青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

どこかへ どこまでも Harmonyと

走っていきたくなります

高倉健主演 『あなたへ』 を観て

2012年08月25日 17時22分21秒 | 文芸・アート
8月25日(土)

高倉健の6年ぶりの映画出演作「あなたへ」が、今日、全国で封切られました。

 妻の故郷・・長崎平戸の写真館で私。。でなくて健さん

朝9時の最初の上映時間に合わせて、近くの映画館へ観にいきました。
もう何年も映画館へ行ってませんでしたが、キャンピングカーでの一人旅が大きな役割を占める映画、ということでしたので、私は勇んで出かけました(笑)。



「亡くなった妻から届いた絵手紙。そこには今まで知らされることのなかった“故郷の海へ散骨してほしい”という妻の想いが記されていました。

その真意を知るために、故郷へ向けて旅を始める主人公。その旅は、富山から始まり飛騨高山、京都、瀬戸内、北九州、門司、そして長崎県平戸市の漁港・薄香へと続きます。旅情あふれる風光明媚な地で出会うさまざまな人々とさまざまな人生。出会い、そして別れ。それは、妻の愛情の深さに気付かされる旅となります。
人と人との絆の大切さに改めて気付かされた現代の日本。

妻の想いを胸に旅する男が、さまざまな人生との一期一会の出会いを通し、人と人とが生きていくことの難しさ、人生の迷いや幾重にもかさなる想いを浮かび上がらせます。」

(映画「あなたへ」公式サイトの解説より抜粋)

***


種田三頭火が好きなビートたけし演じる元国語教師が、Harmonyと同一車種のキャンピングカーに乗って登場↓。放浪と旅の違いの解説など、私も同じようなことを得意気に言ったような、気恥しい場面も出てきます。

 たけしと


それに、各地の情景も私自身が訪れていますから、なつかしいですね~。

田中裕子が、宮沢賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」を数回歌いますが、上手で、印象的です。

亡き妻も他の登場人物もみな、心の底に生きる哀しみを背負っている人間たち、それでも生きていく、いかざるをえない、というテーマがいいです。そのテーマを、主人公の健さんが寡黙にがっちり支えている、という構図ですね。

たどり着いた平戸・薄香の郵便局。主人公が局留めで受け取る、妻からの「あなたへ」の最後の絵手紙には、ただ、「さようなら」とだけ記してあります。


平戸まで来させて、メッセージはなぜ、「さようなら」だけなのでしょうか?

これ、解釈は他にもあると思いますが、亡き妻の真意・願いは、主人公のこれからの時間は、妻への想い出、未練に費やすのではなく、残された自分の時間を大切に生きてほしい、ということでしょうか。
そのためには、未練の余地を断ち切る「さようなら」しか残さない。

夫は、過去ある自分を承知で愛して、夫婦という短い時間を共有してくれた。私はその時間だけで、もう十分。私は夫に、最後に「さようなら」と言えるだけで充分です・・・
という感謝の想いを込めた妻の言葉が「さようなら」だったのでは、と思うのです。

散骨の願いすらも、墓参等の死後の気遣いを断ち切るための、妻の深い愛情の表れだったのかもしれません。

ここで、妻もまた、寡黙に、自分を抑えた深い愛情で、夫を支えようとする構図に重なるのです。

 妻と


ここまで考えると、いやあーこの映画は、もうキャンピングカーの映画だけではないことが分かりました(笑)。

それに、私は、ちょっと饒舌すぎる。健さんみたいに寡黙にならねばイカンなあ(笑)。



映画の元になった同名の小説が、文庫本で出ているようですので、読んでみたいと思います。


関連記事ブログ : 「高倉健の存在感」町田の独り言

あはれ花びらながれ

2012年03月20日 06時51分39秒 | 文芸・アート
3月20日(火)

まだ寒いですが、今日は春分の日。

いつもなら、白い冬がもっと続けばいいと思うのですが、
今年は十分ユキイロも堪能。この季節に少し飽きた感じも。
思いと期待はもう次の季節へ。

私のブログテンプレート(背景)も、春バージョンへ替えて
しまいましょう。雪山から桜の花へ。

さくら となると、私が思い出す詩はこれです。


     甃(いし)のうえ

      あわれ花びらながれ
     おみなごに花びらながれ
     おみなごしめやかに語らいあゆみ
     うららかの跫(あし)音 空にながれ
     おりふしに瞳をあげて
     翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
     み寺の甍(いらか)みどりにうるおい
     廂(ひさし)々に
     風鐸(ふうたく)のすがたしずかなれば
     ひとりなる
     わが身の影をあゆまする甃のうえ

               
                    (三好達治「測量船」より)

高校1年のときの現国の教科書の最初のページにありました。
のどかで明るくて少し孤独な青春の季節がよみがえる気がします。






「空也上人がいた」のに

2011年07月15日 18時49分24秒 | 文芸・アート
まだ、夏季休暇中ですが、こう暑くてはおいそれと動けません。
じっとしているしかない、となると読書です。

京都旅行中に、読もうと思っていた本があります。しかし、他の旅行資料とともに持ってくるのを忘れて読めませんでした。
それは、山田太一著「空也上人がいた」。NHKのブックレビューで紹介されて興味を持った本でした。




宗教本ではなくて、現代小説です。27才のヘルパー青年、81才の男性介護老人、47才の独身女性ケアマネが主人公。(読書ブログでないので、あらすじ割愛)

10世紀の京都で、疫病の大流行で多数の人が死に、六波羅の辺りでは捨てられた死体が散乱していた。それをみて空也上人は貧しい衣で、すりきれた草履で、誰彼へだてなく葬ってまわったといわれています。
その姿が、歴史の教科書に出てきた、この木像ですね。上人が南無阿弥陀仏と念仏を唱えると、六つの仏になって口から出てきた様を表しているそうです。

山田太一は、空也上人に孤独な現代人の心の同行者として救いの可能性を見ようとしています。

ちょっと、重い小説ですが、読むと空也上人の木像を見てみたくなるはずです。しゃがんで像を見上げると、目が光るところが印象的に描かれています。

像のあるのは、六波羅蜜寺。調べてみると、八坂神社、清水寺のすぐ近くのお寺ですから、この小説を読んでいれば、見に行っていたのにと思うと残念です。

しかし、これで次に京都を再訪するさいの大きな楽しみができました。