3月30日(月)に次女のスクールが春休み明けで開始して以降、今日で16日連続(平日のみ)で次女のお弁当を作りました。私もお弁当を食べられるときはついでにお弁当を作っています。今日も、いつも長引く教室会議の日のため、私のお弁当もついでに作っちゃいました。さらについでに、塾に通う前の長女のミニお弁当も。
よく作るおかずに、から揚げがあります。パリ滞在中に私なりの簡易から揚げを開発し、その後適当にアレンジしてよく作っています。
現時点の定番から揚げは、にんにくをスライスし、鶏もも肉を小さく切ったものに、スライスにんにく、タンドリーチキンのスパイスをまぶし、醤油をかけてしばらく置き、その後、フライパンで揚げるというもの。
これまでずっと小麦粉をまぶして揚げていました。片栗粉の方がよい、と聞いてはいたものの、片栗粉を買おうと思った店に置いてなかったり、でご縁がありませんでした。
先週、スーパーで買い物していたときに片栗粉をたまたま見つけたので購入。
今朝、初めて、片栗粉で揚げました。うむ、おいしい。
どうでもよいこと、ですが、今後、家族が食べるから揚げがおいしくなることは、幸せなことです。
家族がそれぞれの思いで新年度をスタートしています。長女はパリ滞在の影響もあって転校を重ねており、この4月から新しい学校での生活をスタートしました。
4月11日に私と、娘二人が自転車を購入しました。長女はパリでは全く自転車に乗らなかったので、かなり久しぶりの自転車で、買った当日は少し危なげでしたが、すぐに慣れ、翌日の日曜日は二人で早朝サイクリングに出かけました。
次女は、補助輪付きの自転車ですら、パリ渡航前に少し乗った程度で、実質的に自転車は初めてでした。私もなるべく時間を取って、補助輪付きですが自転車に慣らせてやりました。
もうすぐ6才になり、体も大きい次女なので、すぐに補助輪無しでも乗れるようになりそう、と判断し、17日(金)の日没前に、補助輪を外しての練習を少し行いました。
18日(土)も三回、補助輪無しでの練習。車の通りのほとんど無い狭い公道で、コツを覚えさせながら、成功体験を積み重ねさせながら、練習を繰り返しました。教えるのは難しい。
子どもは正直なので、気分が良い、悪いはすぐに分かります。こちらの教え方が良く、上達が目に見える場合、子どもも非常に機嫌が良く、ぐんぐん上達します。逆に、こちらが若干イライラしたりすると、すぐに子どものパフォーマンスにも反映されます。土曜日の午後の最後の練習では、上手になってきているものの、次女のやる気が少し減退する状態で終わりました。
さて、本日19日(日)。昨日の状況では、補助輪無しで乗れるようになるのは1週間か10日くらいはかかるかなあ、と私は思っていました。
次女もあまり乗り気でない。
ですが、二人で練習を開始しました。私もいろいろと工夫しましたが、一気に乗れるようになりました。
自身も誇らしいようで、一人で何とか乗れるようになった以降は、どんどん練習し、私も付き添って走る必要もないので練習も楽になり、自転車を漕ぎ出すのも、バランスを取るのもぐんぐん上手になりました。
5年くらい前の長女のときもそうでしたが、自転車は漕ぎ出しをうまくできるようになることが極めて重要。これは何事にも通じますね。
仕事が大学教員ということもあり、子どもたちとの時間でも、常に学生の研究指導のことが頭をよぎります。子どもも学生も同じ。
自転車を漕ぎ出すこと、最初は少しアシストしてやること、コツをつかませること、成功体験を積み重ねること。
自分でできる人は勝手にやりますが、誰だって自転車に乗れるように、誰だって適切に指導されれば、研究もスムーズにできるようになるはずです。
スムーズに行き過ぎることはデメリットもあるとは思いますが、本人の能力を中長期的に最大限に引き出すことは極めて重要で、そのために学生の間に何をすべきか、また、研究のスタート時をどのようにマネジメントすべきか、は私も教員としてもっともっと試行錯誤したいと思います。
