とは何でしょうか?一般的には「ウソをつかない・隠し事をしない」といったところになるのでしょうか。私は子供たちにものを教える仕事をしていますので、「誠実さ」はお話をする相手によって多少意味合いが変わります。
お話の相手が保護者の場合は「隠し事をしない・ごまかさない」という意味合いで考えています。
★「隠し事をしない」
お子様に問題を感じた場合はある程度まではこちらで向き合いますが、それでも改善が「まったく」見られない場合は、保護者の皆様にご連絡をして懇談の場を設けるようにしています。「いいこと」があった時はラインやメール、お電話などで(ご足労願わずに済む方法という意味です)お伝えします。実は、改善へのアプローチが年単位ということもあり得ますので、放置しているように見えてしまうのが難しくはあります。継続的にアプローチしている状態で、保護者の皆様にご足労戴いて「これこれこうい状態で見守っています」だけで終わるのもなあという感覚です。このために、そろばんでは検定試験終了後に、合否に関わらず「検定試験結果報告書」で普段の様子や、課題・改善されたことなどをお伝えしています。
★「ごまかさない」
生徒がこちらのアプローチに応えてくれているにも関わらず、そろばんの技量(塾なら成績)が上がらない場合は、正直にこちらが取り組んできたこと・お子様のこれまでの取り組み。そしてそれでも結果に至らないこちらの不手際をお伝えします。保護者の皆様のご期待にお答えできない部分があったことに、そして自分の非力に情けなくなりますが。ごまかしながら貴重な時間と費用を割き続けていただくことを申し訳思う気持ちの方が強いのです。
一方で、お話の相手が生徒の場合は「大人と子供で態度を変えない・生徒に対する言動と自分の言動が一致するようにする」という意味合いで考えています。
★「大人と子供で態度を変えない」
・保護者には「◎◎さん・くんは問題ないですよ」と言いながら、本人には厳しく叱責する
・生徒のやり方が指導と違うと叱責するのに、「親にこうしろと言われた」と言われるとそれ以上何も言わない/違うやり方を容認する
とかですかね。これ一発で信用失う気がします。
★「生徒に対する言動と自分の言動が一致するようにする」
・何も言わないと伝わらないよ」と生徒には説教するのに、自分から生徒に思っていることを言葉にして伝えない。
・やらない/できないならできるまで残すよ。と言いながらめんどくさいから残さない/最後までやらせない
・いつでも分からなかったら質問においでといいながら、いざ質問に来ると「自分で考える前に質問に来ないで」と言う
こういうことを、私が子供の時にされたら絶対その先生を信用しません。そんなことを私の生徒には絶対にしたくないですね。
もちろん、かかる費用をオープンにしておくこととか(そろばんは進み具合で教材費が・検定試験の受験時期によって検定費用が、個人個人で異なりますので完全には難しいですが)、授業をいつでもご見学いただけるようにしておくとか(試験前とか入試直前はご遠慮いただきたいですね/今は禍もあって現実的にはできませんけど)、などなど。こうしたことも誠実さかもしれませんが、私は「人 対 人」における大切なことこそ「誠実さ」の原点だと考えています。
※個人的な想い
去年、最初の緊急事態宣言でそろばんは完全休校・塾はYouTube配信授業に切り替えて病みかけていたときに、「大丈夫か?」とご連絡をいただいたことがありました。ほんの数回お会いしただけなのに、ご自分も大変なのに。それでもお気遣いいただいたあの一言に涙が出るほど救われました。
私の師匠も引退されていますが、折に触れてお電話をいただきます。自分のことが大変な時ほど、周りの人も大変だ。こんな当たり前のことを見失わずにさっと気遣いができる。これこそ本当の「誠実さ」なのだと、この禍を経験して改めて想います。
