関東周辺の温泉入湯レポや御朱印情報をご紹介しています。対象エリアは、関東、甲信越、東海、南東北。
関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
■ 秋田方式 & 長野方式
〔ご案内〕
このデータは、平成23年3月に発生した東日本大震災に関連する情報です。
令和元年6月18日夜に発生した山形県沖を震源とする地震に係る情報ではありません。
ご注意願います。
各都道府県の被災者受入策が出そろってきて、それぞれのちがいが明確になってきました。
なかでも特色があるのは秋田県と長野県ではないでしょうか。
1.秋田県の場合
●コミュニティー維持のため、町内会や地区単位で被災者を受け入れる
●避難者が一時帰郷を望む場合、車で送迎する
●長期滞在の希望者に住居を紹介する
といった方策を骨子とし、「秋田方式」として4/11に開かれた避難者受入に関する都道府県担当者会議で高く評価されたといいます。
しかし、県内では一時的避難先として9800人分のホテルや旅館が用意されているにもかかわらず、実際には約370人の利用にとどまっているとのこと。
今後、仮設住宅への完成・移転までに、町ぐるみで避難できる「2次避難所」のニーズが高まる可能性があるので、「秋田方式」が威力を発揮するかもしれません。
(→ 4/15 さきがけ on the Web)
2.長野県の場合
4/14に発表した「信州安らぎの逗留村」構想で、官民挙げての集団避難支援をめざしています。
●被災した自治体や地区などコミュニティーごとの集団避難を受入
●被災者受入に不可欠な教育や福祉、心のケアなど幅広い分野について、市町村や社会福祉協議会、医師会、NPO団体などと連携して「官民を挙げて」支援
●避難場所は災害救助法に基づく避難所に指定し、避難者の食費や住居費などは、最終的に被災県と国が負担
●緊急雇用創出基金を活用した被災者の就労支援
●農業法人による被災者雇用の助成
など、かなり踏み込んだ施策が打ち出されています。
(→ 4/15 毎日jp)
一部の一次避難所では、震災発生以来、一度もお風呂に入っていないなど、依然として劣悪な環境におかれている被災者がいるそうです。
肉親や親族が行方不明、遠くに離れてしまうと情報が入らず、仮設住宅の確保に不利など、被災地を離れられない事情があるのだと思いますが、こういうニュースをきくにつけ、数日でも心身を休ませる場が必要な気もします。
■ 一部避難所の状況
(→ 4/15 毎日jp)
→ 宮城県の市町村別避難所・避難者リスト
長野県がつかった「逗留村」、これ言葉のつかいかた巧いかも・・・。
「避難」でもなく「移住」でもなく「逗留」。
-逗留-
旅先などに一定期間とどまること。滞在。「湯治場に三か月間―する」
とりあえず、いったんどこかに落ちついて心身を休め、元気をつけたらまた戻っていく。
もしかしたら、こういう考え方が受け入れられやすいかもしれません。
〔追記〕
■ 一郷一会のメンバーからのご意見です。
---------------------------------
秋田方式にしても長野方式にしても、現在の被災者受け入れについて、実績で新潟県と比較すると現在は完敗です。
なぜ新潟県かというと、やはり一番最近の中越地震の教訓か、マスコミにもあまり報道されていないが、ノウハウってものがあるのではないでしょうか?
いくら理想的な制度政策を行っていても後手後手に回っていては効果はあまり期待できません。
つまりはスピードの時間軸が抜けていると私は考えています。
被災者や避難地にきちんとしたアナウンスされていないのもひとつの問題点であります。
あまり政治的な話をしたくはないのですが、現政府において次のビジョンをどんどん出さなければならないのに、なにもしないってどういうことって思います。
中長期はともかく、短期における内陸地移動は、ともかく早急にビジョンを打ち出してほしい。
片品の村長みないなひとがいればいいのだが、100%自分たちの思いどおりになったのが片品村と、今度のNPO2泊3日のショートステイ。
実は理想的なベストよりベターが求められているのかもしれない。
---------------------------------
たしかに、初動対応(=スピード感)という点では、新潟と群馬は群を抜いていました。
ただし、それは県主導というより、片品村や関川村など、市町村単位の動きだったように思います。
いずれにしても、こういうときは先手がポイント、とにかく走り出し、走りながら考える。
そして、できることを、わかりやすく簡潔に、しかもリアルタイムに現地に伝える。
そういうことが大切なのかと思います。(制度論は後付けでもなんとかなるものでは・・・?)
