新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

境内で今川義元公の首検証が行われた…緑区の長福寺を参拝する…

2020-09-04 05:44:26 | 歴史史跡
名古屋市緑区にある

長福寺を参拝する…





長福寺は…
西山浄土宗のお寺院で
山号は和光山
本尊は阿弥陀如来さまとのこと…








この解説板を熟読していただければ
ああ、そんなお寺だったんだ…と気づかれると思うんですが…




天文7年に、善空南立和尚が創建された
この長福寺は
桶狭間の戦いにおいて敗死した今川義元の供養寺なんですよ!!

桶狭間の戦いと言えば
織田信長vs今川義元の戦い




織田軍のほうは2000から3000人といわれる軍勢に対して
今川軍は駿河・遠江・三河の三国を制し、2万人とも4万5000人とも言われる大軍勢…

どうして今川義元が負けちゃったのか…
フツーに考えてみても数の利からみても
織田軍に負ける訳ないのに

織田軍の
「迂回奇襲説」が正しいのか
「正面奇襲説」が正しいのか
あるいは、強烈なサポーターを従えて
「ホーム」である地の利を生かして勝ったのか…

みれるものならみてみたい…戦いではあるけれども…


とにかく
その桶狭間の戦いで
やられちゃった今川義元が眠る寺
なんですね…


このお寺は
桶狭間の戦いの際には
当地に到着した今川勢に酒食を提供し、労をねぎらったとか…


ビジターチーム
たとえば、阪神タイガースの選手が宿泊する
ヒルトンホテル??のようなものだったんですね???


でも鬼門と呼ばれる
ナゴヤドームで
阪神タイガースはどんなに負けても
次のゲームに向かって移動するだけですが…


桶狭間の戦いは
負けても…じゃあ、移動で…明日も戦いがあるので…で…すむ…訳がない…


「首検証」





桶狭間の戦いの後、今川義元公の茶坊主であった林阿弥が
織田方に捕えられ、義元はじめ今川方武将の首実検を命ぜられた
場所が…ここなんだそうな…





供養杉としてある大杉は
伊勢湾台風によって倒れてしまって
現在は2代目の供養杉とのこと…




木に書かれた
説明板は文字が消えかけてて
判読不能…





すぐそばには
桶狭間合戦供養塔がありました…





林阿弥は織田軍から許されて故郷に帰ったが

後に回向のために当寺を訪れた際に納めた
阿弥陀如来が現在の本尊であるとか…


本堂にて合掌…









奥にいらっしゃる
本尊の阿弥陀如来さまに合掌





堂内には今川義元公と今川氏の家臣松井宗信公の木像も安置されているとか


こちらは
薬師堂








薬師如来さまはこの中に
いらっしゃるのでしょうか…





観音堂…

西国三十三観音さまがずらっと並ぶ光景は
実にシュール…





仏様じゃなくて
観音様が…ずらっと並んでいるんですよ…





境内に…
他には…

地蔵堂があったり





鐘楼があったり





そうそう…
本堂に貼ってあったこのポスター



桶狭間古戦場公園にある
織田信長公と今川義元公の像なんですが…


腰を下ろして
座っている今川義元公の方が
貫禄があるように思えちゃうのは
私の気のせいでしょうか…






長福寺の境内には
「弁天池」がありました…



この池…殺生は禁じられた池だったようで
ここで血のついた刀や鎧を洗ったとか…
血刀濯ぎの池とされる「弁天池」















祀られているのは「弁天池」だけに
もちろん弁財天さま

のおかげで
ここが…血刀濯ぎの池だったと
思われないほど…
穏やかな風景でした…






ちなみに
この長福寺が
『桶狭間発祥の地』


長福寺にある泉に浮かぶ桶が廻る様子から
「おけはざま」(桶廻間)の地名が生まれたとする説があるとか…



いやあ…ここにきて
また雑学の知識が一つ増えましたね…ありがたや!ありがたや!




では
ブログの〆にオチをつけて



「義元の桶狭間」






「ヨシモトノオケハザマ」


「吉本のOK!はざま!」
…笑


お後がよろしいようで…