結果を公表するということには一貫性が必要なんだと思います。
昔は塾の定期テストのたびに生徒の平均点を個人が特定されない範囲で公表していましたし、そろばんも日商検定試験結果を公表していました。しかしながら、2年ほどまえから公表することをやめることに決めて、順番にやめるようにしました。
たとえばそろばんの検定試験結果。もちろん合格は素晴らしいことですが、不合格の中にも生徒の努力の結晶が詰まっています。申込時に手も足も出ない状態から、必死の努力を重ねて合格寸前までいったのに不合格。逆もあります。もっと早く受験すればよかったのに、普段から絶対大丈夫なレベルになってから申込みをして努力をしないで合格。
たとえばお勉強の定期試験。ふだんから平均+100前後を取っている生徒が今回+110。かたや平均-200くらいの生徒が平均-100くらいまで伸ばしてきた。単純に考えれば+110の生徒の方が圧倒的に成績はいいのですが、私は平均-100の生徒の努力を素直に認めます。ただしここは難しくて+110の生徒もしっかりとした努力の末にこの結果を出せばもちろんどちらも尊い結果です。
高校・大学入試においては過程ではなく結果が全てです。しかしながら教育というものは結果だけでは測れないものもあるという側面を持っています。その結果に至るまでの過程をよりよいものにしていくことに教育の意味はあるのだと思います。その過程には生徒の数だけの物語がある。だから生徒の平均はその過程をなんら写すものではない。検定試験の結果も結果だけからはその過程は何も見えない。だから公表することはやめました。過年度の実績はそれぞれオープンにしております。これは皆様にご判断いただく材料を提供する。それだけの意味です(教え子の努力の結晶を自慢する親ばかならぬ先生ばかを含んではいます 笑)。
実績ってよく公表されていますよね。特に塾業界。
◎年生平均400点オーバー!
◆年生自己ベスト更新者塾生の3割オーバー!
△年生学年トップ誕生!
とかね。都合のいい数字だけを取り出してのアピール。特に夏期講習を目前に控えたこの時期はアピール合戦になること請け合いです。普段から「結果は公表しません」と言いながら都合のいい結果が出たときだけアピールする塾は最悪ですよ。つまり悪い結果が出たときは公表しないというわけですから。良いも悪いも毎回きちんと公表する塾さんはまだいいと思います。
そういえば、他の塾から一目置かれている個人塾さんは品がいいですね。塾生の点数を窓に貼ったりとかいうことはまあ見ないですね。進学実績もあまり貼っていなかったりしますね。さすがに近隣の塾さんに攻撃(表でも裏でも)されていれば、品性を保つ範囲で反撃されている場合はありますが。
私の教室。そろばん検定はいい結果が出ています。アピール材料としては申し分ないのですが、単純に生徒の努力の賜物なのでここまでにしておきます。塾は良いも悪いも出ていますが、公表するのは「過年度の合格・進学実績のみ」としたのでたとえ学年トップがでようとも、学年最下位がでようとも、個々の成績については公表しません。
公表されているものにバイアスがかかっていないか? いいものを選んでいないか?
こういう観点から塾さんのアピールを見るのも面白いかもしれません。私の考えは
★実績は生徒の努力の賜物。失敗は指導者の責任
★実績の発表は「こういう結果を出した生徒の指導をしました」という判断材料の提供
★こちらの都合で出す・出さないという一貫性のないことをしたくない
というものです。というわけで結果を逐次公表することはありません。
昔は塾の定期テストのたびに生徒の平均点を個人が特定されない範囲で公表していましたし、そろばんも日商検定試験結果を公表していました。しかしながら、2年ほどまえから公表することをやめることに決めて、順番にやめるようにしました。
たとえばそろばんの検定試験結果。もちろん合格は素晴らしいことですが、不合格の中にも生徒の努力の結晶が詰まっています。申込時に手も足も出ない状態から、必死の努力を重ねて合格寸前までいったのに不合格。逆もあります。もっと早く受験すればよかったのに、普段から絶対大丈夫なレベルになってから申込みをして努力をしないで合格。
たとえばお勉強の定期試験。ふだんから平均+100前後を取っている生徒が今回+110。かたや平均-200くらいの生徒が平均-100くらいまで伸ばしてきた。単純に考えれば+110の生徒の方が圧倒的に成績はいいのですが、私は平均-100の生徒の努力を素直に認めます。ただしここは難しくて+110の生徒もしっかりとした努力の末にこの結果を出せばもちろんどちらも尊い結果です。
高校・大学入試においては過程ではなく結果が全てです。しかしながら教育というものは結果だけでは測れないものもあるという側面を持っています。その結果に至るまでの過程をよりよいものにしていくことに教育の意味はあるのだと思います。その過程には生徒の数だけの物語がある。だから生徒の平均はその過程をなんら写すものではない。検定試験の結果も結果だけからはその過程は何も見えない。だから公表することはやめました。過年度の実績はそれぞれオープンにしております。これは皆様にご判断いただく材料を提供する。それだけの意味です(教え子の努力の結晶を自慢する親ばかならぬ先生ばかを含んではいます 笑)。
実績ってよく公表されていますよね。特に塾業界。
◎年生平均400点オーバー!
◆年生自己ベスト更新者塾生の3割オーバー!
△年生学年トップ誕生!
とかね。都合のいい数字だけを取り出してのアピール。特に夏期講習を目前に控えたこの時期はアピール合戦になること請け合いです。普段から「結果は公表しません」と言いながら都合のいい結果が出たときだけアピールする塾は最悪ですよ。つまり悪い結果が出たときは公表しないというわけですから。良いも悪いも毎回きちんと公表する塾さんはまだいいと思います。
そういえば、他の塾から一目置かれている個人塾さんは品がいいですね。塾生の点数を窓に貼ったりとかいうことはまあ見ないですね。進学実績もあまり貼っていなかったりしますね。さすがに近隣の塾さんに攻撃(表でも裏でも)されていれば、品性を保つ範囲で反撃されている場合はありますが。
私の教室。そろばん検定はいい結果が出ています。アピール材料としては申し分ないのですが、単純に生徒の努力の賜物なのでここまでにしておきます。塾は良いも悪いも出ていますが、公表するのは「過年度の合格・進学実績のみ」としたのでたとえ学年トップがでようとも、学年最下位がでようとも、個々の成績については公表しません。
公表されているものにバイアスがかかっていないか? いいものを選んでいないか?
こういう観点から塾さんのアピールを見るのも面白いかもしれません。私の考えは
★実績は生徒の努力の賜物。失敗は指導者の責任
★実績の発表は「こういう結果を出した生徒の指導をしました」という判断材料の提供
★こちらの都合で出す・出さないという一貫性のないことをしたくない
というものです。というわけで結果を逐次公表することはありません。