今朝は、次女の頑張る姿を見て、私も誇らしくなりましたし、勇気づけられましたし、いろいろと考えさせられました。
今日は2015年度の初日です。今年度は久しぶりに学部の教務委員を務めますので、明日から新入生のガイダンス等、教務関係の業務が詰まっています。
ですが、今日は大学には行けません。春期講習中の長女や、スクールに通う次女のお世話と、仕事と両立です。
今日は水曜日ですが、月、火、水と連続でお弁当を作りました。今日は、春期講習が終わった後の長女と一緒にお弁当を食べることにしたため、三人分作りました。現在、お弁当を食べ終わって、14時からの長女の新しい小学校の面談まで待機するため、広場のようなところで私は仕事をし、長女は宿題をしています。
次期、コンクリート標準示方書の改訂にそれなりに影響を及ぼす可能性のある示方書連絡調整委員会の報告書の原稿執筆を、昨日、今日と鋭意進めており、明日にまでかかると思いますが、担当箇所の原稿を仕上げたいと思います。「性能と品質に関する論考」 、「施工編の意義と役割」、「山口システムと復興道路の品質確保」等、5年前の私ではとても執筆できないことを書いているので、それなりにやりがいを感じています。
長女の小学校の面談が終わった後は、一緒に次女をお迎えに行き、自宅でそれぞれ活動です。土曜日にも食べたのですが、今夜も三人で手巻き寿司にすることにし、夕食までの時間をそれぞれ充実させる約束をしています。
明日から、桜が満開のキャンパスにて、多くの学部生たちの前に立ってオリエンテーション等の説明を行うので、気分が高揚してくると思いますが、大学、学校に特有の新年度のフレッシュな雰囲気に乗って、私も2015年度を気持ちよくスタートしたいと思います。
2014年9月28日に単身でフランスから帰国後、3ヵ月程度、親の家に居候していました。実家にバックアップしてもらって、各地への出張や半ばギリギリで回っていた講義等の大学業務を何とか年末までこなすことができました。
年末年始は家族とパリで過ごし、パリの家も撤退し、2015年1月3日に家族で帰国し、仮の家で日本生活を再開しました。子供たちも日本での新しい生活を始めるに当たり、非常に多くの事務手続き等があり、かなりの部分を奥さんが対応しましたが、家族それぞれが大きな変化の中で適応してくことにベストを尽くしてきました。
3月上旬にようやく新居が確定し、パリからの船便の受入れや、倉庫に預けていた荷物の受入れも含め、3月14日にようやく引越し作業が完了しました。3月は私も非常に多くの国内出張が入っていたため、家族にも迷惑をかけましたが、無事に新居での生活がスタートしました。
人間誰でもそうかもしれませんが、活動拠点が安定すると、アクティブに動けるようになります。私は特にその傾向の強い人間で、流動的な状態では総崩れにならないようにやや守りに入る傾向にあります。安定してくると攻めの姿勢が全面に出てきます。
2014年10月以降は、大学業務でも、ほとんどの事務作業を秘書さんに担当してもらい、講義資料の印刷等もすべてお任せしました。そうしないととても回せない状態でした。また、業務用PCも自分にフィットするものがなかなか見つからず、オフィスのOA環境も仮の状況が続いており、まさにフランス滞在のアフターショックが継続する状況でした。
ようやくノートPCも新調し、新居のオフィスの環境も徐々に整備しており、自身の様々な周辺環境がリニューアルされ、整備されていっています。
新年度は久しぶりに教務委員を務めます。3回目の教務委員ですが、すでに2回経験していますので、自分らしさを少し押し出して、教室の教育環境の改善にわずかなりとも貢献できればと思っています。
今朝は、家族それぞれがアクティブに活動していますが、私と次女は食料品等の買出しに出かけ、昼食は明太子パスタとサラダ、夕食は手巻き寿司を家族に振る舞います。
激動もチャレンジングではありますが、やはり人間は安定している方が基本的には本来の力を充分に発揮できるものと思います。
