新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

桶狭間合戦…瀬名伊予守氏俊の史跡を訪ねて…「瀬名氏俊陣地跡」と桶狭間神明社と「戦評の松」と…

2020-09-05 07:19:20 | 歴史史跡
桶狭間の戦いと言えば
織田信長vs今川義元の戦い




織田軍のほうは2000から3000人といわれる軍勢に対して
今川軍は駿河・遠江・三河の三国を制し、2万人とも2万5000人とも言われる大軍勢…

どうして今川義元が負けちゃったのか…
フツーに考えてみても数の利からみても
織田軍に負ける訳ないのに

織田軍の
「迂回奇襲説」が正しいのか
「正面奇襲説」が正しいのか
あるいは、強烈なサポーターを従えて
「ホーム」である地の利を生かして勝ったのか…

もし「生」でみれるものなら絶対みてみたい…戦いではある
「桶狭間の戦い」



今回…
その戦いの史跡巡りで
クローズアップするのは…


織田信長公でも
今川義元公でもなく…


駿河今川氏の家臣として仕えていた
武将、瀬名氏俊

その陣跡がありまして…

桶狭間合戦の時は
今川軍の先鋒隊として
義元公が桶狭間に到着する前から
ここで陣をはってたと言われる場所


桶狭間の決戦場となったところから
すぐ近く…

大池のそばに…



それを知らせる石碑と案内看板がありました…

「瀬名氏俊陣地跡」













石碑と看板以外何も見当たりません!


ただこのシチュエーション
妄想歴史マニアにとってはたまらない…


目を閉じれば
浮かび上がってくる
お顔も知らぬが
瀬名伊予守氏俊氏の後ろ姿…

BGMは
あみんの「待つわ」???


♪私待つわ いつまでも待つわ~




今川義元公の到着を
首を長くして待っていた??ことでしょう!!


いや、ただこの場にぼーと立ちすくんでいたのではありません!!


瀬名氏俊さま

近くの
桶狭間神明社に
必勝祈願にも行っていたようです…


桶狭間神明社






神社の起源は、はっきりしていないそうで
桶狭間村開村の祖である南朝の落武者によって奉祀されたとか…



そんな桶狭間神明社…


ご祭神として祀ってあるのは
天照大神さま…





境内には、いたるところに
13の末社が祀られていました…
















手水舎には
亀がどどんと…








いくらなんでも
亀の口にストローをつっこまなくても…苦笑
かなり不格好…

そんなことを思いながらも
手を清めて

拝殿にて
「二礼二拍手一礼」





本当に歴史を感じる
狛犬…


瀬名伊予守氏俊氏も眺めていたに違いない

やがては…風化して犬に見えなくなる日が
やってくることでしょう…


拝殿の横に、尾張4代藩主・徳川吉通が知多巡行された時に植えた杉が
枯木になってましたが、ありました…









瀬名氏俊さまが
必勝祈願に参拝されたときには
なかったんですね…



参拝後は
境内を散策



常夜灯の台座であった


盃状穴








森の歴史を物語る老樹


単に…御神木といわないところに
桶狭間神明社のこだわり??
が感じられますな…











境内の中央に


神楽殿





さてさて

今川軍の先発隊
瀬名氏俊武将が
ここで…必勝祈願をしたのに
ここで…必勝祈願をしたのに
ここで…必勝祈願をしたのに

結果は
軍勢の数の差からも
今川軍が圧勝!!!と思われたのに
まさか、まさかの敗退…

桶狭間神明社の天照大神さまは
瀬名氏俊武将には
微笑んでくれなかったのね…


私も先ほど
願掛けをしながらも

まあ、その願いが叶うことについては
さほど期待はしない方がいいのかもと思いながらも
桶狭間神明社を後にする…



で…先ほどの「瀬名氏俊陣地跡」とは「大池」を挟んで
反対側…バス停の近くに


「戦評の松」


と呼ばれる史跡跡








言い伝えによると、当時ここには大きな松の木があり
その下で瀬名氏俊を中心に軍会議が行われ
瀬名氏俊が配下の武将を集めて「戦評」を行ったとか…


だから史跡名が
そのままズバリ
「戦評の松」


ここで
軍会議をしながら
今川義元公を「待つ(松)」に掛けていたんじゃないかとは
私の勝手な妄想…















さてさて
「戦評の松」の下で軍議を開き、無事本陣設営を終えた
瀬名氏俊はその後、大高城に向かったとのこと…

おかげで
当時今川義元の配下であった松平元康(徳川家康)と同じく、大高城の護衛をしていたので
その時、桶狭間山付近の襲撃「桶狭間の戦いの現場」に巻き込まれなかった…

すなわち
桶狭間での戦死はまぬがれたそうな…

その後の瀬名氏俊は
後に今川家を離反し、徳川家の家臣として仕え
江戸時代以降は旗本の大名として家が残ったとか…



戦死を免れたのも
その後も人生が長くいられたのも


ひょっとしたら
ひょっとしたら
ひょっとしたら

瀬名氏俊さまに
桶狭間神明社の天照大神さまのご加護があったのかも…


戦いの勝利は叶わなくても
その後は救ってあげましょう…みたいな…


桶狭間神明社のパワーは凄いかも…???
桶狭間神明社のパワーは凄いかも…???
桶狭間神明社のパワーは凄いかも…???


この後
再度…
桶狭間神明社を参拝しなおしたことを
最後に記しておく!!


桶狭間神明社のご祭神
天照大神さま、ごめん!ごめん!!


思い通りにいかないことがあっても
腐らずに…頑張りますから…