夏目坂から神楽坂へ向かいます。
大通りを走ってもつまらないので、例によって路地を行きます。
この道にこんな案内板がありました。
早稲田小学校前の路地です。
「明治の文豪、夏目漱石が晩年を過ごした家、通称漱石山房がこの地にあった。」との案内に行き当たりました。
ここが記念館らしいです。
隣には「漱石公園」が在りました。
漱石の銅像があります。
掲示板もあります。
「漱石の散歩道 明治の文豪夏目漱石は、現在の喜久井町で生まれて早稲田南町で亡くなりました。漱石の作品には、早稲田・神楽坂界隈が数多く登場します。漱石は、ときには一人で、ときには弟子達とこの周辺を散策し、買い物や食事を楽しみました。漱石を身近に感じながら、歩いてみてはいかがですか?」
「漱石山房の記憶 夏目漱石は、明治40年9月、この地に引っ越してきました。そして大正5年12月9日、『明暗』執筆中に49歳で亡くなるまで、多くの作品を生み出したのです。漱石が晩年住んだこの家を『漱石山房』といいます。漱石は面会者が多かったので、木曜日の午後を面会の日としました。これが『木曜会』の始まりです。『木曜会』は、漱石を囲む文化サロンとして、若い文学者の集う場となり、漱石没後の彼らの心のよりどころとなりました。」
正面の施設には投句箱が置かれています。
公園は記念館の裏を一周しています。
それにしても、今日の行き当たりばったりは凄い!
今日は好い散策をしました。
人生と散策は、道草しないとつまらない。
大通りを走ってもつまらないので、例によって路地を行きます。
この道にこんな案内板がありました。
早稲田小学校前の路地です。
「明治の文豪、夏目漱石が晩年を過ごした家、通称漱石山房がこの地にあった。」との案内に行き当たりました。
ここが記念館らしいです。
隣には「漱石公園」が在りました。
漱石の銅像があります。
掲示板もあります。
「漱石の散歩道 明治の文豪夏目漱石は、現在の喜久井町で生まれて早稲田南町で亡くなりました。漱石の作品には、早稲田・神楽坂界隈が数多く登場します。漱石は、ときには一人で、ときには弟子達とこの周辺を散策し、買い物や食事を楽しみました。漱石を身近に感じながら、歩いてみてはいかがですか?」
「漱石山房の記憶 夏目漱石は、明治40年9月、この地に引っ越してきました。そして大正5年12月9日、『明暗』執筆中に49歳で亡くなるまで、多くの作品を生み出したのです。漱石が晩年住んだこの家を『漱石山房』といいます。漱石は面会者が多かったので、木曜日の午後を面会の日としました。これが『木曜会』の始まりです。『木曜会』は、漱石を囲む文化サロンとして、若い文学者の集う場となり、漱石没後の彼らの心のよりどころとなりました。」
正面の施設には投句箱が置かれています。
公園は記念館の裏を一周しています。
それにしても、今日の行き当たりばったりは凄い!
今日は好い散策をしました。
人生と散策は、道草しないとつまらない。