が、「丸暗記」だと思います。
たとえば、中3の数学で「解の公式」を学びます。このとき、一般的な二次方程式からこの解の公式を導けるまできちんと学習するか、結果だけを丸暗記するかで、その生徒のおおよその学力は分かります。
各教科ごとに「理解すべき部分」があります。結果を丸暗記するのではなくて「何故そうなるのか?」これがすごく大事です。「理解すべき部分」を中学生で自分から見つけ出すことは難しいですね。私たち指導者のように、全ての学習を終えた後で振り返る「俯瞰」ができて初めて「理解すべき部分」の重要性も含めての指導ができるようになります。だから中学生が自ら「理解すべき部分」を押さえてお勉強を進めるのは至難の業であると断言できます。
しかしながら、実は中学生の日々のお勉強の中で「理解すべき部分」に多少は気づいているはずなんですよ。それは「なんでこの答えになるのか」となんとなくは理解しているけど納得はできていない状態のときなんです。ここで「丸暗記」を選択するのか、納得するまで質問を繰り返し説明をしてもらうのかで、その生徒の学力は転換点を迎えるといっても過言ではありません。
でも、試験前になるとそのように疑問点を解決していく時間を十分にとることが難しくなる生徒が多くなります。なぜか?提出物をきちんとできていない場合、提出物をこなすだけで精一杯になってしまうからです。
このことに気づき、普段からコツコツと努力を積み上げて、「腑に落ちない」部分を「腑に落ちる」ようにできるようになった生徒は、学力は上昇を続けていくようになるのです。
ほとんどの塾さんでは試験前に大量の課題を出してしまうようで…。いったい自分の弱点補強はいつするのでしょうか? もちろん、塾さんの課題をこなしていくことで、同時に疑問点が解決されていくという素晴らしい教材を作成される神のような指導者の下で学べば、こんな心配は杞憂に終わります。
私はそんな指導者も教材も見たことがありません。
お勉強と言うのは「分からないことを分かるようにしていくこと(暗記できていないものを覚えきることを含む)」です。そのための方法論は子供たちの数だけあっていいですが、「分からない、腑に落ちないことをそのままにしておく」ことで学力が伸びることはないと断言できます。
偉そうに言いながら、まだまだ私の生徒たちにはこの部分ができていない生徒が多数いますが、少しでもできるように持っていくこと。これができるようになることが「そろばんメソッド」です!(←これ、カタカナ言葉は使ってるし、メソッドとか言ってるし、誰かに怒られるやつですね)
おふざけやめてちゃんと言いますね。このように、「腑に落ちない」部分を「腑に落ちる」ようにできるようになってくれるまで成長すれば、後は私は手助けをするだけで済みますし、生徒たちは自分の目標に向かって問題なく進めるようになるというわけです。
教える仕事を始めて足掛け20年になります。手を変え品を変え、伝え方は変わっても、子供たちに伝えたいことは全く変わっていません。やらされるお勉強ではなく、自分からやるお勉強、主体的なお勉強をできるようになって欲しいと思います。
たとえば、中3の数学で「解の公式」を学びます。このとき、一般的な二次方程式からこの解の公式を導けるまできちんと学習するか、結果だけを丸暗記するかで、その生徒のおおよその学力は分かります。
各教科ごとに「理解すべき部分」があります。結果を丸暗記するのではなくて「何故そうなるのか?」これがすごく大事です。「理解すべき部分」を中学生で自分から見つけ出すことは難しいですね。私たち指導者のように、全ての学習を終えた後で振り返る「俯瞰」ができて初めて「理解すべき部分」の重要性も含めての指導ができるようになります。だから中学生が自ら「理解すべき部分」を押さえてお勉強を進めるのは至難の業であると断言できます。
しかしながら、実は中学生の日々のお勉強の中で「理解すべき部分」に多少は気づいているはずなんですよ。それは「なんでこの答えになるのか」となんとなくは理解しているけど納得はできていない状態のときなんです。ここで「丸暗記」を選択するのか、納得するまで質問を繰り返し説明をしてもらうのかで、その生徒の学力は転換点を迎えるといっても過言ではありません。
でも、試験前になるとそのように疑問点を解決していく時間を十分にとることが難しくなる生徒が多くなります。なぜか?提出物をきちんとできていない場合、提出物をこなすだけで精一杯になってしまうからです。
このことに気づき、普段からコツコツと努力を積み上げて、「腑に落ちない」部分を「腑に落ちる」ようにできるようになった生徒は、学力は上昇を続けていくようになるのです。
ほとんどの塾さんでは試験前に大量の課題を出してしまうようで…。いったい自分の弱点補強はいつするのでしょうか? もちろん、塾さんの課題をこなしていくことで、同時に疑問点が解決されていくという素晴らしい教材を作成される神のような指導者の下で学べば、こんな心配は杞憂に終わります。
私はそんな指導者も教材も見たことがありません。
お勉強と言うのは「分からないことを分かるようにしていくこと(暗記できていないものを覚えきることを含む)」です。そのための方法論は子供たちの数だけあっていいですが、「分からない、腑に落ちないことをそのままにしておく」ことで学力が伸びることはないと断言できます。
偉そうに言いながら、まだまだ私の生徒たちにはこの部分ができていない生徒が多数いますが、少しでもできるように持っていくこと。これができるようになることが「そろばんメソッド」です!(←これ、カタカナ言葉は使ってるし、メソッドとか言ってるし、誰かに怒られるやつですね)
おふざけやめてちゃんと言いますね。このように、「腑に落ちない」部分を「腑に落ちる」ようにできるようになってくれるまで成長すれば、後は私は手助けをするだけで済みますし、生徒たちは自分の目標に向かって問題なく進めるようになるというわけです。
教える仕事を始めて足掛け20年になります。手を変え品を変え、伝え方は変わっても、子供たちに伝えたいことは全く変わっていません。やらされるお勉強ではなく、自分からやるお勉強、主体的なお勉強をできるようになって欲しいと思います。