11月23日(土)
今日は大和路の最終日だ。 晴れ。

▲ G湯の駐車場を出発する(左)。結局4連泊になってしまった(笑)。 ありがとうございました。
で、クルマを入れたのは奈良市内観光のど真ん中。奈良県庁の駐車場の奈良登大路駐車場だ(右)。一日1000円。ここの入り口には「ひさし」が出ているから上をぶつけないように入った。
今日の計画は、奈良市内特に「ならまち」とよばれる旧市街を散策すること。仕上げは若草山の頂上に行き夜景をみることだ。
まず登大路の駐車場から、近鉄奈良駅へ歩いていった。

▲ 近鉄奈良駅前の行基像のところ(左)。行基は聖武天皇の懇願を受け、大仏建立のため寄付を募りに諸国を行脚した偉い僧だ、簡単にいえば。 ここから、「東向通り」「もちいどのセンター街」の商店街アーケードを歩いた(右)。
中途から、三条通りを西へJR奈良駅の方へ向かう。

▲ JR奈良駅の右横には、この小粋な建物があった。
奈良市総合観光案内所だ。 各国語のカウンターがあって、外国人に十分対応できるようになっていた。欧米からというより韓国、台湾、中国からの旅行者が多いような気がする。
朝早くから、このあたりをウロウロしているのには理由がある。ラーメン大家(たいか)のヒロさんが毎月行くと激賞するラーメン屋がこのへんにあるのだ。
麺人ばろむ庵がその店。ただし10時30分から開店なので、隣の奈良市生涯学習センターの駐車広場に座り込んで待つ。いかにも職がなく暇をもてあましているような気分になってくる(笑)。
10時20分になった。店をのぞいてみる。

▲ あ、準備中の看板がなくなり、のれんが下げてある。オープンだ(左)。 入ると、長いカウンター席が。「いらっしゃい」。客はもちろん私一人になる。奥で調理。油でコテコテのラーメン屋という既成観念に反する清潔な店内だ。
入り口横の食券販売機で買う。種類はいくつかあったが、ヒロさんが「これまで見た中で、私が最も美しいと感じるラーメン」「いつどんな時に来て食べても、絶対後悔のすることのないラーメン」と自らを語る新中華そば700円を求める。
期待に胸がふくらむ。まもなく、「どうぞ」と差し出された。

▲ ミディアムレアのチャーシュー3枚、半熟卵半切り、メンマ3本、水葉みたいなもの少々、それらの下に麺が隠れている。すべて脳裏に焼き付いているヒロさんのブログ画面どおりだ(笑)。
まず、スープをすくって飲んでみる。モワーッとした味が、口いっぱいに鼻腔に拡がる。何か、これは・・??。ヒロさん、ごめんなさい。これ私にはくさみに感じました。豚肉のくさみ? 味ではなくて口内に拡がるものです。麺とかスープを続けて飲むうちに何も感じなくなるものでしたが。
麺とかチャーシューとかは、特段気になるものはありませんが。

▲ 私も、ヒロさんを真似て全部飲み干しました(笑)。
この新中華そばが、自分が好きかと問うと、まあ特段好きというわけではないと思う。これは明らかに好みの違いですね。
と、初食体験はあたりまえの結論で終わってしまいました。
JR奈良駅周辺を離れて、再び旧市街「ならまち」へ向かって東へ歩いていった。

▲ 中途で寄った「奈良町からくりおもちゃ館」(無料)。明治築の町家を利用して昔からのおもちゃを触れて遊べるようになっていた。

▲ 奈良町資料館。ならまちに伝わる生活用具、昔の看板、文豪の生原稿等が展示されていた。
しかしなんといっても、ここは庚申信仰のお守り「身代わり申(さる)」の制作販売がメインであろう。

▲ 赤い丸い袋状の申(さる・猿)を形どったものが「庚申さん」と呼ばれて、あなたの厄(やく)を身代わりで肩代わりしてくれる。この庚申さんを売り(左)、また無事肩代わりしてもらえたと思った時は、その庚申さんをここに返しにくる(右)。庚申の日に悪事がふりかかるという庚申信仰自体は各地にあるが、それを「申の吊りもの」で身代わりさせるという発想・信仰は、ならまち独自のもののようだ。

▲ 庚申堂。ならまちの庚申信仰の拠点。近くのおばあさんがお参りにこられたよ。

▲ 庚申堂の軒先には「庚申さん」がびっしりぶら下げられ(右)、堂前の線香立てを支える猿の置物もある(左)。

▲ ならまち格子(こうし)の家。江戸末期の伝統的な町家様式を再現した町家ミュージアム。

▲ 未来工房奈良オリエント館。庚申堂の近くにあるが、ここも築180年余の町家を利用して、土産物屋、食事処、コミュニティFM局、はたまたジャズ喫茶にもなるようで(笑)、マルチ機能をもつユニークな所。

