プロ野球パ・リーグが、昨日開幕した。
いよいよ、ペナントが始まった。
今年は、松坂や井川のメジャー行きなど、
話題はそちらに集中していた感じであるが、
楽天・田中など新人選手の活躍も楽しみだ。
そして、昨年限りでユニフォームを脱いだ選手も多い。
日本ハムの新庄のように、最後まで華やかに去った選手もいた。
しかし、そんな中で、
ある一人の投手が、球界を去った。
横浜・村西哲幸投手。
私が思うには、どこか悲運があるように思える選手だった。
1999年、滋賀・比叡山高校のエースとして、
春夏の甲子園に出場する。
「近畿のドクターK」と騒がれ、評判の高かった投手だった。
しかし、
春は、沖縄尚学に0-1。 夏は、桐生第一に0-2。
ともに一回戦で敗れた。
しかも、春夏とも大会初日で、
この、村西を打ち敗った両校が、ともに優勝する。
優勝校と当たった不運。しかも、接戦の末の敗退。
打線の援護がなかった。
比叡山は、滋賀の常連校ではあるが、
この年だけは、ホームが遠かった。
夏、桐生第一に敗れ、スタンドに挨拶したあと、
その場で座り込んで泣きじゃくった村西投手。
とても印象に残っている。
彼自身は、ベストピッチングだった。
その年、横浜ベイスターズに、ドラフト3位で入団。
長嶋茂雄氏が、「将来大物になる」と太鼓判を押した。
プロでの、活躍が期待された。
しかし、
プロ7年間の成績は、0勝0敗0セーブ。
甲子園でのホームベースが遠かったように、
また、彼には一つの数字も記されなかった。
1敗、ならば
それはそれで、一軍で投げた証しになる。
村西投手は、一軍にも昇格したが、
勝ちも負けも、縁がなかった。
まじめで、おとなしい性格だったようだ。
もっと、強気に自信を持てば、
大成したかもしれないと言われている。
二度の甲子園。7年のプロ人生。
「0」に終わった村西投手。
しかし、これからの人生では、
たくさんの、価値ある数字を残して戴きたいと思う。
横浜は、今シーズン44歳の工藤投手を迎え、
30日、巨人との開幕戦に臨む。
工藤は26年目。通算215勝。
これも、人生である。
いよいよ、ペナントが始まった。
今年は、松坂や井川のメジャー行きなど、
話題はそちらに集中していた感じであるが、
楽天・田中など新人選手の活躍も楽しみだ。
そして、昨年限りでユニフォームを脱いだ選手も多い。
日本ハムの新庄のように、最後まで華やかに去った選手もいた。
しかし、そんな中で、
ある一人の投手が、球界を去った。
横浜・村西哲幸投手。
私が思うには、どこか悲運があるように思える選手だった。
1999年、滋賀・比叡山高校のエースとして、
春夏の甲子園に出場する。
「近畿のドクターK」と騒がれ、評判の高かった投手だった。
しかし、
春は、沖縄尚学に0-1。 夏は、桐生第一に0-2。
ともに一回戦で敗れた。
しかも、春夏とも大会初日で、
この、村西を打ち敗った両校が、ともに優勝する。
優勝校と当たった不運。しかも、接戦の末の敗退。
打線の援護がなかった。
比叡山は、滋賀の常連校ではあるが、
この年だけは、ホームが遠かった。
夏、桐生第一に敗れ、スタンドに挨拶したあと、
その場で座り込んで泣きじゃくった村西投手。
とても印象に残っている。
彼自身は、ベストピッチングだった。
その年、横浜ベイスターズに、ドラフト3位で入団。
長嶋茂雄氏が、「将来大物になる」と太鼓判を押した。
プロでの、活躍が期待された。
しかし、
プロ7年間の成績は、0勝0敗0セーブ。
甲子園でのホームベースが遠かったように、
また、彼には一つの数字も記されなかった。
1敗、ならば
それはそれで、一軍で投げた証しになる。
村西投手は、一軍にも昇格したが、
勝ちも負けも、縁がなかった。
まじめで、おとなしい性格だったようだ。
もっと、強気に自信を持てば、
大成したかもしれないと言われている。
二度の甲子園。7年のプロ人生。
「0」に終わった村西投手。
しかし、これからの人生では、
たくさんの、価値ある数字を残して戴きたいと思う。
横浜は、今シーズン44歳の工藤投手を迎え、
30日、巨人との開幕戦に臨む。
工藤は26年目。通算215勝。
これも、人生である。