論を重ねてみたいと思います。そのうち、会議の主催とかもやることになるでしょうから。

今日の会議の最終日は、午前はホテルにて小松さんの研究指導をみっちりと。その後、会議に出て、会議のランチをコミュニケーションしながらいただいた後、デルフトから電車で20分ほどのライデンという街に散策に出かけました。日本では有名な、フォン・シーボルトのミュージアムがあり、非常に貴重なシーボルトのコレクション(最上徳内作成(写した?)の樺太の地図もあった!)をゆったりと堪能し、シーボルトミュージアムの至近にあるライデン大学(日本学科がある)の本部をブラブラと散歩し、ビールを一杯飲んでデルフトに戻ってきました。ライデンの様子は、facebookで後ほどご紹介します。

さて、ホームグラウンドの日本への出張がいよいよ数日後です。今回も、いつも通り、相当に濃厚なスケジュールが詰まっていますので、楽しみです。


国際会議

2014-05-28 13:29:36 | 研究のこと

デルフトでの国際会議に参加し、2日目までが終わりました。

私の発表は初日に終了し、クリンカ細骨材を用いたモルタルについての研究で、私の研究活動の中では「小ネタ」?に位置付けられますが、それでもやはり地道に論文発表していくことは大事だな、と改めて感じました。国際会議のあり方にはいろいろと考えさせられることもありますが、きちんと研究発表もして、いろいろな方々と交流することは、いつになっても変わらず重要と思います。

今回は、渡仏後の初めての国際会議でした。研究所内でのワークショップ等はありましたが、正式な国際会議は初めて、でしたが、やはり新たな交流ができることは楽しいです。

事前には参加されることを知りませんでしたが、私の所属している研究所のトップの立場の研究者も来ていて、今回非常によくコミュニケ―ションできており、それだけでもよかったです。

前川宏一先生も来られていたので、合計5時間くらい話したように思いますが、非常に多岐に渡ってお話しさせていただき、これも日本ではなかなかできないことなので幸せな時間でした。



その他にも、初めて話した方々も多かったですが、参加人数が多くないので、それぞれの方々とじっくりお話ができた、というのが今回の印象です。もちろん、私の研究室の研究教員(助教)の小松さんはたまたまですが同じホテルに泊まっているので、朝食等も含めしっかりとコミュニケーションをしています。

さて、本日水曜日の夜にパリに戻りますが、一日置いて、金曜日の夜から日本出張です。

完全な研究出張なので、その段取りも慌ただしくいろいろな方々とやり取りして進めていますが、楽しみです。日本出張からノルウェーの国際会議に直行するため、種々の準備も大変ですが、きっとノルウェーの会議も楽しいでしょうから、張り切って準備したいと思います。


哲学

2014-05-23 16:12:57 | 人生論

フランスでの生活も3分の2が終わろうとしております。まだ3分の1あるので十分考える時間も残っています。

異国に放り出されるといろんな精神状況に置かれます。そしていろいろと感じます。

論文投稿作業も滞在中の重要な仕事なので、一歩一歩論文を作成して投稿し、査読修正対応なども進めています。

一つ、頑張って作成した論文が査読で落とされ、返却されました。私たちが心血を注いでいるコンクリート構造物の品質確保に関する論文で、山口県で開発された「施工状況把握チェックシート」に関するものです。初めて、建設マネジメントの分野に投稿しましたが、残念ながら査読で却下されました。

返却の理由もこれまでに経験したことが無いほど丁寧に書かれていました。内容に意義があるのは認める。思いもひしひしと伝わってくる。だが、ジャーナル論文という枠に収まっていない。というような趣旨でした。

今回の返却ほど、落胆しなかったことはありません。査読意見は参考にさせていただき、内容を少し改善した上で、別の論文集に投稿します。土木学会論文集の枠に収まらない(私の書き方が稚拙な面ももちろんあるのでしょうが)ようなので、社会技術研究会の論文集への投稿を考えています。それでもだめなら、インターネットで公開してもよいし、本を自費出版してもよいかな、と思います。とにかく、私たちは研究のための研究をしているつもりは無く、コンクリート構造物の品質確保、人財育成、ある意味での社会マネジメントに、地に足を付けて、心血を注いでいるつもりです。それが達成されるためには手段を選ぶつもりはありません。

上記の「思いがひしひしと伝わってくる」は「褒め言葉」でしたが、「主観が強い」等の批判を受けることもしばしばです。

研究者としては失格なのかもしれませんが、私の個性ですので仕方ありません。

「哲学」という言い方が適切か分かりませんが、Philosophyです。

思えば、私が出身研究室で学んだこともPhilosophyでしたし、その後のJR東日本の構造技術センターで学んだこともPhilosophyであったと思います。

研究者、教育者とはどうあるべきか。研究とはどうあるべきか。

技術者とはどうあるべきか。鉄道構造物の(計画)、設計、施工、維持管理、技術開発、規準類はどうあるべきか。 

などです。

そして、今現在も、山口県の品質確保システムや、東北の復興道路の品質確保システムなどでは、まさに同志たちとPhilosophyを日々語り合い、その実現に向けて心血を注いでいるのだと思っています。

