新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

小学生の時の修学旅行に行った気分で…興福寺、見学!!

2024-08-07 05:53:35 | 歴史史跡

奈良市内観光をする方のほぼほぼ90パーセンチ以上の方が立ち寄るだろうと思われる

東大寺の「奈良の大仏」さまと双璧をなす

 

五重塔が東大寺の「奈良の大仏」と並んで有名な

興福寺を参拝する

 

興福寺は、法相宗の大本山…

中臣鎌足が釈迦三尊像を造立し、それを鎌足の妻の「鏡大王」が京都山科の山階寺に安置したのが始まり…

飛鳥を経て、平城遷都に伴い710年に藤原不比等によって興福寺と名付けられ現在地に移転し、平安時代以降、数々の火災にあっても、藤原氏の力を背景にそのつど再建…

藤原氏の氏寺として藤原氏の隆盛とともに寺勢を拡大し、奈良時代には南都4大寺、平安時代には南都7大寺の1つとして栄え、以後鎌倉時代には大和守護職を勤めるまでに…

戦国時代に入ってからは、勢いは衰え、1717年には北円堂、東金堂、食堂以外の伽藍を消失…

それ以後は、徐々に現在の伽藍に復元され、さらにこれからも伽藍がさらに復元されつつある奈良の代表的なお寺

「大仏」と並んで奈良のシンボルである興福寺の五重塔は、730年、興福寺の創建者である藤原不比等の娘、光明皇后の発願で建立されたもの

今も若干工事中…

小学生の修学旅行の時も、こうして見上げていた、そんなかすかな記憶が…

 

さて、これが興福寺境内図

 

その興福寺の案内板、これは足元に

中門、回廊の基礎復元の案内板も一緒に

 

さて、小学生の修学旅行時にはなかった…その後、一度、約10年前にここに来た時には、工事中だった

中金堂が建立されていました…

敷地内に立ち入ることはできません!!廻りから眺めるだけ

中臣鎌足発願の釈迦三尊像を安置するために、710年の平城京遷都の直後から造営が開始されたものと考えられていて、創建者は藤原不比等

中金堂興福寺境内では最大規模の仏堂

江戸時代の1717年に7度目の焼失となった後は1世紀ほど再建されず、1819年に再建されたものは「仮金堂」と呼ばれる小さなもので構造上も弱く、平成2000年には取り壊しが行われ、平成22年(2010年)に工事が着工、8回目の再建で平成30年に天平様式で完成したもの

この中金堂の裏手にあるのが

仮講堂

 

南円堂への参道挟んで、反対側には

南大門跡

これは、高台のところに礎石が残っているだけ…

ここも、再建される日がくるのでしょうか…

 

続いて参拝に向かったのは

南円堂

 

 

南円堂は平安京への遷都後、藤原氏の勢力が一層強まっていく平安時代初期の813年に藤原一族の「藤原冬嗣」が父親を弔うために建立したお堂…

現在建っている南円堂は、江戸時代中期の1789年頃に再建されたもの

 

手水舎で手を浄めて…

ひょっとしたら、シカに襲われて服を噛まれたときに一緒にへばりついているかも知れない新型コロナウイルスも洗い流してと

手水舎の龍が「とほほ…」といったやるせない表情に見えたけど…

合掌!!!

 

横には大きな梵鐘がありました…

 

 

その後は、この興福寺で唯一、お堂の中に入れる

東金堂へと

 

東金堂は、奈良時代の726年に、聖武天皇が叔母の元正天皇の病気が治癒することを祈願して建立したと伝わっている…

この東金堂も、1180年の戦火による焼失、また1411年にも五重塔とともに焼失するなど、5度にわたる焼失と再建を繰り返し、現在の建物は1415年に再建された室町時代の建築のものらしい…

 

国宝館とのセット券を購入し…堂内へと

 

中の仏像群は写真撮影禁止

もう、それは圧倒されるほどのバカでかい仏像群でした…

ご本尊である薬師如来坐像は、現在の東金堂が再建された室町時代に造立されたとされ、像高2.5メートルほどのバカでかさ…国宝!

それ以前の東金堂のご本尊さまは、真相はよくわからないけど、興福寺の僧兵が飛鳥山田寺から盗みとったのかもしれない…あるいは、普通に譲り受けたのかもしれない旧山田寺の薬師如来像であったらしい…東金堂が焼失する際に被害を受け、今は、頭部のみが残されて、それは、興福寺国宝館にて、拝顔できるよう

さて、今のご本尊である薬師如来坐像の脇侍」の日光菩薩・月光菩薩の像…これは、飛鳥時代、旧山田寺の薬師如来像と同時期の7世紀末に造立された大変古い仏像だとか

平安時代の作と伝わる持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王像は、ヒノキの木を彫りぬく形で製作されているとか…これも「国宝」

約1メートルほどの薬師如来を守護する神である十二神将像…これらも鎌倉時代のもので、国宝

定慶による作と伝わる鎌倉時代の維摩居士坐像も国宝、文殊菩薩坐像も国宝

 

これも「国宝」あれも「国宝」といった感じで、思わず「ハイ・ホー」の替え歌♪コクホー、コクホー、ラララランランラン~と口ずさみたくなっちゃう!

 

 

それにしても、小学生の修学旅行できた興福寺、懐かしい…中金堂はなかったけど、ほとんど、あの小学生の時の修学旅行できた光景のときのまんま…

東金堂と五重塔

 

 

この光景をみて、思い出したこと…

それは、小学生の修学旅行の時

大仏だけの金プラを買うか、大仏と五重塔がセットになった金プラを買うか、めちゃ悩んだんだよね…どっちにしようかなって…

 

 

あれから、ウン十年経った今でも、金プラの、そのお土産が売っていることに驚きました…

 

この金プラ、今でも修学旅行生に人気なのでしょうか…

少なくとも、私の小学生の時は、友達みんなといってもいいほど、この金プラを買ってたんだよね…

 

今も、爆発的に、修学旅行生に売れているのでしょうか…

実に気になる!気になる!!!

 

…って、私、小学校の修学旅行に行った気持ちで、買っちゃいました…笑…買っても邪魔になることをわかっていながら…笑

 

すっかりオジサンになっても…気持ちは、いつまでも10代のままさ??



コメントを投稿