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荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

忠臣蔵ー4(両国吉良邸跡)

2016年12月14日 | 散文
冷たい雨が上がった東京です。
「義士祭」に相応しい寒さです。

本ブログは12日の話です。
いつもは閑静な街ですが、やっぱり討ち入りの日が近いと来訪者が多い吉良邸跡です。

人を避けて、静かな佇まいを撮りました。

入ります。


正面に吉良上野介の像があります。

吉良家は足利氏を通じて源氏に遡る武家の名門です。
太平記にも登場します。
長男を上杉家に養子に出した名家です。

ここにも「首洗い井戸」があります。

赤穂義士は吉良を打ち取った後、ここで首を洗って、泉岳寺に持って行ったのですね。

吉良家にだって誉れの武士がいます。
「討ち入られ」時に主人を守って死んだ忠臣達です。


12月14日にはここでも「義士祭」が行われてます。
赤穂四十七士が主役です。

・・・泉岳寺でやるのはいいけど、ここでやるのは、吉良上野介達が可哀相じゃないですか?

近くには「安兵衛公園」もあります。

堀部安兵衛の道場跡です。
どうしても赤穂義士が主役になってしまいます。

余談ですが、泉岳寺に貼ってあったポスターです。

「忠臣蔵の恋」、もうすぐ佳境、討ち入りです。
コメント (2)
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忠臣蔵ー3(泉岳寺周辺)

2016年12月14日 | 散文
泉岳寺脇の小路を進みます。
山茶花の咲く道です。


好い感じの路地です。


都営高輪一号アパートの裏に来ました。
鬱蒼とした森の前に門があります。


細川越中守下屋敷跡です。


門の中庭を覗きます。
小さな一角です。


内蔵助他16人が切腹した場所です。

藩主の綱利が赤穂浪士は藩の守り神であるとして、切腹の血をきれいにしようとする家臣を止めたとうい話が残っています。







この大きな森の一部は、現在中学校の校庭です。


この辺りは土地勘があります。
以前に大使館を捜しに来訪しています。
で、確認しました。
ウズベキスタン大使館です。


そして、スリランカ大使館もありました。


前回訪問時に印象深かった高輪消防署二本榎出張所にも来ました。
昭和8年に造られた「ドイツ表現主義」によるオシャレな建物は、工事中でした。残念!




泉岳寺前の国道15号線に出ました。
高輪大木戸跡がありました。


東海道から江戸の南の入口跡です。


大きな石積みです。


木戸の大きさが想像できます。


元禄14(1701)年から時は流れて、自動車が引っ切り無しの現在の東海道です。


この話、まだ続きます。
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