だから、理想的なベストよりベター、この考えはわたしも同感です。
〔追記の追記〕
■ さらに一郷一会のメンバーからのご意見です。
---------------------------------
被災者一人ひとりが違うのですが大きく分けて、津波に家を流されて仮設住宅待ちの被災者と、原発関連の被災者とは、同じ避難といっても状況がかなり違うのです。
(両方もっている方も当然います。)
実は、片品村の被災者から聞いたのですが、仙台周辺では復興の影響で物凄い人手不足で、人探しに苦労しているそうです。
原発周辺の被災者は帰る家があっても、帰れないので仮設住宅の建設待ちもほとんどないわけで、より遠くへ、また仕事のありつける場所へと、避難所を転々としているのです。
仕事はあるが家がない被災者と、家はあるが仕事がない被災者と、ひとくくりにできないのが今回の震災です。
ですから、長野方式は福島の被災者、秋田方式(ショートステイ含む)は岩手、宮城の被災者に向いています。
このデータは、平成23年3月に発生した東日本大震災に関連する情報です。
令和元年6月18日夜に発生した山形県沖を震源とする地震に係る情報ではありません。
ご注意願います。
各都道府県の被災者受入策が出そろってきて、それぞれのちがいが明確になってきました。
なかでも特色があるのは秋田県と長野県ではないでしょうか。
1.秋田県の場合
●コミュニティー維持のため、町内会や地区単位で被災者を受け入れる
●避難者が一時帰郷を望む場合、車で送迎する
●長期滞在の希望者に住居を紹介する
といった方策を骨子とし、「秋田方式」として4/11に開かれた避難者受入に関する都道府県担当者会議で高く評価されたといいます。
しかし、県内では一時的避難先として9800人分のホテルや旅館が用意されているにもかかわらず、実際には約370人の利用にとどまっているとのこと。
今後、仮設住宅への完成・移転までに、町ぐるみで避難できる「2次避難所」のニーズが高まる可能性があるので、「秋田方式」が威力を発揮するかもしれません。
(→ 4/15 さきがけ on the Web)
2.長野県の場合
4/14に発表した「信州安らぎの逗留村」構想で、官民挙げての集団避難支援をめざしています。
●被災した自治体や地区などコミュニティーごとの集団避難を受入
●被災者受入に不可欠な教育や福祉、心のケアなど幅広い分野について、市町村や社会福祉協議会、医師会、NPO団体などと連携して「官民を挙げて」支援
●避難場所は災害救助法に基づく避難所に指定し、避難者の食費や住居費などは、最終的に被災県と国が負担
●緊急雇用創出基金を活用した被災者の就労支援
●農業法人による被災者雇用の助成
など、かなり踏み込んだ施策が打ち出されています。
(→ 4/15 毎日jp)
一部の一次避難所では、震災発生以来、一度もお風呂に入っていないなど、依然として劣悪な環境におかれている被災者がいるそうです。
肉親や親族が行方不明、遠くに離れてしまうと情報が入らず、仮設住宅の確保に不利など、被災地を離れられない事情があるのだと思いますが、こういうニュースをきくにつけ、数日でも心身を休ませる場が必要な気もします。
■ 一部避難所の状況
(→ 4/15 毎日jp)
→ 宮城県の市町村別避難所・避難者リスト
長野県がつかった「逗留村」、これ言葉のつかいかた巧いかも・・・。
「避難」でもなく「移住」でもなく「逗留」。
-逗留-
旅先などに一定期間とどまること。滞在。「湯治場に三か月間―する」
とりあえず、いったんどこかに落ちついて心身を休め、元気をつけたらまた戻っていく。
もしかしたら、こういう考え方が受け入れられやすいかもしれません。
〔追記〕
■ 一郷一会のメンバーからのご意見です。
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秋田方式にしても長野方式にしても、現在の被災者受け入れについて、実績で新潟県と比較すると現在は完敗です。
なぜ新潟県かというと、やはり一番最近の中越地震の教訓か、マスコミにもあまり報道されていないが、ノウハウってものがあるのではないでしょうか?