正しいと信じる方向に歩んでいるつもりですので、周囲の反応がどうであろうと、一歩ずつ同志たちと歩み続けたいと思います。


ローマ人の物語 13巻

2014-05-16 18:02:21 | 趣味のこと

ローマ人の物語の13巻を読み始め、どっぷり浸かっています。

私が「ローマ人の物語」のファンであることをご存じの方は多いと思いますが、もちろん全15巻は読破していますし、全冊の平均で確実に2回以上、好きな巻は何度も読んでいます。

13巻は「最後の努力」というタイトルで、帝国が崩壊に向かう、帝政後期のある時代ですが、主人公はディオクレティアヌスと、有名なコンスタンティヌスです。

13巻は一度しか読んだことが無いと記憶していますが、読みたいと思った契機は、5/11(日)に一人で訪れた、グランパレで開催されていたアウグストゥスの展示会です。今年2014年は、初代皇帝アウグストゥスが亡くなってからちょうど2000年で、祈念の展示会がなされていました。とても秀逸で、あらためて古代ローマ帝国に興味を持ち、読み始めたのでした。

ディオクレティアヌス帝の頃は、ローマ帝国が蛮族の侵入や内部治安の劣化等により深刻な危機に瀕している時代ですが、四頭政というシステムをディオクレティアヌスが構築し、継続させるために法制化もします。アウグストゥスがカエサルの路線をしっかりと引き継いで構築した帝政システムの、実に300年後の大改革です。

もちろんディオクレティアヌスは最善を尽くしてやっていくのですが、人間のやることにはすべてプラスとマイナスがあります。また、カエサルの思想をアウグストゥスが固めていくわけですが、ローマの開放路線、かつての蛮族ですらも同化していくという、古代ローマ帝国のエネルギーの源泉とも言える考え方が、300年後には帝国の崩壊の引き金になっていきます。塩野さんも言われていますが、まさに諸行無常。

13巻を読んだのは10年近く前のようです。私にとってのこの10年は大きく、おそらく当時もそれなりにワクワクしながら読んでいたとは思うのですが、今の方が吸収力が違います。人間は、経験を積むことで視野も吸収力も広がるのだろう、と思っています。

まだ、ディオクレティアヌスの時代の半分が終わったところですが、13巻の後半では、キリスト教の振興に多大な貢献をしたコンスタンティヌス帝の時代が描かれます。非常に楽しみ。


新年度

2014-05-15 23:28:35 | 職場のこと

4月に新年度が始まったわけですが、もちろん今年度は特殊な環境で生活しております。

学期が始まると、講義が始まり、それはもちろん負担ではあるのですが、本業中の本業であり心身が引き締まります。今学期は私は講義は担当しませんので、まずその点が大きく違います。

研究室の学生たちの研究テーマの調整も後半に入っており、もうそろそろ研究テーマが定まります。昨年度、今年度と私たちの研究室を希望する学生が少なく、私のフランス渡航が関係しているのかもしれませんし、何の関係も無いのかもしれません。さらに、今年度は、研究室の中でも私の研究テーマの希望が相対的に少ないようで、いよいよ潮時?かもしれませんね(笑)。

とは言え、修士2年生を6名も抱えていますので、冷静に考えると修士1年生や学部4年生の指導学生は少ない方がよいのかもしれません。年度後半が火の車になるのは目に見えていますので。

というわけで、研究テーマの確定はもうちょっと先になるかもしれませんが、椿先生と比べて私の方が4年生5名のうちの指導学生が少なそう、ということは希望してくれている2名の指導をすることはほぼ確定、ということで早速研究指導を開始しました。多くの学生を抱えて自由放任にするよりも、たまには(久しぶりに)少数をしっかりと育成するというやり方も味わってみようと思います。学生にはどちらがよいでしょうか、ね。

Facebookには何度か紹介しましたが、大石久和さん(元国土交通省技監)の中公新書「国土と日本人」を読了しました。大変な良著で、信頼できる良質のデータに基づく深い考察と、世代としての反省、そして将来に向かっての勇気のある提言がなされており、読了後に力がみなぎってきました。

今年度、私と防災の研究に取り組むのは4年生1人だけになりそうですが、彼にもさっそく読むように指示し、一週間後にこの本の内容についてスカイプでディスカッションすることにしました。

今夜から奥さんが5泊の出張に出かけますので、子どもたち二人と今夜から過ごすわけですが、すでに今夜の夕食で6夜連続、私が夕食を作っています。お弁当も結構作っていますので、家庭での役割は大車輪?ですね。6食のうち魚と有機野菜の本格グリル(オーブン)を3回含んでますので、健康にもかなり良いおいしいディナーです。

