端布に恋した私

小さな端布を 縫い集めてつくるパッチワークは 
私の楽しい趣味の一つです。

介 護

2008-01-11 | Weblog
昨年の暮れに 隣町のコンサートに行った時のこと。
田舎の 夕暮れから始まるコンサートは 時間的に中々満員とは
なりません。
友人と二人 並んで座っていると ボツボツ観客も増えだした頃
私と同じくらいの年齢のご婦人が 高齢の母親らしい方と 二人
私の隣の空席二つを確認し 座りました。

お節介な私 隣の母親らしい方に 「今日は暖かかったですね。」
と声をかけると 丁寧に 「そうですね」と返事を返されました。
すると その隣の娘さんらしい方が 私に目配りをしながら「今日
出演のお友達から 券を頂いたけど この母を一人で置いておく
ことが出来ず この人はお金払っての入場です。ハハ、、、」
と 明るく笑って の返事。

話をしてみるとこのお母さん認知症で週に三日のデイケアー通所で
足腰元気 とのこと。
普通に話しかけると 毎日 畑で野菜を作り 子供達に配っている
し楽しいとの 自分の世界の返事です。

受け答えもしっかりしているが 娘さんが目配しつつ 
「油断がなりません。近頃は徘徊が多くて 私も疲れています。
と 娘さんの言葉。
開演前にトイレを促し 再び二人で席に着くと 手提げ袋から
黒糖の飴玉を出して しわくちゃの手から私にも一個 「どうぞ」と
頂く。 お礼をいえば嬉しそうな顔。

どうしてもこのコンサートを聞きたくて 母を看てもらう人が居なくて
連れてきました。と言う 娘さん。
二胡のもの悲しい 音色を聞きながら 私の介護の日々を思い出して
いました。

意志が通じない悲しさ。 お互いに歯がゆい想い。
自分を見失いつつあった 毎日。出かけることも出来ず 
好きなことも出来ない。何で自分だけこんな思いをしなければならない
のかと言う想い。深い暗い穴にどんどん 落ちていく感じの毎日でした。

このところ老々介護の悲劇を 二ユースで見るたびに 何とかならないか
残念でなりませんし 十分分かる気がします。

コンサートが終わって 椅子を立った時 私は思わず 娘さんの手を握り 
「頑張って 自分を見失いそうになった時は回りに助けてと 頼んで」
と 言ってしまいました。
私の周りにも 大変な介護の毎日の方が居ます。
周りの暖かい 声かけがどんなに助かることか やがて 私たち夫婦も
介護をうける日が 確実にやってきます。
その時どうするか 今から大きな課題です。
コメント (2)
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