いくら理想的な制度政策を行っていても後手後手に回っていては効果はあまり期待できません。
つまりはスピードの時間軸が抜けていると私は考えています。
被災者や避難地にきちんとしたアナウンスされていないのもひとつの問題点であります。
あまり政治的な話をしたくはないのですが、現政府において次のビジョンをどんどん出さなければならないのに、なにもしないってどういうことって思います。
中長期はともかく、短期における内陸地移動は、ともかく早急にビジョンを打ち出してほしい。
片品の村長みないなひとがいればいいのだが、100%自分たちの思いどおりになったのが片品村と、今度のNPO2泊3日のショートステイ。
実は理想的なベストよりベターが求められているのかもしれない。
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たしかに、初動対応(=スピード感)という点では、新潟と群馬は群を抜いていました。
ただし、それは県主導というより、片品村や関川村など、市町村単位の動きだったように思います。
いずれにしても、こういうときは先手がポイント、とにかく走り出し、走りながら考える。
そして、できることを、わかりやすく簡潔に、しかもリアルタイムに現地に伝える。
そういうことが大切なのかと思います。(制度論は後付けでもなんとかなるものでは・・・?)
だから、理想的なベストよりベター、この考えはわたしも同感です。
〔追記の追記〕
■ さらに一郷一会のメンバーからのご意見です。
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被災者一人ひとりが違うのですが大きく分けて、津波に家を流されて仮設住宅待ちの被災者と、原発関連の被災者とは、同じ避難といっても状況がかなり違うのです。
(両方もっている方も当然います。)
実は、片品村の被災者から聞いたのですが、仙台周辺では復興の影響で物凄い人手不足で、人探しに苦労しているそうです。
原発周辺の被災者は帰る家があっても、帰れないので仮設住宅の建設待ちもほとんどないわけで、より遠くへ、また仕事のありつける場所へと、避難所を転々としているのです。
仕事はあるが家がない被災者と、家はあるが仕事がない被災者と、ひとくくりにできないのが今回の震災です。
ですから、長野方式は福島の被災者、秋田方式(ショートステイ含む)は岩手、宮城の被災者に向いています。
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■ 春日温泉 「もちづき荘」 〔 Pick Up温泉 〕
春日温泉 「もちづき荘」
住 所 :長野県佐久市春日温泉5921 (旧 北佐久郡望月町)
電 話 :0267-52-2515
時 間 :8:00~21:00 / 原則無休
料 金 :400円
■ オフィシャルHP
■ 紹介ページ (@nifty温泉)
■ 紹介ページ (MAPPLE 観光ガイド)
■ 紹介ページ (BIGLOBE温泉)
震災後の再開初レポです。
佐久平の西にある望月は、かつて中仙道の有力な宿場町で、本陣、脇本陣、問屋がおかれていました。
ここから蓼科山にかけてなだらかにつづく「御牧ヶ原」は、奈良時代末期から朝廷に献上する料馬を産するすぐれた御牧として知られ、この牧で育まれる名馬・月毛の駒(望月の駒)は都人の憧れであったと伝わります。
蓼科を背に、千曲川を距てて浅間連嶺に相対するこの地はまた、眺望の地としても名高いところ。
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そこから一里余りを降った望月で、或る日もっと広々とした眺望が欲しく、私は坂を上って丘の上へ出た。
蕎麦が花咲き柿の実がいよいよ重くなる信州の夏の終り、丘の上は晴朗な風と日光との舞台だった。
北方には絵のような御牧ガ原の丘陵を前にして、噴煙をのせた浅間から烏帽子へつらなる連山の歯形。
南にはその美しい円頂と肩とを前衛に、奥へ奥へと八ヶ岳まで深まりつづく蓼科火山群と、豊饒の佐久平をわずかに隠したその緩やかな裾。
さらに西の方にはきらきら光る逆光につかった半透明の美ヶ原溶岩台地、そして東は遠く淡青いヘイズの奥に蛍石をならべたような物見・荒船の国境連山と、其処に大平野の存在を想わせる特別な空の色。
それは晴れやかな、はろばろとした憂鬱な、火山山地の歌であった。
(尾崎喜八著 「山の絵本」 たてしなの歌 より)