しかも、自宅のWifiが全く使えない状況に陥ってしまっており、自宅ではネットを使った仕事ができません(そのうち修理してもらうと思いますが)。その状況を逆手に取って、明日金曜日の夜から3泊で南仏へ子どもたちと三人で行くことにしました。すでに飛行機、レンタカー、ホテルの手配は完了しており、主目的はミディ運河とミヨー高架橋の視察です。ミディ運河の源らしいサン・フェレオル湖へのアタックも考えています。湖のほとりに、ミディ運河についての博物館があるようなので、何とか訪れたいと願っています。

今日はオフィスで一日仕事をしましたが、朝9時に到着して、3つのスカイプ研究ミーティングをこなし、震災報告書の編集作業をしているうちにほぼ休憩なしで17時近くになってしまいました。震災報告書の取りまとめ作業は思った通りかなり時間がかかっていますが、覚悟していたことなので、終わるまで根気よく頑張ります。今日は、MSP明朝にすべきと思い込んで、わざわざMS明朝から修正したら、実はMS明朝で統一すべきだったと知って、さすがにため息が出ましたが、一部の原稿についてやり直しました。これもメンタルトレーニングだと思い、黙々と作業します。

私の両親の来仏、私自身の長期出張(オランダ、日本、ノルウェー)が近づいており、またすぐに激動の期間に突入しそうですが、すべての時間を大事に過ごしていきたいと思います。

やや風変わりな年度初めですが、もちろん今年度も全力で参ります。


雨のパリの土曜日

2014-05-12 16:05:03 | フランスのこと

今日は一日雨で、ときどき止むという天気。最近、自宅のWifiの調子が良くないことが多く、今日はほぼ終日Wifiが不通だったこともあり、かえって充実した一日となりました。

起床後、NevilleのProperties of Concreteの勉強。10章のDurabilityで、私の研究室の基幹テーマの一つである表面吸水試験にも関連する情報がふんだんに記載されており、興味深く読み進める。

フランス語の文法の復習後、朝食。マンゴー+α。

朝食後、奥さんと子どもたちは外出。私は6枚のシャツのアイロンがけ。少し赤ワインを飲みながら、途中からアンジェラ・アキのベストアルバムをかけながら、アイロンがけ。一気に6枚かけるつもりはなかったけど、途中から考えごともしながら気持ちよくアイロンがけがはかどり、6枚を一気にかけおわった。気分よくアイロンをかけられるかどうかは、調子の良さのバロメータの一つかもしれない。



その後、湯船に浸かって、読み進めていた村上春樹の新作短編集「女のいない男たち」を読了。村上春樹ファンですが、男女の関係って何なのだろうと根源的なことを考えがちな?年代の自分にとって、いろいろ感じる本でした。

身支度後、体操してから、一人でIenaのマルシェへ。自宅の近くのマルシェには頻繁に行くけれど、土曜日は開いておらず、趣の異なるIenaのマルシェは土曜日が開いている。今日は天気が悪いのでメトロでIenaのマルシェへ行き、魚を二匹、昼食の前菜を二品、お気に入りのオレンジを12個購入。魚の一匹は、新たにチャレンジしたSebaste。金目鯛に似た魚で非常に大きいのに10ユーロしなかった。帰りに、自宅近くで野菜とワイン等を購入。




Ienaのマルシェへの行き帰りに、幸田露伴の「一国の首都」を読む。以前、読みかけてそのままにしていたが、非常に面白く、明示32年に出版されたものであるが、今でも首都と都民、国民のあり方について大変に参考になる思想が凝縮されている。

帰宅後、明太子ペンネとマルシェで買ってきた惣菜でランチ。



昼食後、ショパンを聴きながら、Properties of Concreteの勉強の続き。その後、「一国の首都」の読書の続き。

読みかけだった内田樹先生の「街場の憂国論」の続きを読む。

15時ごろから1時間半ほど午睡。家族が帰宅。子どもたちは洋服を買ってもらったらしい。

土木学会の震災報告書の編集作業(津波被害と復旧)。発刊が遅くなっていて気になっていたが、ようやく編集作業が本格的に進捗しており、現在のトッププライオリティの仕事。

18時半過ぎから、夕食の準備。マルシェで買ったSebaste(魚)と野菜(ナス、ズッキーニ、二種類のアスパラガス、タマネギ、マッシュルーム)のグリル。日高昆布を敷いて、白ワイン、オリーブオイル、塩、ハーブ、ガーリックで味付けしました。昆布を敷いたのが大正解で、家族みんなにおいしく食べてもらいました。


夕食後、家族でセーヌ川沿いを散歩。自由の女神まで歩く。散歩中にラジオ体操第一。



散歩から帰宅後、震災報告書の編集作業の続き。マルシェで買ったオレンジをデザートに食べて一日の仕事終了。

「一国の首都」を読み進め、「街場の憂国論」を読了し、「魚の声」(内海隆一郎の短編集)を読んで、ショパンを聴きながら就寝。

 