▲ 元興寺(がんごうじ)。右の極楽堂の屋根は行基葺と呼ばれ、瓦の一部は飛鳥から運ばれてきた日本最古の瓦と伝わる。世界遺産。
旧奈良市街、ならまちの楽しみの一つは、個性豊かな町屋カフェ、食事処のようだ。しかし、10時半のラーメンで、食欲はまだなし。昼食は2時ごろだろう。
ならまちで見るものは見たので、いったん登大路の駐車場に戻ろう。

▲ 駐車場。向かいの建物が奈良県庁舎。今日は土曜日なので休みで、駐車場は観光者向けに解放されているのだ。
あと、1時間ほどクルマで待機してならまちへ再度食事に繰り出すのは・・もう面倒だよね。
どうしても男の私は、ショッピングというものに興味が向かわないので、こういう町中(まちなか)観光は時間があまってしまうのだ(笑)。
*********
じゃ、大和路最後の行程、若草山へ行こう。
若草山の山頂へ行くには、東大寺大仏殿の裏のほうからの有料道路・奈良奥山ドライブウェイで登っていった。
10分ほどで頂上駐車場に到着。

▲ 頂上駐車場にクルマを停め、数分歩いて頂上だ(左)。
この辺りは、完全に紅葉の時期を迎えている。お、鹿もこんなところまで上がってきているのだ(右)。キミタチは鹿せんべいに頼らない、生活力のある鹿だね。よしよし。

▲ 若草山山頂342m。眼前には奈良盆地のパノラマが広がる。

▲ 山頂は平らで広い。昨日見たふもとから登ってくる人達もいてけっこう賑わっている。

▲ 若草山から正面の西方を見渡す。正面の山は生駒山だろうか。

▲ 左横の西南の方向を見渡す。 正面が斑鳩の里、左遠方が飛鳥の方にあたるのだろう。
山は生駒の山が切れて、さらに左向こうに金剛山の山並みになってくるのか。

▲ 手前をよく見ると、先ほどまで駐車していた県庁が見える・・
午後だから、かすみがかかっていて、はっきりはしないが、やはり全部みえる。
そばに、こんな石碑があった。

倭(やまと)は 国のまほろば
たたなづく 青垣(あおがき)
山隠(やまごも)れる 倭(やまと)しうるはし
倭建の命
古事記 歌謡
訳:
(大和は母なる国、私の故郷。幾重にも重なって青々とした垣をなす山々、
その山々にかこまれ抱かれている大和は、なんと美しい国だろう!)
倭建命(やまとたけるのみこと)が亡くなる直前、ふるさと大和を偲(しの)んで作った歌。
倭建命は12代景行天皇の息子。ただし景行天皇には皇子が80人もいた(WAO)。
倭建命の烈しい気性を恐れた景行天皇は、西の熊曾建(くまそたける)の征伐を命じる。
戻るとすぐに今度は東国遠征を命じる。
その時、倭建命は叔母に悲しみ嘆く。
「天皇は、私のことを死んでしまえばよいと思っているのでしょうか。」と・・・
倭建命はその後も各地に遠征を続け、ついに故郷大和を目前にして伊勢の能煩野(のぼの)
というところで亡くなってしまう。
なんともまあ、哀しく美しい、大和の国への賛美と望郷の歌だろう。
この若草山から、改めて大和の国を眺める・・
大和は 国のまほろば
うまし国ぞあきづしま 大和の国は
わかるような気がする。

▲ いったん山頂駐車場にもどった。 まだ2時だ。夜景はまだまだ。
ということで、クルマの中で簡単に昼食を作り、ブログ記事を書いていた。
午後4時過ぎ。陽が落ち始めたのだろう。辺りが薄暗くなってきた。山頂をのぞいてこよう。

▲ 夕日を見に来た若い人たち

▲ 結婚用の写真を撮る二人

▲ もくもくと草をはむ鹿と夕陽
きれいだなあ! 大和の夕陽の国原(くにばら)は・・
6時過ぎ、帳(とばり)が完全に降りた頃、この山頂に再び登った。
数名の人影がみえるだけ。
そして前に進むと、大和の国、奈良の夜景が現れた !! Waoo !