一歩ひいて(俯瞰して)見ることができる。これは自分に余裕がないと見失いがちなものですね。早くその境地に少しでもたどり着きたいものですが、それこそ「焦らず腐らず追い込まず」ゆるりと進んでいきたいと思います。
お話の相手が保護者の場合は「隠し事をしない・ごまかさない」という意味合いで考えています。
★「隠し事をしない」
お子様に問題を感じた場合はある程度まではこちらで向き合いますが、それでも改善が「まったく」見られない場合は、保護者の皆様にご連絡をして懇談の場を設けるようにしています。「いいこと」があった時はラインやメール、お電話などで(ご足労願わずに済む方法という意味です)お伝えします。実は、改善へのアプローチが年単位ということもあり得ますので、放置しているように見えてしまうのが難しくはあります。継続的にアプローチしている状態で、保護者の皆様にご足労戴いて「これこれこうい状態で見守っています」だけで終わるのもなあという感覚です。このために、そろばんでは検定試験終了後に、合否に関わらず「検定試験結果報告書」で普段の様子や、課題・改善されたことなどをお伝えしています。
★「ごまかさない」
生徒がこちらのアプローチに応えてくれているにも関わらず、そろばんの技量(塾なら成績)が上がらない場合は、正直にこちらが取り組んできたこと・お子様のこれまでの取り組み。そしてそれでも結果に至らないこちらの不手際をお伝えします。保護者の皆様のご期待にお答えできない部分があったことに、そして自分の非力に情けなくなりますが。ごまかしながら貴重な時間と費用を割き続けていただくことを申し訳思う気持ちの方が強いのです。
一方で、お話の相手が生徒の場合は「大人と子供で態度を変えない・生徒に対する言動と自分の言動が一致するようにする」という意味合いで考えています。
★「大人と子供で態度を変えない」
・保護者には「◎◎さん・くんは問題ないですよ」と言いながら、本人には厳しく叱責する
・生徒のやり方が指導と違うと叱責するのに、「親にこうしろと言われた」と言われるとそれ以上何も言わない/違うやり方を容認する
とかですかね。これ一発で信用失う気がします。
★「生徒に対する言動と自分の言動が一致するようにする」
・何も言わないと伝わらないよ」と生徒には説教するのに、自分から生徒に思っていることを言葉にして伝えない。
・やらない/できないならできるまで残すよ。と言いながらめんどくさいから残さない/最後までやらせない
・いつでも分からなかったら質問においでといいながら、いざ質問に来ると「自分で考える前に質問に来ないで」と言う
こういうことを、私が子供の時にされたら絶対その先生を信用しません。そんなことを私の生徒には絶対にしたくないですね。
もちろん、かかる費用をオープンにしておくこととか(そろばんは進み具合で教材費が・検定試験の受験時期によって検定費用が、個人個人で異なりますので完全には難しいですが)、授業をいつでもご見学いただけるようにしておくとか(試験前とか入試直前はご遠慮いただきたいですね/今は禍もあって現実的にはできませんけど)、などなど。こうしたことも誠実さかもしれませんが、私は「人 対 人」における大切なことこそ「誠実さ」の原点だと考えています。
※個人的な想い
去年、最初の緊急事態宣言でそろばんは完全休校・塾はYouTube配信授業に切り替えて病みかけていたときに、「大丈夫か?」とご連絡をいただいたことがありました。ほんの数回お会いしただけなのに、ご自分も大変なのに。それでもお気遣いいただいたあの一言に涙が出るほど救われました。
私の師匠も引退されていますが、折に触れてお電話をいただきます。自分のことが大変な時ほど、周りの人も大変だ。こんな当たり前のことを見失わずにさっと気遣いができる。これこそ本当の「誠実さ」なのだと、この禍を経験して改めて想います。
一歩ひいて(俯瞰して)見ることができる。これは自分に余裕がないと見失いがちなものですね。早くその境地に少しでもたどり着きたいものですが、それこそ「焦らず腐らず追い込まず」ゆるりと進んでいきたいと思います。