 


持続力

2014-05-09 20:55:24 | 勉強のこと

自分自身でいわゆる「三日坊主だな」と思ったりした時期もあったのですが、どうやら私は本質的には三日坊主ではないようです。

誰でもそうなのかもしれませんが、本当の興味の無いことや、自分が本心からやりたいことでないことは長くは続きません。

一方で、私は、自分が本当に大切に思うことや、心から面白いと思うことに対する持続力は一般より強いのだろう、と41年間自分と付き合ってみて思うようになりました。

自分は器用な人間だとは思いませんが、努力を継続してコツをつかんだものに対してはセンスを発揮します。これも当たり前のことなのかもしれませんが。

中学校受験、中高の勉強、中高の部活(バスケ)等での自分のやり方、パフォーマンスを見ていても、努力を続けて、ある段階から大きな成果が出るようになり、努力が長く継続される、というパターンです。

最近の日常生活でも、このブログ、読書、朝の体操、口腔ケアなどは自分の中で確立した方法があり、それを何年も何十年も継続するのだろうと思います。

今日、久しぶりに?コンクリートの勉強を再開しました。基礎的な勉強、という意味です。

7年くらい前に通読した、Nevilleの"Properties of Concrete"(もちろん原書)をオフィスの書棚から取り出し、10章のDurability of concreteから読み始めてみましたが、やはり面白い。ある程度、基礎が確立された人間がこの本を読むと、いろいろとインスピレーションが湧いたり、日常から疑問に思っていたことが解決されたり、もちろん英語表現の勉強になったり、と非常に楽しめます。努力を継続すると、ある段階からちょっとした努力の効果が大きくなることが、努力を継続することの魅力です。

留学中にやりたかったことは無数にありますが、終わりの時期もぼんやり見えてきました。すべてをやることはできませんが、後で後悔しないようにだけはしたいと思っています。論文等の執筆はそれなりにやってきてはいますが、専門分野の古典の勉強や、講義資料の準備等に注力してこなかったので、少しずつ過ごし方をアレンジしていく時期に入ってきました。


フランス語の学習について思うこと

2014-05-09 17:46:46 | 勉強のこと

何度か、このブログにも書いていますが、フランス語の勉強もしています。本格的に語学を勉強するのは、英語、大学1~2年生時のドイツ語、に次いで3ヶ国語目です。40歳になってからの勉強なので成長が遅い面もありますが、いろいろと感じながら勉強するのでよいと思っています。ここの所、別のステージに差し掛かっているように思うので、記録しておきます。

まず前提条件として、私はフランス語はほぼゼロの状態で、フランスに行くことが決まり、2013年8月末くらいにフランス語のSpeed Learningの教材を一括購入し、聴き始めました。日常の挨拶表現すらほとんど知らないような状況からのスタートです。

奥さんの会社の計らいで、フランス語のレッスン(40時間)を受けることができるとのことでしたが、手続き等がスムーズに行かず、実際に始めたのは2014年2月末になってしまいました。その間、Speed Learningを聴いたり、日本出張中は完全に途絶えたり、とごくごくわずかな進捗があった程度でした。日常の食料品の買い物程度はフランス語でできる程度。

2月末にフランス語の個人レッスンを基本週一回1.5時間で始めてから、フランス語の基礎が身に付き始めました。基礎が全く無い状態でSpeed Learningを聴いても大きな進歩はあり得ないように思いますが、両方をやると相乗効果が期待できそうであることが少しずつ見えてきました。

日本に来る前に買っていた文法の解説書の読みやすそうなものも、最初は全く面白くなかったのですが、わずかにでも基礎ができ始めると、読んで面白くなってきました。

5/7(水)に諸事情で3週間ぶりに、フランス語のレッスンに行ったのですが、 過去形を勉強し、「私は昨日、サクレクール寺院に妹と行きました。それは私には3回目です。」などの説明をすることができるようになり、自分の行動等を人に説明できるようになってきました。いくつか非常に重要な動詞があるのですが、それらの重要性や現れる頻度が非常に大きいことに気付くようになり、Speed Learningの内容の理解も少し深まってきました。

Speed Learningはよくできた教材で、全12巻のうち、今のところ聴いたことのあるのが7巻まで。そのうち気に入った巻とそうでないのがあり、1, 3, 5, 6巻を気に入ってよく聴いています。5巻は3世代の家族の会話、ホームパーティー等の様子で、日常的に使う表現などがたくさん出てくるので気に入っており、5巻の中のさらに気に入った箇所を何度も何度も聴いたりしています。