ネオンが少ないからだろう。函館山のような煌(きら)びやかな夜景ではない。
しかし、落ち着いた、かすかにまばたき揺れる光の原が、ゆったりと静かに、私の前に広がっていた・・・
大和の 夜の国原だ・・・
大和路最後の夜は、ここ若草山の山頂で車中泊。
**********
翌朝7時に、山頂駐車場を出発。
午後7時に、帰宅。
車中泊10泊に渡る「秋の大和路・歴史ロマンの旅」は無事終了。
おつかれさまでした。
皆様、ありがとうございました。
了
今日は大和路の最終日だ。 晴れ。

▲ G湯の駐車場を出発する(左)。結局4連泊になってしまった(笑)。 ありがとうございました。
で、クルマを入れたのは奈良市内観光のど真ん中。奈良県庁の駐車場の奈良登大路駐車場だ(右)。一日1000円。ここの入り口には「ひさし」が出ているから上をぶつけないように入った。
今日の計画は、奈良市内特に「ならまち」とよばれる旧市街を散策すること。仕上げは若草山の頂上に行き夜景をみることだ。
まず登大路の駐車場から、近鉄奈良駅へ歩いていった。

▲ 近鉄奈良駅前の行基像のところ(左)。行基は聖武天皇の懇願を受け、大仏建立のため寄付を募りに諸国を行脚した偉い僧だ、簡単にいえば。 ここから、「東向通り」「もちいどのセンター街」の商店街アーケードを歩いた(右)。
中途から、三条通りを西へJR奈良駅の方へ向かう。

▲ JR奈良駅の右横には、この小粋な建物があった。
奈良市総合観光案内所だ。 各国語のカウンターがあって、外国人に十分対応できるようになっていた。欧米からというより韓国、台湾、中国からの旅行者が多いような気がする。
朝早くから、このあたりをウロウロしているのには理由がある。ラーメン大家(たいか)のヒロさんが毎月行くと激賞するラーメン屋がこのへんにあるのだ。
麺人ばろむ庵がその店。ただし10時30分から開店なので、隣の奈良市生涯学習センターの駐車広場に座り込んで待つ。いかにも職がなく暇をもてあましているような気分になってくる(笑)。
10時20分になった。店をのぞいてみる。

▲ あ、準備中の看板がなくなり、のれんが下げてある。オープンだ(左)。 入ると、長いカウンター席が。「いらっしゃい」。客はもちろん私一人になる。奥で調理。油でコテコテのラーメン屋という既成観念に反する清潔な店内だ。
入り口横の食券販売機で買う。種類はいくつかあったが、ヒロさんが「これまで見た中で、私が最も美しいと感じるラーメン」「いつどんな時に来て食べても、絶対後悔のすることのないラーメン」と自らを語る新中華そば700円を求める。
期待に胸がふくらむ。まもなく、「どうぞ」と差し出された。

▲ ミディアムレアのチャーシュー3枚、半熟卵半切り、メンマ3本、水葉みたいなもの少々、それらの下に麺が隠れている。すべて脳裏に焼き付いているヒロさんのブログ画面どおりだ(笑)。
まず、スープをすくって飲んでみる。モワーッとした味が、口いっぱいに鼻腔に拡がる。何か、これは・・??。ヒロさん、ごめんなさい。これ私にはくさみに感じました。豚肉のくさみ? 味ではなくて口内に拡がるものです。麺とかスープを続けて飲むうちに何も感じなくなるものでしたが。
麺とかチャーシューとかは、特段気になるものはありませんが。

▲ 私も、ヒロさんを真似て全部飲み干しました(笑)。
この新中華そばが、自分が好きかと問うと、まあ特段好きというわけではないと思う。これは明らかに好みの違いですね。
と、初食体験はあたりまえの結論で終わってしまいました。
JR奈良駅周辺を離れて、再び旧市街「ならまち」へ向かって東へ歩いていった。

▲ 中途で寄った「奈良町からくりおもちゃ館」(無料)。明治築の町家を利用して昔からのおもちゃを触れて遊べるようになっていた。

▲ 奈良町資料館。ならまちに伝わる生活用具、昔の看板、文豪の生原稿等が展示されていた。
しかしなんといっても、ここは庚申信仰のお守り「身代わり申(さる)」の制作販売がメインであろう。

▲ 赤い丸い袋状の申(さる・猿)を形どったものが「庚申さん」と呼ばれて、あなたの厄(やく)を身代わりで肩代わりしてくれる。この庚申さんを売り(左)、また無事肩代わりしてもらえたと思った時は、その庚申さんをここに返しにくる(右)。庚申の日に悪事がふりかかるという庚申信仰自体は各地にあるが、それを「申の吊りもの」で身代わりさせるという発想・信仰は、ならまち独自のもののようだ。

▲ 庚申堂。ならまちの庚申信仰の拠点。近くのおばあさんがお参りにこられたよ。

▲ 庚申堂の軒先には「庚申さん」がびっしりぶら下げられ(右)、堂前の線香立てを支える猿の置物もある(左)。

▲ ならまち格子(こうし)の家。江戸末期の伝統的な町家様式を再現した町家ミュージアム。

▲ 未来工房奈良オリエント館。庚申堂の近くにあるが、ここも築180年余の町家を利用して、土産物屋、食事処、コミュニティFM局、はたまたジャズ喫茶にもなるようで(笑)、マルチ機能をもつユニークな所。