別のエッセーに書きたいと思いますが、3月25日の卒業式、謝恩会、研究室打上げパーティーで、私がいろいろと感じていたもやもやもかなり吹き飛び、新年度へ向けたチャレンジ精神が復活してきています。間もなく、新しいメンバーがたくさん加わり、新年度がスタートします。私も、フランス滞在の影響が色濃かった40代の最初の2年が終わり、本格的な40代のチャレンジを始めたいと思っています。
相変わらずトップギアに入らないままに2月の中旬を終わろうとしています。
昨年の9月末に単身帰国し、10月からの秋学期は相当にタフな期間になるだろうと覚悟してスタートしました。
講義も例年の二倍以上を担当し、修士2年の学生が8名、卒論生が2名の指導もあり、明らかに例年よりは負担の多い状況でした。
昨年の12月の下旬までは、日本各地への出張も何度も重ね、なかなかそれ以上の上積みは厳しいレベルで仕事に専念してきたように思います。
新年に入り、家族とともにパリから戻ってきました。家族それぞれが新しい環境で奮闘を始めました。現時点でいまだに仮の住居ですし、徐々に生活基盤は整ってきているものの、まだフランス滞在の戦後処理の状況です。
修論、卒論の最終審査も終了し、タフな秋学期が何とか着陸に向かおうとしている状況です。
私自身、1月の中旬以降、約1ヶ月ちょっとの間、全力疾走のできない心身の状況にあります。フルパワーの状態の7割程度しか、発揮できていないように感じます。
昨年の激しい活動の反動、とも思われるし、大量の講義が1月末に終了し、かなり放電したので、充電期間中とも捉えられます。
1月に入ってから、まだ一度も東北に出張できていません。それも、トップギアに入らない一つの要因なのかもしれません。
3月には3度、東北出張が予定されています。山口、鞆の浦、福岡への出張も予定されています。
今週の日曜から、短期間ですがインドのハイデラバードへJICAからの派遣という形で出張してきます。ワークショップに出席しますが、目視評価法やSWATの最新情報も含めて、コンクリート構造物を耐久的にするための実践的なノウハウを30分の発表で魅力的に伝えたいと思います。
タフではありましたが、何とか秋学期を乗り切ろうとしています。様々な研究成果も得られたので、論文や解説文、講演等で発信していく段階です。この文章を書いているうちに少しエネルギーが湧いてきました。
今日の午後も、長年一緒に共同研究してきた企業と、今年度の成果についてのミーティングです。
次女の通学時に、1月ごろから話していたこと。
休日に、ゴミ拾い(タバコの吸い殻などのポイ捨て)をしながら散歩しよう。
いざ休日になるとコロッと忘れていたり、でなかなか実践できていませんでしたが、今朝、娘二人と三人でやりました。
仮の住居ということもあり、家には軍手がなく、まずはコンビニで軍手を調達。コンビニに行くまでの歩道等を下見したところ、吸い殻やティッシュ、空き缶などのゴミが散見されました。
いざ、スタートすると、国道15号という大幹線沿いということもあり、あるわあるわ。歩道面よりも、歩道と道路の境目のところにびっくりするくらいゴミがあり、道路側に私が出て、拾ったゴミを娘たちの袋に入れました。
橋のたもとに同じコーヒーの空き缶が10個以上あったりして、同じ人間がそこに捨て続けたんだろうと思います。結局、空き缶、ペットボトルも一つの袋が満杯になるほど拾いました。
今朝はそれほど寒くなかったので、良い運動になりました。もちろん、ゴミを拾うことで直接的に美化に貢献できる。普段歩いていると気付かないほど街や道路は汚れていることにも気付く。みんなが気付けばもっと街もきれいになるであろうことにも思いが至る。我々がゴミを拾っている様子は非常に多くの人々に見られましたが、彼らの意識にも何らかの影響を与えるであろう。「ありがとう」と声をかけてくれたジョギング中の女性もおられました。品川、という土地柄か、外国人も方も多く、興味深そうに見ていました。
