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貴方は もう忘れたかしら
赤い手拭い マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
「一緒に出ようね」って 言ったのに
いつも私が 待たされた
洗い髪が芯まで冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った
貴方は 私の身体を抱いて
「冷たいね」って 言ったのよ
若かったあの頃 何も怖くなかった
ただ貴方のやさしさが 怖かった
貴方は もう捨てたのかしら
二十四色の クレパス買って
貴方が描いた 私の似顔絵
「うまく描いてね」って 言ったのに
いつもちっとも 似てないの
窓の下には 神田川
三畳一間の 小さな下宿
貴方は 私の指先見つめ
「悲しいかい」って 聞いたのよ
若かったあの頃 何も怖くなかった
ただ貴方のやさしさが 怖かった
かぐや姫「神田川」。
今から34年も前、1973年のヒット曲だ。
今さら、この曲を振り返ったり、
懐かしむようなメモリアルな出来事はない。
しかし、東京に住む私にとって、
この曲はどこか、身近なせつなさを覚える。
神田川、といっても、
この曲の舞台となったのは、早稲田付近だ。
作詞の喜多条忠氏は、早稲田大学の出身で、
実際に同棲していた、自身の学生時代を基に作られた。
三畳一間の小さなアパートは、
今は都区内にはないと思われる。
十数年前、テレビで、
「神田川沿いの三畳部屋のアパート」を探した番組があった。
高田馬場に一件あった。
歌詞の通り、三畳一間の小さな部屋。
流し台の窓を開けると、眼下に神田川。
外国人が住んでいた部屋だった。
もう今はないだろう。
そして、ふたりで行った横丁の風呂屋。
現在の、西早稲田交差点近くにあった銭湯がモデルだった。
この銭湯も、もう廃業されている。
1973年は、
大学の学園闘争や、国鉄のスト、光化学スモッグなど、
日本は経済成長真っ只中にあって、
犠牲を払っていた時期である。
神田川も、この当時は悪臭漂う川だった。
そんな中、未来に夢を持ったり悲観したり、
いったりきたりの現実の中にいた大学生。
そんな二人の恋人が同棲した小さなアパート。
この曲は、喜多条氏の学生時代の回想ではあるが、
見事に、この年の時代背景にマッチしている。
あなたのやさしさが こわかった・・。
優しさに包まれた恋は、
失ったときに大きいもの。
一緒に銭湯から、神田川沿いの道を歩いて帰った思い出は、
一生残るのだろう。
アパートがなくなっても、
銭湯がなくなっても、
神田川がきれいになっても。
私の中で、一番せつない名曲である。
1973年の時代背景を考えると、更に、胸が苦しくなる歌ですね…。
どんな場所にも、きっとそれぞれの歴史があるんだろうな…と、ふと思いました。
詞の通りの思い出がおありだったんですね。
素敵です! 一生忘れられないのでは・・?
青葉さんは、東京の方ですか?
下町の銭湯も少なくなりました。
今の時代だと、もう歌にもならないですね。
「神田川」は、時代と恋愛とが、
短い歌詞の中に収められている名曲だと思っています。
高校を卒業すると、大学や専門学校へ進学する為に、多くの友達が東京へ行きました。私は、その当時、映像関係の仕事に付きたいと言って、敢えて過酷な状況で頑張っていた人と付き合っていて。小劇場や、一般には公開されない映画などをよく見に行ったりしていました。
とても懐かしい思い出です。
素敵ですね。ドラマの主人公のようです。
今は、その人や町と、まだ繋がりはありますか・・?
せつない思い出ほど、大切にしてほしいと思います。
青葉さんは、東京の西って・・ 山梨ですか?
だとしたら、私の両親も山梨です。よく行くんですよ。
コメント、本当にありがとうございます。
青葉さんもブログを持っていらっしゃるのなら、拝見したいです☆
若かりし頃の、青い想い出です。
私のブログを是非紹介したかったので、以前カノンさんのgooメールに一度送ってみたのですが、エラーで戻ってきてしまいました…。(涙)何故でしょう。
とても良いつながりじゃないですか。
年に一度・・といっても、年賀状と同じなわけですし、
相手のことを思って書く(打つ)のですから、充分つながりがありますよね。
大切になさってくださいね。彼も、メールも。
ブログ、是非紹介してください♪
メール、特に拒否の設定とかしてませんが・・。
もしよろしければ、もう一度送って頂くか、
URLを貼って戴けると嬉しいです。
どんなブログなんでしょう・・☆