また、Speed Learningはリスニングだけの教材というよりは、フランス人の考え方や文化、歴史などを学ぶ上でも良い教材と思っています。今日の通勤時に7巻を最後まで聴いてみたのですが、フランス人の精神を象徴するゴロア魂と宮廷精神、についても会話の中で触れられており、とても参考になります。早めに、12巻まで一度聴いてみようと思いました。

街中をよく歩くわけですが、いろんなフランス語が目に入ってきます。以前よりも、看板やポスター等の表現が理解できるようになってきていることにも気づきます。

以上のように、多少は進歩してきているように思いますが、語彙が少ない。真面目に語彙を増やそうと勉強していないからです。一週間の曜日は覚えていますが、一年の月の名前はきっちりとは覚えていない。色、もしっかり覚えていない。身の回りの物品も覚えていない。これは、ちょっとした努力を続けることでできることです。

そして、私がフランス語を学ぶ目的ですが、滞在中に使いこなすことができるとは思っていません。そのことに専念すればできるとは思いますが、もっと他にやりたいことがたくさんあります。

ですが、この年齢になって新しく語学を学ぶ、ということは、普段使わない脳の回路をたくさん使っていることを実感します。それは、後々、いろんなことがつながっていくときに役立つはずです。私はもちろんフランスを好きになると思いますが、じっくり時間をかけてフランス語を身に付けていきたいと思っています。フランス語で書かれた専門書などを何冊か購入していますので、辞書を引きながらでも少し読めるようになれば素敵だな、とも思っています。

いろいろ書きましたが、要はモチベーションを持つことが大事だし、モチベーションを失ったらすべて終わりかなと思います。


8割

2014-05-09 03:04:48 | 研究のこと

2月6日に岡村甫先生のインタビューを行ったとき、「8割」という話が出ました。

岡村先生の師匠の國分正胤先生と、テキサス大学のファーガソン教授は、岡村先生から見て8割が共通しており、その共通部分を「大教授の要件」であろうと岡村先生が話しておられました。

その8割とは具体的に何なのでしょうか?ともちろん質問しましたが、明確な答えは得られず、インタビューのやり取りの中で、人間として、研究者として、教育者として大事にしているフィロソフィー、のようなものであると理解しました。

そして、8割のことをしっかりと理解して行動していると、大教授方に怒られることはほとんどない、とのことでした。 だから、他の人から見ると冷や冷やするようなことも平気ででき、すれすれの所を通って行けるというような話をされていました。一方で、8割のことを十分に理解していない人は、怖くてそれほど近づけない、とのことでした。

その話と似たような、しかし別のような話にも思いますが、個性豊かな研究者が輩出されている私の出身研究室の東大コンクリート研の先輩方と話していると、6割(人によっては7割と言う)を共通部分として持っており、つまりフィロソフィーを共有しているので話が簡単に通じ、残りの部分が個性であろう、とのことです。

2/6の岡村先生の8割と、6~7割の違いは、大教授とそれ未満の違いなのでしょうか。このことは、今この記事を書きながらふと思いました。

今は私は研究室のマネジメントをする立場にありますが、その6割なり7割なりのフィロソフィーを、研究室で時間をともにした方々が共有できているのか、省みています。

6割なり7割なりのことを心の底に共有して社会に出てもらうことは、教育そのものだと思いますが、その成果がきちんと見えてくるのには時間がかかると思います。10年、20年と社会人として最前線で活躍した後に話してみて、6割、7割を共有できているな、頑張っているな、とお互いが思えれば教育の効果があったのでしょうし、そうでなければ単なる自己満足なのでしょう。

私のやり方としては、まずは私のフィロソフィーに共鳴してくれる人をしっかりと育て、連携して全体が自然に育つ環境を創り上げるというものです。

メンバーの入れ替えの激しい組織ですし、現在は私も海外赴任中なので、そう簡単ではありませんが、できうるベストのことをしたいといつも思っています。

私は基本的には愛情深い人間のつもりですが、自分の寺子屋に入った人間には厳しく接します。間違っているものは間違っていると言うべきだし、教育とは生半可な仕事ではないと思っており、中途半端なレベルの人間が行うべき仕事ではないと思っています。未熟であっても教育はできると思いますが、少なくとも非常に高いところを目指す人間でないと、本当に未熟なだけの人間は、少なくとも最高学府で教鞭をとるべきではないと思っています。非常に高いところを目指すには、非常に高いところ、がどういうものなのか、肌で感じるしかありません。 

私一人だけでは非常に高いところを見せることはできませんが、私の中の一部や、私の周囲の連携している方々の優れた部分を見てもらえれば、一流とはどういうことなのかを肌で感じることができると思います。そのような環境を、私も先生方・先輩方から学びつつ、努力して構築してきたつもりです。

岡村先生が「8割」を言葉で表現されなかったように、私も6割、7割、8割のことを明確に言葉で表現することはできません。具体的に一つ一つの事例について、自分の考え方を説明することはできます。それらの総和でしか説明できないのかもしれません。もともとアクティブな方々が多いので、肝をしっかりとつかんで行動しないと、行動しすぎることによって逆に信頼を損ねてしまうこともあり得ます。