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【写真 上(左)】 温泉入口
【写真 下(右)】 看板
その「御牧ヶ原」の一角に春日温泉があります。
開湯は延宝年間(1673~1681年)、「万病に効果著しきこと他に比いなし」と称揚され、肌がつるつるになる”玉肌の湯”としても知られていますが、名湯ひしめく信州ではわりに地味な湯場です。
数軒の日帰りできる宿があり、かけ流しの情報があったここに入ってみました。
【写真 上(左)】 案内板
【写真 下(右)】 若山牧水の歌碑(源泉公園)
ちょうど4月に行ったので、あたりの桜が満開でした。
立派な公共施設系のつくりで、スタッフはとても親切。国民宿舎なので日帰りでも気軽に入りやすい雰囲気です。
浴場は宿泊者専用の「岩風呂」(別館2階)と日帰り可の「滝風呂」(本館1階)があって、ともにかけ流し、飲泉可のようです。
【写真 上(左)】 フロントまわり
【写真 下(右)】 浴場入口
「滝風呂」です。浴場手前には”滝風呂”という暖簾がかかっています。
広めでつかい勝手のいい脱衣所。あかるい浴室に手前から、打たせ湯、ジャグジー、主浴槽(みかげ石枠タイル貼7-8人)がならびます。
浴槽のあちこちに石膏系のクリーム色の析出がでています。
【写真 上(左)】 男湯入口
【写真 下(右)】 脱衣所
カラン5(たぶん温泉)、シャワー・シャンプー・ドライヤーあり。
土曜11時で4人~独占。
【写真 上(左)】 石膏の析出
【写真 下(右)】 主浴槽
主浴槽はかなり広めながら、手すりがちょうど頭に当たる位置に設えられているので、快適に入れる場所が意外にすくないのが難か。
鉄平石の湯口からかなりの量の熱湯を投入で、湯口のうえにはコップがおかれ、飲泉可の掲示も。
浴槽内にある注排湯口はふさがれていて、お湯の鮮度感からしても投入全量を豪快にオーバーフローのかけ流しとみました。
【写真 上(左)】 湯口
【写真 下(右)】 豪快なオーバーフロー
全槽のお湯に大差はないので、主浴槽のみレポします。
やや熱めのお湯はほぼ無色透明で浮遊物なし。湯中の指先がよわく青白に発光しています。
よわい芒硝味で飲みやすく、よわく石膏系のほんわかとした湯の香。
味臭は建物の上にある源泉公園の非加温源泉とほぼ同じなので加水はないと思います。
【写真 上(左)】 源泉公園
【写真 下(右)】 源泉
肌がコーティングされるような、つよめのヌルすべにびっくり。なるほど”玉肌の湯”と謳うだけのことはあります。
これは、pH=9.6というアルカリ性と陰イオンの主成分が炭酸イオン(CO_3^2-=80.83mval%)というスペックによるものと思われます。
【写真 上(左)】 飲泉可の掲示
【写真 下(右)】 県歌「信濃の国」
あたたまりは意外につよく、適度なとろみもあって、総計=166mg/kgとは思えない浴感も感じます。
クセもの湯揃いの東信・佐久エリアでは、おとなしいイメージのお湯ですが、さすがに古湯らしいしみじみとした趣。
微妙に行きにくいエリアながら、渋めのお湯好きは納得できる湯場だと思います。
〔 源泉名:春日温泉 〕
アルカリ性単純温泉(Na-(CO3)型) 25.0℃、pH=9.6、湧出量=120L/min掘削自噴、成分総計=166.6mg/kg
Na^+=26.9mg/kg (94.36mval%)、Fe^2+=0.12、Cl^-=2.5 (5.39)、OH^-=0.7、SO_4^2-=3.3 (5.39)、HPO_4^2-=1.6 (2.62)、CO_3^2-=31.5 (80.83)、陽イオン計=29.4 (1.24mval)、陰イオン計=40.8 (1.30mval)、メタけい酸=96.4 <H17.12.10分析>
<温泉利用掲示>
加水:なし 加温:あり かけ流し(放流式) 殺菌剤使用:なし
■ブランドグルメ
〔 望月(佐久)の朝鮮人参 〕
佐久地域では朝鮮人参が栽培されていて、なかでも佐久市協和(旧望月町)には朝鮮人参の加工企業が集まっています。
メインは人参粉末、人参エキス、人参茶など。生の朝鮮人参は9月から10月頃の販売のようです。
〔 2011/04/17UP (2008/04入湯) 〕
E138.20.25.091N36.11.31.896&ZM=6
※ ここは被災者受入しています。(→ 資料)
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