運が欲しい

心の貧しさが運を下げる。もしもこんな方程式があったとしたなら。
知恵と勘を磨きながら、心の動きを探求。

今日は何の日

2012年04月10日 16時24分56秒 | 日記

【今日は何の日】4月10日は駅弁の日

2007(平成19)年に発行された『全国から厳選!とっておきの駅弁100』(カルチャーランド著、メイツ出版)の「ようこそ、駅弁の世界へ!」に「4と十の組み合わせからなる「弁」の文字、「当」は十(とう)に通じることから4月10日を駅弁の日に制定」とある。8日放送の『元祖!大食い王決定戦 爆食なでしこ乱れ咲き』(テレビ東京系)の一回戦は60分以内に10種の駅弁を食べる「全国人気駅弁勝負」だった。一応別撮りのVTRで駅弁の紹介がされるものの、大食い選手権なので出場者によってひとつひとつの駅弁が数分間のうちにあっさり食べられてしまう。駅弁は比較的いろいろなおかずが入っていることが多いのに結果的にそのあたりがスルーされてしまうのは残念だった。またなかには食べている映像がほとんどない駅弁もあった。こういう感じだと宣伝効果があったかどうかは怪しいし、番組終了後に「大食い王決定戦で取りあげられました」と売り場にPOPを掲げていいものかどうかお店の方は悩むかもしれない。ただひとつ幸いだったのは初戦ということで出場者全員に余裕があり、二回戦以降とは違って観ていて明らかに苦しそうな食べ方をしていなかったことだろうか。

                           (OCN TODAY)
(以下略)


「大食い王決定戦」 これも懐かしい番組だなと思いつつ、最初はスゴイ!と思いましたが、やっぱり三回戦、四回戦となると、「頑張っているのは分かるんだけど、見ていて痛々しい」の様な事を感じたと思います。

オイラのブログもUPの連続だと、暇なヤツだな、見ていて痛々しいと言われていたりして。






降りる事が出来なかったのかな!?

2012年04月10日 16時03分30秒 | 日記

「イランの思惑にまんまと…」と鳩山氏に批判(読売新聞) - goo ニュース
イラン政府が、民主党の鳩山元首相がアフマディネジャド大統領との会談で国際原子力機関(IAEA)を批判したと発表したことを巡り、自民党などは「鳩山氏はイラン側に政治利用され、国益を害した」と批判した。

 イラン訪問を中止させられなかった政府の責任も追及する方針で、政府側は鳩山氏に苦り切っている。

 9日に帰国した鳩山氏は、会談でIAEA批判を行ったとするイラン側の発表を否定した。しかし、自民党は、大統領と会談を行ったこと自体が、首相経験者としての自覚の欠如だと断じた。同党の安倍元首相は9日、「鳩山氏は日米間にくさびを打ち込もうとしているイランの思惑にまんまと乗った」と語った。公明党幹部も「鳩山氏は何を考えているか分からない」と批判した。


シンクタンクのような頭脳集団の話に乗ってしまったのかな。
今のイランに元総理が行くという事、これは凄く勇気がいると思うのですが。

降りる事は出来なかったのかな。


読書は著者との対話

2012年04月10日 14時37分08秒 | 日記

読書のすすめ――本から学ぶことの効用と古典の重要性【出口治明の提言】(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

前回の当コラムで、人間は「人から学ぶ」「本から学ぶ」「旅から学ぶ」以外に学ぶ方法を持たない動物である、と指摘した。自分自身を振り返ってみれば、この3つの方法の中では「本から学ぶ」ウェイトが一番高かったような気がする。そこで、今回は、本から学ぶことの効用、即ち「読書のすすめ」について私見を述べてみたい。

 例えば、アメリカのオバマ大統領に直接会って話を聞きたいと考えた、と仮定する。飛行機のチケットを買ってワシントンに飛び、1ヵ月滞在して毎日ホワイトハウスに通ったとしても、オバマ大統領に会える確率は限りなくゼロに近いだろう。しかし、リンカーンの話は、実は700円も出せば、ゆっくりと聴くことができるのだ。「リンカーン演説集」を買って読めばそれで足りる。このように、読書は人に会うことや旅に出ることに比べれば、経済効率が著しく高いのだ。これが読書の第一の効用である。

 このことは同時に、読書が著者との対話であることを教えてくれる。人に会って話を聴く時は、じっくりと相手の話に耳を傾けなければならない。読書も全く同じである。およそ人との対話に、速読などあり得ない。速読なるものが百害あって一利なしと考える所以である。いうならば、速読は、観光バスに乗って世界遺産の前で10分間停車し、記念写真を撮っては急いで次の世界遺産に向かう旅のようなものだ。どこどこに行って写真を撮ったという記憶は残るかも知れないが、恐らく何を見たかを明確に覚えている人はほとんどいないだろう。速読は読書に対する冒涜に他ならないと考える。

 確か、恩師、高坂正堯先生の言葉だったと記憶しているが、「古典を読んで分からなければ、自分がアホやと思いなさい。新著を読んで分からなければ書いた人がアホやと思いなさい(即ち、読む価値がない)」と大学で教わったことを今でも鮮明に覚えている。古典は人類の長い歴史の中で選ばれて今日まで残ってきたものであって、いわば市場の洗礼を十二分に受けている。一冊の古典はビジネス書10冊、いや100冊に勝るかも知れない。経済学で言えば、アダム・スムスの国富論は、今でも書店に並んでいる数多の現在のビジネス経済書100冊に優に匹敵するのではないか。
(以下略)


教えて!goo

地震情報サイトJIS