以前、私の部下であった香川高専の林さんとは9年半、一緒に過ごしましたが、まさに一つ一つの事例についての私の考え方を、直接、間接に、くどいほど説明してきました。 私の考えることを、世の中の誰よりも理解している人かもしれません。

現在の研究室のスタッフや、学生たちは、私の海外赴任の影響もあって、十分にコミュニケーションできていない場合もあります。先の岡村先生のお話ではありませんが、私に叱られると私のことが怖くなります。近づくのが難しくなってしまいます。そうすると、何のために研究室にいるのか、本来の目的を忘れて、本質的でない時間が過ぎていくばかりになります。私が叱る場合は、6割、7割から外れた行動をしているから、という場合がほとんどだと思います。学生であってもたまに、私がほぼ手放しで指導できる人もいます。6割、7割をすぐに理解できる方々だからでしょうか。

先の9年半も、要は真剣にコミュニケーションを重ねてきただけです。すべてはコミュニケーション。教育の場において、フィロソフィーとは簡単に移植できるようなものではなく、一つ一つの積重ねの結果でしかないと思っています。


競争のデメリット

2014-05-07 15:05:50 | 人生論

競争を良しとする風潮がいまだに強く続いているように思います。

何事にも長所、短所があるのは自明であり、 競争にももちろんメリットはあります。ほとんどすべての世の中の議論に見られる傾向ですが、中庸を求めず、極端な、原理主義的な議論が横行することが問題の根幹かと思います。

競争することがよいことだ、この世の中で生き残るには競争に勝ち残れるようにするしかない、と教えられてきたように思うし、今でもそのような言説が飛び交っていますが、そのデメリットが際立ち始めている状況にあるのでしょう。右肩上がりの社会での競争はまだしも、縮んでいる社会での競争は地獄ですね。

内田樹先生の「下流志向」を読むと、現代社会の病的な状況が手に取るように分かりますが、極端な競争の先にあるのは、ごく一部の勝者と、数えきれない敗者です。

信じられないほど、上昇志向を持たない人間、子どもたちが増えているようでして、だからこそ「下流志向」というような衝撃的なタイトルで内田先生は論じられるわけですが、これも社会全体が競争に洗脳された悲しい結果です。

競争しても、誰かは勝つだろうけど、その他大勢は勝てないことを本能的に察知している。そうすると、無駄なレースに参加しない方が自尊心が傷つけられない。だから上昇するための努力をしない。しないことで自尊心が辛うじて保たれる。基本的にはそのようなメカニズムです。

これは、卑近な例ですが、夫婦の関係でも学習できます。険悪な雰囲気に少しでもなった場合(仮に!)、相手に優しくしよう、という寛大な方も多数おられるとは思いますが、大多数の方々は、そうするよりは自分の殻に閉じこもるのではないでしょうか。その方が自尊心が保たれるからです。相手の目を見ないようにする。相手に話しかけない。そうすると、相手は自分に対する愛情が無いのだと思い、ますます冷たくなる。ネガティブスパイラル。誰でも経験することでしょう。

世の中の状況も同じです。Win-winの関係を目指してもよいのですが、それは多大な努力を伴うし、誰にでもできることではない。競争社会で一番簡単な勝つ方法は、相手の足を引っ張ることです。もしくは、競争に参加しない、ことが一番確実で満足できる解になってしまいがちです。

私が本能的に自分の本業で仕掛けていることも、無駄な競争はやめることです。みんなが幸せになる方法はあるはずで、それに皆を巻き込んでチャレンジしたい。何かを達成することが大事というよりは、そのチャレンジのプロセスが「生」そのものであることを一緒にチャレンジしながら学んでいきたい。それが私の本心からの願いです。

無駄でない競争ももちろんあり、適切な競争はどの分野においても必要と思います。ですが、競争がなじみにくい分野もあることをしっかりと理解して、とにかく原理主義的に物事が議論されないようにしたいものです。


お弁当

2014-05-06 19:17:18 | 人生論

一日に4つも記事を書いてすいません。本当は以下に書くこともある記事に入れ込もうと思っていたのですが、どうも収まりが悪く、また書いておかないとすっきりしないので、4つ目の記事にすることにしました。

私とFacebookでお付き合いのある方々は、うんざりするほどお弁当の写真を見ておられるかと思いますが、フランスに来てから子どもたちのために作ったお弁当の写真をFacebookにアップロードし、アルバムにしています。今日のお弁当で52個になりました。日本出張やら休み期間もあったりするので、一本調子には増えませんが、結構な数になってきたなとは思います。

私が子どものお弁当を作るということに対して非常に意外に思われた方もいるようですし、昨日まで観光で来ていた妹は、私のアルバムを見て「秋野暢子か!」と突っ込みを入れ、「お兄ちゃんがそんな人だとは思わなかったわ。」と素敵な捨てゼリフまでいただきました。