今後もやると思いますが、子どもたちが思ったよりもはるかに楽しい、と言ってくれたことがうれしかったです。子どもたちとも十分にコミュニケーションできました。
冷蔵庫に残っていた鶏肉があったので、今日も休日ではありますが、学生たちの研究指導で出勤するときのお弁当を作ってしまいました。
今日の午後から奥さんは海外出張。来週末からは私がインドのハイデラバードへ出張です。
少しずつ、我々の家族のペースが戻ってきています。
今日は東京(現在、東京都民です)も積雪の予定で、横浜国立大学のキャンパスでもさっそく雪が降り始めています。
昨日は、心身の不調でどうにも活力が無く、学生たちの研究指導はやりましたが、仕事は早々に切り上げて帰宅。火曜日に紛失したiPhoneも無事に回収することができて(飯田橋のお店に忘れただけですが)、一安心。子どもたちと三人で夕食を外で食べました。子どもたちもそれぞれの新しい環境で頑張っていますが、ワイワイと話しながら楽しく食べました。
仕事用のノートPCを切り替えようとしており、その関係で種々のデータのバックアップも確認しました。家族の写真も増える一方ですが、いくつかのハードディスクに保管しています。子どもたちが小さいころの写真を見ていて感慨に浸りました。
子どもたちと夕食を食べに行く前に、子どもたちにもそれぞれが小さいころの写真や動画を見せましたが、キャアキャア騒いでいました。あんな小さかった子どもたちがそれぞれ逞しく育っていることにうれしく思いますし、その間、様々な方々に支えていただいたことに感謝の念で一杯です。
夕食後、自宅で三人でトランプ。大富豪を二回ほどやって盛り上がりました。
就寝前に、ベッドの中で、次女の提案により歌を歌うことになりました。以前はよくやっていたのですが、昔の写真をみんなで見たことも次女の気持ちに影響したのでしょうか。
それぞれが歌って何周かして、大笑いしてから寝ました。
普段はもちろん家族は大切にしているつもりですが、激走しているので、心身が疲れてふっと立ち止まるときに、家族の大切さが身に染みます。
今朝は寒く、今日は雪ですが、心身の調子も戻ってきたように思います。次女と自分のお弁当を作りました。
長女と通学通勤するときに、「雨上がりのメデジン」という本のことを話しました。 スペイン国民児童文学賞を受賞した作品だそうで、コロンビアのメデジンの十歳の二人の少年の姿を描いた名作だそうです。「土木史と技術者倫理」を受講している土木の2年生から紹介を受け、今朝、読み始めました。長女ももちろん読める本なので、読み終わったら長女にプレゼントしようと思います。通勤中に半分読み終わりましたが、とても素敵な作品で、味わって読んでいます。
少しずつですが、本来の状態に戻りつつあります。
2月8日(日)は三崎にて、研究室の冬合宿で、日本人学生の修士2年、学部4年が全員発表し、OBの方々も5名程度参加しての議論になりますので、少しでも充実した内容となるよう、研究指導もしっかりと行いたいと思っています。
以前も、ブログで書いたことがあるかもしれませんが、我が家の長女について。
個性豊かなメンバーが集う私の家族において、長女はもっとも配慮のできる人間だろうと思います。まだ小学校4年生ですが。
奥さんとも、もし長女がいなかったら、我が家はバラバラになっていたかもね、と冗談で話すことがあるほど、我が家のキーパーソンでもあります。
昨夜は少し早く帰宅できたので、実家でおいしい夕食をいただき、夕食後に少しぼーっとし、来週に会う家族のことを考えていました。子どもたちのことを書いた自分のブログを見て、笑ったり、会いたい気持ちを募らせていました。夜も久しぶりにぐっすり寝ることができ、体調も回復しました。
今朝、シャワーを浴びているときに、長女のエピソードを思いだし、改めてすごい子だな、と感激したので、以下にそのエピソードをまとめておきます。
長女が一歳になった直後の9月ごろ、奥さんがパリだったと思いますが、海外出張にでかけました。一週間以上の行程だったと思います。