▲ 元興寺(がんごうじ)。右の極楽堂の屋根は行基葺と呼ばれ、瓦の一部は飛鳥から運ばれてきた日本最古の瓦と伝わる。世界遺産。
旧奈良市街、ならまちの楽しみの一つは、個性豊かな町屋カフェ、食事処のようだ。しかし、10時半のラーメンで、食欲はまだなし。昼食は2時ごろだろう。
ならまちで見るものは見たので、いったん登大路の駐車場に戻ろう。

▲ 駐車場。向かいの建物が奈良県庁舎。今日は土曜日なので休みで、駐車場は観光者向けに解放されているのだ。
あと、1時間ほどクルマで待機してならまちへ再度食事に繰り出すのは・・もう面倒だよね。
どうしても男の私は、ショッピングというものに興味が向かわないので、こういう町中(まちなか)観光は時間があまってしまうのだ(笑)。
*********
じゃ、大和路最後の行程、若草山へ行こう。
若草山の山頂へ行くには、東大寺大仏殿の裏のほうからの有料道路・奈良奥山ドライブウェイで登っていった。
10分ほどで頂上駐車場に到着。

▲ 頂上駐車場にクルマを停め、数分歩いて頂上だ(左)。
この辺りは、完全に紅葉の時期を迎えている。お、鹿もこんなところまで上がってきているのだ(右)。キミタチは鹿せんべいに頼らない、生活力のある鹿だね。よしよし。

▲ 若草山山頂342m。眼前には奈良盆地のパノラマが広がる。

▲ 山頂は平らで広い。昨日見たふもとから登ってくる人達もいてけっこう賑わっている。

▲ 若草山から正面の西方を見渡す。正面の山は生駒山だろうか。

▲ 左横の西南の方向を見渡す。 正面が斑鳩の里、左遠方が飛鳥の方にあたるのだろう。
山は生駒の山が切れて、さらに左向こうに金剛山の山並みになってくるのか。

▲ 手前をよく見ると、先ほどまで駐車していた県庁が見える・・
午後だから、かすみがかかっていて、はっきりはしないが、やはり全部みえる。
そばに、こんな石碑があった。

倭(やまと)は 国のまほろば
たたなづく 青垣(あおがき)
山隠(やまごも)れる 倭(やまと)しうるはし
倭建の命
古事記 歌謡
訳:
(大和は母なる国、私の故郷。幾重にも重なって青々とした垣をなす山々、
その山々にかこまれ抱かれている大和は、なんと美しい国だろう!)
倭建命(やまとたけるのみこと)が亡くなる直前、ふるさと大和を偲(しの)んで作った歌。
倭建命は12代景行天皇の息子。ただし景行天皇には皇子が80人もいた(WAO)。
倭建命の烈しい気性を恐れた景行天皇は、西の熊曾建(くまそたける)の征伐を命じる。
戻るとすぐに今度は東国遠征を命じる。
その時、倭建命は叔母に悲しみ嘆く。
「天皇は、私のことを死んでしまえばよいと思っているのでしょうか。」と・・・
倭建命はその後も各地に遠征を続け、ついに故郷大和を目前にして伊勢の能煩野(のぼの)
というところで亡くなってしまう。
なんともまあ、哀しく美しい、大和の国への賛美と望郷の歌だろう。
この若草山から、改めて大和の国を眺める・・
大和は 国のまほろば
うまし国ぞあきづしま 大和の国は
わかるような気がする。

▲ いったん山頂駐車場にもどった。 まだ2時だ。夜景はまだまだ。
ということで、クルマの中で簡単に昼食を作り、ブログ記事を書いていた。
午後4時過ぎ。陽が落ち始めたのだろう。辺りが薄暗くなってきた。山頂をのぞいてこよう。

▲ 夕日を見に来た若い人たち

▲ 結婚用の写真を撮る二人

▲ もくもくと草をはむ鹿と夕陽
きれいだなあ! 大和の夕陽の国原(くにばら)は・・
6時過ぎ、帳(とばり)が完全に降りた頃、この山頂に再び登った。
数名の人影がみえるだけ。
そして前に進むと、大和の国、奈良の夜景が現れた !! Waoo !

ネオンが少ないからだろう。函館山のような煌(きら)びやかな夜景ではない。
しかし、落ち着いた、かすかにまばたき揺れる光の原が、ゆったりと静かに、私の前に広がっていた・・・
大和の 夜の国原だ・・・
大和路最後の夜は、ここ若草山の山頂で車中泊。
**********
翌朝7時に、山頂駐車場を出発。
午後7時に、帰宅。
車中泊10泊に渡る「秋の大和路・歴史ロマンの旅」は無事終了。
おつかれさまでした。
皆様、ありがとうございました。
了