誰がどう思おうと、私は大して気にしませんが、私自身はマメな人間ですし、料理を作るのも好きなので、facebookでのお弁当アルバムはある意味では私にとってはごく自然な姿の一つです。

ちょっと前の「労働哲学」という記事でも書きましたが、村上春樹の労働哲学と同じで、私も、日々のお弁当をしっかりと心を込めて作る、ということがとても大事だと思っています。大事なことで、生きることそのものだと思っているから、記念写真を撮って、 後でも振り返れるようにしている。フランスで過ごす時間が自分にとっても生涯の宝物になるのは当たり前で、そのときに育ちざかりの子どもたちのために心を込めて作ったお弁当の写真集が、自分の生涯の宝になるのは当たり前です。

同じように、ブログも一所懸命書く。もちろん、一所懸命本を読んで勉強する。一所懸命論文、解説文等を書く。一所懸命にフランスのいいものを見て歩く。

それらの一つ一つが生きることそのものであり、そこに心を込められるかどうかが大事だと思います。

首都圏で震度5弱の地震があったようです。もっと大きな地震がいつ来るか分かりません。

地震に限らず、世界中で何が起こるか分からない状況だと思います。

一つの大きな時代が終わろうとしており、その終わりは破滅的になるかもしれない。新しい時代にそれほどスムーズに移行できるとも思えない。でも、新しい時代の息吹は自分の身の回りでも具体的にいろいろと感じる。

それでも、自分たちにできることは、日々の一つ一つに一所懸命に取り組むことだけです。立場によって役割は違う。でも、一足飛びには行かないし、自分の持ち場をしっかりと守ることが何よりも大切だと思う。

今夜も、しっかりと仕事をした後に、食材を買って帰宅し、心を込めて焼きそばを作ろうと思います。 


ブログの効用

2014-05-06 18:30:15 | 研究のこと

ブログの記事を書く時には、あまり時間はかかっていません。

日本にいるときであれば、例えば通勤中などに、ぼやっと感じた「テーマ」があり、それをブログという形で文章に一気に書きます。ぼやっと感じていることを、文章で表現することは、脳の中に散らばっているいくつかの情報をつなぎ合わせて一つの形にするという作業です。

フランスに来てからも、せっせとブログを書いていますが、これは私にとっては大切な作業です。読む方にとっては、駄作や似たような内容のオンパレードかと思いますが、基本的にはこれは日記ですので、自分のために書いているものです。教育という仕事をしていますので、周囲の皆様の人生が素敵なものになるためにわずかなりとも貢献できれば、という気持ちも持って書いてはいます。

フランスに来てからの記事は、日本にいるときよりも執筆に時間がかかっているように思います。

頭の動きが鈍っていることもあるのかもしれませんが、私の推察では、これまでよりも、脳の中でつなぎにくい情報をつなげようとしているからではないか、と思っています。

もともと多くのことに興味がある人間ではありますが、フランスにいる間は、今後の自分の活動を展開していくために必要な肥やしを自分の脳に与える時間だと認識していますので、日本にいるときよりも脳にインプットする情報が多岐に渡っています。情報をインプットして、脳が感じたことを、ブログで文章にしますので、私自身が「つなぐ」ということで格闘している一つの証拠かなと思っています。

そして、この格闘が大事。脳では、良著「海馬」でも勉強したように、神経細胞がつながり、回路が強化されることが重要。回路を通しておけば、いつでも回路を活用することができるはず。
(この「海馬」という本は素晴らしいです。人間に対する応援歌、とあとがきにも書かれていますが、本当にそう思います。しかも、読みやすく、超お薦めです。)

私の研究者としての仕事の特徴に、解説文や論説文を書く機会が相対的に多い、ことがあると思っています。まだ若造ですので、あくまで相対的な話ではありますが、いろいろお声掛けいただいて、貴重な機会を与えていただいています。研究者にはいろいろなタイプがいていいし、いろんな役割があると思っていますが、私は研究論文ももちろん書きますが、解説文や論説文の執筆機会が今後も増えるのではないかと想像しています。

その際に、 誰でも書けるような文章を書きたくはない。フィロソフィーの詰まった、読んだ人の中に少しでも共感してくださる方がいて、何かの変化につながるような文章を書きたい。

ブログを書くという日常行為で自分の脳の回路を鍛えておくことは、日常での講演や講義等のクオリティを上げ、解説文や論説文等の執筆機会を増やし、それらの文章のクオリティを上げることにもつながると考えています。

数日前から、「品質確保と人」というタイトル(仮題)で「コンクリート工学」誌から寄稿を依頼された原稿を書き始めていますが、まさにフランス留学中に勉強したことや、復興道路、山口県等での議論から日々学んでいるフィロソフィーを詰め込んだ文章にしたいと思っています。