私と長女が二人で生活していました。奥さんが出張に出かけた後のある朝、私と一緒に寝ていた長女がベッドで目を覚ますと、 口を開けて「マ、」といいかけて止めました。ママ、と言いかけて止めた瞬間を私ははっきりと覚えています。
彼女は一歳になった直後だというのに、自分のママが出張に出かけていないことを分かっており、ママと呼んでもどうにもならないことを分かっており、我慢したのです。その後、母親の出張中、「ママ」と口に出すことは一切ありませんでした。
何とすごい子なのだろう、と感心し、私は長女をギューッと抱きしめてやりました。
その後、長女が保育園でプール熱に感染し、さらに私も感染して大変な高熱が出て、私の両親たちにアシストしてもらうことになってしまい、確か奥さんも出張の行程を短縮して帰国したように覚えていますが、もう9年以上も前の話です。
私は家族それぞれと大切な関係があり、これからも構築していきますが、長女とは上記のような特別な体験をたくさん共有しており、それが根底の信頼関係にあるのだろうなと思っています。
私も彼女に負けないように、もっともっと周囲に配慮できる人間になりたいと思います。
9月末までフランスにいる間は、10月以降の日本での生活に対して、ある程度の予想は付いて何とかなるとは思っていたものの、自分自身の家族と離れて住むこともあって、未知なことを想像していたことは確かです。
自分自身の家族とは離れて住むものの、私の両親の家に居候となるため、私の生まれ育った家族と過ごすことができることはメリットだな、とは想像していました。
帰国後、約2週間が経過しましたが、今のところ、出張のときを除いて、浦和の実家から職場や都心に通っています。 食事や洗濯など、身の回りのことはやってもらえるし、両親や妹との会話もたくさんできるし、私にとってもありがたい時間となっています。
昨日は、四人で墓参りに行き、そばを昼食に食べ、私も何度も散歩したことのある見沼代用水を皆で散歩しました。見沼代用水は、江戸時代の1728年(享保13年)に幕府の役人であった井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために、武蔵国に普請した灌漑農業用水です。ちょうど、鷲神社の獅子舞のお祭りと遭遇し、日本の伝統文化を堪能させていただきました。
昨日の夕食は、私がお好み焼きを作りました。家族皆、喜んでくれました。
今日は連休の最終日ですが、台風が接近しています。早めの夕方に、奥さんの実家に移動し、夕食をごちそうになります。そのまま泊まって、明日は台風直撃のために出勤できるのか分かりませんが、まあなるがままに任せます。
フランス以前の生活もよし、フランス中の生活もよし、フランス後の生活もまたよし。家族の中で生きています。
フランスでの時間は、様々な意味で私にとっては重要ですが、次女との時間、という意味でも極めて大きな意義を持つことになりました。
次女は、どちらかというと母親べったりの子で、長女とはかなり異なります。母親が育児休暇を長女のときよりも長めに取ったことが一因と推察していますが、様々な理由によるのでしょう。
日本にいるときに、私と一緒に寝たい、と言ったことは皆無に等しかったように記憶しています。日本で彼女が通っていた保育園は、理想的な環境からは遠く、次女も様々なストレスを感じていたようですが、朝の保育園の送りも渡仏前はほとんど奥さんがやっていました。長女の送りや、二人の娘のお迎えは私ももちろんたくさんやりましたが。
そして、フランスでの時間が始まりました。時間を有効に使う習慣はすでに付いていましたので、次女との関係をどのようによくしていくか、ということも私の目標の一つでした。パリのスクールに彼女と一緒に徒歩で通う時間や、午前のみでスクールが終わってしまう水曜日の午後を、次女とのパリ散歩の日にして、パリを楽しみながら勉強する時間にしたことも、彼女とのコミュニケーションを改善していくとてもよい時間になりました。そして、次女が、「今日はパパと寝たい」と言う日も出始めました。
