超人日記・作文

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

角川俳句歳時記と記憶

2021-07-16 07:00:01 | 自作俳句
角川の俳句歳時記第四版が届いた。
夏の植物を開き、作句する。

田園の少女の八重歯手まり花
後半生深呼吸して青時雨
遠き空取り残されて夏茂み
うなされて起きる日もある病の葉
後悔にふと目を伏せる浜茄子花
妹の多重人格 花葵
忘却の岸辺に咲いた罌粟の花
幼少の異郷の薫り夏の菊
手を触れるそのときもなく眠り草
気がつくと人影もなく日日草
あと少し高台までの草いきれ
童顔も五十路を過ぎて夏あざみ
しなやかな中庭のゆび踊り草
南島の義賊の芝居 布袋草

あと少し高台までの草いきれ螺旋の坂の道の途中で




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ヘーゲル法哲学の早わかり

2021-07-15 06:45:50 | 無題
竹田青嗣&西研著「はじめてのヘーゲル・法の哲学」を読む。
ルソーの社会契約論と並んで近代法の前提となっているという。
ヘーゲルの理論の中心は自由論だとする。
そして、自由とは自分を承認させることである。
ヘーゲルによれば、人間の歴史は自由の増大の歴史である。
最初は家族規模であったものが、市民社会まで拡大し、
最終的には、国家の法が、お互いの権利を保証し、
正義の拠り所となり、福祉を行う。
社会人相互の道徳つまり人倫は、この国家で遺憾なく発揮される。
これが、近代社会を支える原理であるとする。
個人の自由より上位に国家を置くのは抵抗があるが、
国家が人倫の精神を実現するという理想は、現在は失われた
近代社会のあるべき姿だったのかもしれない。
神の自己展開としての精神が、発達するにつれて、
個人の活躍の場も、いま、ここから、外界へと向かい、
精神は自由獲得の戦いの末、人倫の場をみつけ、
最終的には神と私は別物でないとする着地点に至る。
その人倫の場を作るのが合意に基づく法の制定なのだとする。

人々が互いに作る人倫に社会の法が不可欠となる
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歳時記を取り寄せる

2021-07-11 05:43:17 | 無題
朝起きて、アピール欄を見ているといろんな植物を紹介するブログが
ある。
そこに出てくる草木の名が刺激的なので俳句の季語にぴったりだ。
〇父の書く退職届鋸草
〇妖精を蛇口で流す禊萩
このように草木の名は歳時記にぴったりだ、と思い、
無季語俳句しか書かなかった私だが、遊び心で
角川俳句歳時記第四版(文庫サイズ)2400円を取り寄せる。
ついでに前から気になっていた竹田青嗣著
「はじめてのヘーゲル・法の哲学」講談社新書も
買ってみる。
私に俳句のセンスがあるとも思えないが
遊びなのでうまい下手は度外視する。
〇父に似た散歩姿の夏木立
〇人生の正午に岐路の半夏生
〇われも今ただ影になる戦没碑
季語が1000語も載っている歳時記を読むと磨きが
掛かりそう。
人生の分岐路に立つ半夏生 運命の輪の札を引き当て
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度肝を抜く古書目録

2021-07-10 20:56:36 | 無題
堀紫山(しざん)という明治大正期の新聞人の特集の
大部の古書目録を頂いた。
これは、凄い。手紙に原稿に借用書に至るまで、
古書店が集めて、全頁フルカラーで載せている。
崩し字の書簡を店主が読みといて、
ほぼ全文載せている。
こういう、知性の形もあるんだな、と目を丸くした。
業者でなければ入手できないし、普通人には
こんなに集める財力もない。
けれども手元に置いておく未練はないらしく、
ほぼ全部、価格をつけて売っている。
ここまで集めたら、愛蔵しておきたくなるのが
人情だが、仕事人は感覚が違うらしい。
ここまで立派な目録を作ったら、
大論文を書いたようなものだ。
古書の世界はパワフルだなぁ。
歩いても歩いても青い山、である。

人生の後半生に目を見張る山の青さが尽きることなく
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夢に見るアニマの結晶

2021-07-08 05:35:34 | 無題
数年前入手した、アボット・ハンダーソン・セイヤー
の1887年の天使画のキャンバス複製画を見ている。
私のイメージするアニマの像に最も近い。
ボストン生まれの画家セイヤーが自らの娘をモデルにした
と言われている。
実際、セイヤーが描いた娘メアリーの肖像画をみると瓜二つである。
自分の娘に翼を描いて残すことで、セイヤーは自分の娘の
美しさを永遠化することができた。
私の夢のなかにセイヤーの天使的なアニマ像が出て来て
私を深い淵に誘い込むことがある。
ときには、このアニマ像が、マリア観音であったりして、
万華鏡のなかで雲散霧消したりする。
このようなアニマ像は内的な女性像の結晶で、
無意識の世界との懸け橋となり、
意識に欠けている面を補ってくれるはたらきをするという。
無意識が私に欠けているアニマ性を補って、
私に希望を投げ掛けていると思いたい面影である。

羽根のあるメアリー嬢が降りて来て深みに誘う黒い瞳で

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