論文ではいつも「主観」が多い、と叱られてばかりの私ですが、上記の論説分では、独りよがりにならないように、現時点の私にできる最大限の配慮をしながら、適切に主観を述べたいと思っています。参考文献に村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」も挙げる予定です。 


時代の終わりと始まり

2014-05-06 17:35:57 | 人生論

現在、一つの時代が明らかに終わるというか、壊れようとしており、まだ明確ではないものの新しい時代が始まろうとしていることは、自分自身の日常的な体験からも感じます。

大学の教員の生活が、一昔前と比べて著しく忙しくなっていることは、先輩の先生方からもよく聞くことですし、今の異常な忙しさを実体験している者としてもおそらくそうなのだろうと推察します。大学の教員に限らず、多くの職業でそうなのかと思いますが。

その一因として、ツールに踊らされている、ということがあると思います。 コンピュータ、インターネット、メールその他のツールが著しく発展したことはありがたいことだし、今やそれらなしで仕事できないのは事実なのですが、ツールに踊らされて本質的でない仕事に翻弄されているように以前は感じていました。

まず私の生活が破たんしかけたのは、メールを処理しきれなくなったことです。何年前か忘れましたが、もう無理だと悟り、 Gmailに切り替えました。Gmailの検索機能や、作業のしやすさに救われて、現在もまだ地獄のプールで泳ぎ続けることができています。でも、私が溺れ死なずに元気に泳ぐようになったことによって、私から受信するメールが増え、ご迷惑がかかっている方々もおられると思います。地獄の中では、誰かが生き返れば、別のどなたかに迷惑がかかる、というような場合が多々見られます。

どう考えてもユーザーのことを考えて作っているとは思えない、マイクロソフトのワード、エクセル、パワーポイントなどの製品の使い勝手の悪さにも辟易しますが、 google、マイクロソフト等に関する話はすべて、我々がアメリカの戦略にまんまとはまっているということも分かっています。そこに多くの人間をどっぷりと浸からせることで、一部の人たちに巨額のお金が渡る仕組みですが、他に選択肢がない。

大学という世界中にある組織や、横浜国立大学という具体的な大学も、世界の大きな流れの中で損なわれ続けているのを感じます。止めようがない流れの中にいるので仕方ない面もあると思いますが、大学の中にいて様々な議論を聞いていて、心の底から正しい、と思える方向だとはとても思えない議論に溢れているのが現状です。

最近は、内田樹先生の本をよく読むようになっており、これまで持っていなかった斬新な視点をいただけてとても勉強になっています。

資本主義が限界にきていることを内田先生も説かれています。つくづく、すごい時代に生きているのだと感じます。

内田先生は「贈与経済」へと移行すべきであることを説かれています。詳細は内田先生の論説や、私の別の記事に譲りますが、これについても移行の動きが明確化しており、それが新たな時代の始まりを予感させます。私にも思い当たる節があります。

市場を介さずに、贈与。物々交換。私はこれを提供することができる、代わりにこれをいただく。

例えば、米の消費量が落ちていることを危惧するような情報ばかりですが、実は市場で取引されていない米の量がかなりの量になっており、増える傾向は止まらないそうで、マスコミからの情報では決して知り得ないことです。

すでに私の動きも一部、贈与的になっています。

私は、山口県の品質確保システムや、東北の復興道路の品質確保システム、学校での防災教育等に、わずかなりとも貢献することができる。そのためのノウハウや、技術を持っている。だから対価をいただかずに提供します。出張旅費も受け取らないし、依頼されて講演する場合も、自費で旅費や懇親会費を支払うことがほとんどです。

私はお金として報酬は受け取っていませんが、研究のフィールドを提供していただいたり、最前線での議論から学ばせていただくことが十分すぎる対価だと思っています。真のWin-winが築ける可能性を強く感じます。

これも一種の贈与経済の形ではないかなと思います。過去であれば、受託研究とか、共同研究とか、必ずお金が発生し、面倒くさい手続きが発生する。

もちろん、資本主義がすべてなくなって、全部が物々交換になるとは思えないし、研究の場合だってすべてボランティアというわけには決していきません。

しかし、これまでのように、何か逆らえない一つの大きな流れの中で、ほとんどの人たちが息苦しく感じながら生き、気づいてみればほとんどすべてを失いつつある、という状況からはわずかながら脱却しつつあるように感じます。脱却しなくてはならない。

人間とは、制度の中でしか生きることができないように思います。ごく一部の人が大儲けをして、その他大勢は食うにも困る、というようなこれまで流行ってきた流れ(構造改革とか、安直な行政改革、民営化推進等)は論外で、もはや時代遅れかと思いますが、国民がしっかりと食っていける、というシステムがどういうものなのか私も十分に認識できていません。

おそらく、中庸に解があるのでしょうが、私は適切に勉強しながら、自分の日常で実践しながら体得していくしかないと思っています。