今朝は、極めて重要な朝となりました。
9月2日(火)から次女の通うスクールの新学期が始まりました。数人のとても仲の良い友達に再会できるのを心待ちにしていましたが、新学期が始まるとメンバーの大幅な入れ替えがあり、それらの友達はいなくなっていました。次女よりも小さい子どもたちが多く、基本のコミュニケーションは英語ですので、次女にとっては相当に難しい環境になってしまいました。
金曜日の今朝、次女がスクールに行きたくない、と駄々をこね始めました。奥さんも私も次女の苦しい気持ちはよくよく分かりますので、まずは奥さんが次女とコミュニケーションして、出勤しました。次女は大泣きです。
私がスクールに送っていくので、次女と大事なコミュニケーションを始めました。
「あなたの気持ちはすごく分かる。友達がそんなに簡単にできるわけはないし、大変だよね。友達ができる方法をいくつか教えてあげる。」と言うと、次女はすごく興味をひかれたようでした。
自分がストレスを感じて嫌な気持ちでいると、必ず表情や行動に出る。それを他の子どもが見たらどう思うか。絶対によい印象を持たない。本心では友達になりたいと思っていても、近づきたいと思わなくなる。だから、すぐに友達ができるかは分からないけど、「友達ができるといいなあ」と楽しい気持ちを持つようにしよう。そうすると表情も明るくなるから、スクールの子たちも近づいてくると思うよ。
「一年生になったら、一年生になったら、友達百人できるかな」の歌、知ってるでしょ?これを大きな声で歌いながらスクールに行こう。そしたら楽しそうじゃない?
次女の表情がかなり明るくなってきました。
それから、スクールで頑張っているときに苦しくなることもあるかもしれない、でもあなたが頑張っていることをママもパパも知っているし、おばあちゃんだって知ってる。だから、一人じゃないよ、みんな応援しているよ、とも伝えました。
その後、私が出発前にいろいろと仕事をさばいている間に、次女が何かを持ってやってきました。
「ねえ、おやつ持って行っていい?スクールで出るおやつが食べられないから、自分で持ってきてる子もいるんだよ。」とうまく交渉術を使いながら、ハイチュウを二つ持ってきました。
いろいろと話し合いましたが、まあ、いいよ、ということになりました。
なぜハイチュウが二つか。一つを、友達になりたい子にあげる、という次女の作戦だったのです。かわいい。
その他、このエッセーが長くなり過ぎるので割愛しますが、メトロでも大笑いするやり取りがあり、結局スクールにはかなり良い状態で到着できました。
到着直前に、同じスクールの次女よりも小さい子たちと一緒になったので、「ねえ、小さい子の頭をなでなでしてあげたら、喜ぶんじゃない?そうやってかわいがっているのを、他の子どもたちも見て、ああ、やさしい子だな、と感じると思うよ。」と最終アドバイス。
到着後、皆に見えにくいところで早速、小さい子の頭をなでなでしておりました。もちろん、英語でほめてあげました。
次女のみならず、どの子も苦労していることを、先生たちも話してくれました。ハイチュウを二つ、明確な作戦とともに持ってきたことも、私が先生に伝えておきました。すごく感心していました。
最後は、次女をぎゅっと抱きしめて、次女もかなりいい表情でみんなの輪の中に入っていきました。
今日は15時半に私がお迎えに行きますが、どんな会話をできるか、今から楽しみです。
今朝の私の話を聴く次女の目線が、とても印象に残りました。
日常的な一週間の金曜日になりました。
今朝、長女が学校に向けて家を出る直前に、洗面所の辺りで私と妻に言いました。
「あー、今日は楽しみなことがたくさんあるよ。」 とこれ見よがし?に言うので、「なになに?」と聞くと、
「夜はサッカーをみんなで見るでしょ?それから、放課後にバスケットボールもできるでしょ?それから、お弁当のカレーも楽しみなんだよ。」とのこと。
奥さんの尽力により、我が家でもテレビを見ることができるようになり、今日は夕方の6時から、フランスVSドイツ。これは見ないわけには行きません。 さらに、夜の10時からは、ブラジルVSコロンビア。我々早寝早起き家族にとっても、すごく良い時間帯なので、今夜は簡易夕食、シャンパン、ワイン等を準備して、リビングで家族四人+義理の母でサッカー観戦になる見込みです。以下は、今朝、研究所のエレベーターホールに貼ってあったポスターですが、研究所でも皆さん、サッカー観戦するようですね。宿敵?ドイツが相手ですから。
長女のお迎えは、今日は私の担当ですが、雲行きが怪しいのですが天気が大丈夫であれば、私が長女や友達の放課後バスケットボールの面倒を見る予定です。雨の場合は、屋根のあるところで長女の個人トレーニング。
昨夜、義理の母がカレーの下準備をしてくれていたので、今朝起床後に私がカレールーと生クリームで味付けをして、今日は長女、次女、私はカレー弁当になりました。
私も今日は朝から元気でして、以下のようなスケジュールになりそうです。
朝は子どもたちのお弁当を準備して、長女の送り。いつもと違うルートで通勤しましたが、何と、いつもよりも早く着きました。お気に入りのメトロ6号線での通勤は、時間の面では最短ルートでないことが判明。ですが、愛しい6号線を発見できたのは、人生の宝になることでしょう。また、やはり「思考」には6号線ののんびりした時間が適切であることを、今日、再認識しました。急がば回れ?
通勤の電車の中で、レ・ミゼラブルの下巻(上・中・下)の後半を読みました。非常に有名な、ジャン・ヴァルジャンがマリユスをかついでパリの下水道を逃げるシーンでした。次女と下水道博物館に行ったこともあり、また、レ・ミゼラブルに出てくるパリの様々な地名に馴染んでいることもあり、相当にのめり込んで読んでいました。今夜、レ・ミゼラブルも読了することと思われます。
昨日、自分の中では今のところ最も苦痛な仕事に久しぶりに着手し、始めてみると思っていたよりも楽しい?ことに気付き、今日はその仕事をなるべく前進させます。今週末に目鼻を整え、来週の平日で片を付け、解放感とともにナイジェリア出張に向かいたいと思います。ナイジェリア出張中は、ホテルで暇があると思うので、 JCIランドマーク委員会の報告書(角田先生、池田先生、岡村先生のインタビュー)を書き上げたいと思っています。
今日は、子どもたちと同じカレー弁当に、アスパラガス、おいしいメロンのデザートも持参しているので、ランチまで全力で仕事をするつもりです。指導学生とのスカイプ打ち合わせも2件ありますが。
長女のお迎えに出発してからは、前述の長女、家族のスケジュールに合流。私も楽しみです。ごくごく日常なのですが、楽しく朝を迎えられるということは幸せなことですね。
母親が日本短期出張中の家族なので、子どもたち二人と私との三人で、お互いを思いやりながら、連携しながら日常を紡いでおります。
昨日、長女が以下のような話をしました。
「今日のパパのお弁当は本当においしかった。特にアスパラガスの味がよくて。」
私もうれしかったので、「それはうれしいことを言ってくれるねえ」と返しました。
その後、
長女「おばあちゃんが来てくれてた間、おばあちゃんがお弁当を作ってくれてたのだけど、お弁当の採点をしてたよ。」
父「採点?」
長女「そう。100点が合格。」
父「え?それすごく厳しくない?」
長女「いやそんなことないよ。今日のお弁当を採点してみようか?アスパラガスが20点でしょ。」
どんな採点なのか、とても気になりましたが、
長女「おにぎりもすごくおいしくて60点。これで80点でしょ。ソテーもすごくおいしくて40点くらいかな。」
どうやら加算法のようでして、全部足すと200点近く行っていました。
長女「ほらね、すぐに合格するでしょ。」
とのことでした。減点法ばかりが蔓延する世の中で、上限無しの加点法で採点されるとすごくうれしくなりました。
大した娘だと思いますが、世の中もそうありたい???
長期出張からパリに戻っての最初の週ですが、徐々にペースを取り戻しつつあります。
入れ替わりで奥さんが日本出張に行ってしまったこともあるのですが、パリに戻る前に私の中でより家族を大切に思う気持ちが強くなり、子どもたちにそのように接しているつもりですが、子どもたちも理解してくれているようで、三人でスクラムを組んで楽しくやっています。
今日は久しぶりにフランス語のレッスンで、その後、マルシェで次女とお買いもの。そして久しぶりの水曜日散歩です。
日常をしっかりと過ごしつつ、研究業務に時間を割けるよう、徐々にシフトです。
オスロからパリへの飛行機の搭乗開始まであと15分足らず。変わらずいろいろなことを考えています。
日本の置かれている非常に厳しい状況や、少しでも改善していくための方策など、理解は進んできているつもりです。そして、この現代において、しっかりと家族を営むこと、子育てをしっかりとしていくこと、夫婦関係をしっかりしていくことがいかに難しいことであるのかも、徐々に理解が深まってきています。
私の家族も健闘しているとは思いますが、日々の中で悪戦苦闘することも非常に大事ですが、それよりも、今の時代がどれほど大変な難しい時代であるかを適切に認識することの方がより重要であると感じています。それを、すべて伝える必要はないけれど、家族のメンバーに分かりやすく伝え、結束力を強めることは私のリーダーシップかと思います。
とにかく子どもたちが大事。いかに彼女たちの大きな可能性を引き出してやるか。この難しい時代においては、父親もいろんなことを考えて場を整備してやる必要があり、これまでもベストを尽くしてきたつもりではありますが、もっと努力しようと思いました。
奥さんとの関係もしかり。これまでは反省点だらけですが、大変な時代に家族を運営している同志であることを誇りに思い、愛情を素直に伝え合える環境整備に私も努力したいと思います。
今回の出張中は、私の研究の本命の現場を次々と巡り、多くの方々とコミュニケーションを重ねてきましたが、もうすぐ私の最愛の現場に戻ります。
子どもたちがどのように迎えてくれるか楽しみですが、さっそく明日の朝は、次女のお弁当作り、運動会の代休でお休みの長女との触れ合いから始まります。楽しみです。
長女が4年生になりました。新しい女性の先生のご指導のもと、日々の勉強を頑張っています。宿題も増えたようで、家でも頑張って勉強しています。
日記帳に毎日日記を付けることになったそうで、初日の日記を長女が書いていたときに、「コツを教えてあげようか?」と話しました。何せ、ブログをかれこれ20年近く続けている実績を持っておりますので。。。
長女の日記帳の最初のページをのぞいてみると、 「案の定」、筆が進まずにページの途中で止まっていました。
そこで、日記のタイトルをまず考えることを、ほぼ唯一のコツとして伝えました。
とにかく伝えたいこと、読んでほしいことの要点が何なのかをよく考え、それを日記のタイトルにすることを教えました。さらに、日記の内容はポジティブな内容でも、ネガティブな内容でも構わず、とにかく自分が感じたこと、考えたことであれば何でもよい、と教えました。
そうすると、とたんに書きやすくなったようで、日々もりもりと日記を書いています。
以上のコツを伝えたとき、長女が、「ああ、パパの日記の『時代遅れ』みたいなタイトルね。」と言っていました。私がブログを書いていることは知っており、「時代遅れ」の記事の内容は長女にも話してやったので、覚えているようです。
「そうそう、その通り。「時代遅れ」というパパのブログのタイトルを聞くと、何となくどんなことが書いてあったのか内容が思い浮かぶでしょ?それが大事なんだよ。書きたいことを適切に表すタイトルを付けること、それが本当に大事。そして、頭の中でぼやっと思ったことを、文章にきちんと書けるようになること、これがとても大事。日記はそのとても良い訓練になるから、続けるとよいよ。」
と話しました。毎日、頑張って面白い日記を書いておられるようです。