荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

市川関所跡へ行く。

2024年04月26日 | 散文

「小岩市川の渡し跡・小岩市川関所跡」から市川橋を渡ります。

渡ればそこは千葉県です。

橋を渡り終えた所に「山崎パン中央研究所」が在りました。江戸川左岸土手沿いです。

海からの距離標識が有ります。

振り返ります。左に渡ってきた市川橋、写真の中央付近にさっき見た「小岩市川の渡し跡・小岩市川関所跡」の説明板が有りました。右の鉄橋の下が小岩菖蒲園です。こんな位置関係です。

土手上の遊歩道を行きます。こんもりと木が茂っています。多分あそこです。

やっぱりそうです。

左の建物が山崎パン中央研究所です。

こちらにも説明板が有りました。

絵もあります。

左下に「小岩市川の渡し・小岩市川関所」が描かれています。そして江戸川を右斜めに渡った所に「市川関所」、つまり今立っている、ここです。

背後は山崎パン中央研究所です。

建物の端に繋がる歩道が在ります。

行ってみます。

遊歩道です。「自転車の持ち込み、乗り入れは禁止」とのことです。残念です。ここに自転車を置きます。

中央研究所を見上げながら、

遊歩道を行きます。

石段を下ります。

塀の先は一般道に続いています。山崎製パンの歴史保存への配慮ですね。

戻ります。

市川関所跡裏です。

こんな散策でした。

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小岩市川の渡し・小岩関所跡

2024年04月26日 | 散文

江戸川の土手から「小岩菖蒲園」を眺めています。菖蒲はまだです。

背後に、菖蒲園から江戸川の土手を上がった所に、商店街への入り口が在ります。菖蒲見物客を相手に左右に店が出て、往時はさぞかし賑わったと思います。

降りた所が商店街のメイン通りです。鉄道の高架下です。

ここは京成江戸川駅です。東京の東端の駅です。

駅前の道は昔の街道でした。ここに商店街を造りました。

すぐに商店街が終わります。

と思ったら、角を曲がった突き当りの土手の下にも商店街看板が有りました。江戸時代には、この左右に旅籠や料理屋などが軒を連ねていたそうです。

説明板です。「御番所跡  ここは旧伊与田村に属し、佐倉道と元佐倉道の合流するところで、南北に走る岩槻道にも接する交通の要衝でした。小岩市川の渡しが定船場となり、御番所が置かれたことから御番所町と称したと思われます。江戸時代後期の地誌『新編武蔵国風土記稿』の伊予田村の項にも関所は『江戸川の傍にあり、ここを御番所町とも云、対岸は下総国葛飾郡市川村なれば、小岩市川の御番所と云』と書かれています。  御番所町は『徳川実紀』延宝二年(1674)の記事にある佐倉道(元佐倉道)の小岩の駅(宿場)に当たるものと考えられます。 

かつては旅籠屋を兼ねた小料理屋をはじめ、鮨屋、あめ屋、ぬか屋、掛茶屋などが並んでいたと伝えられています。街道の江戸川に突き当たる付近が関所跡で、関所から来ると正面左に『御番所町の慈恩寺道石造道標』が望めました。今も原位置にあり、道路の様子も旧状をとどめています。

そのほかにも、江戸川畔にあった常燈明(宝林寺内)や、関所役人中根家の墓(本蔵寺墓地)など、ゆかりのある旧跡がよく残っています。  江戸川区」

江戸川土手に向かいます。この付近に関所が在ったようです。

土手を上がります。

振り返る旧御番所町です。

土手上にも説明板が有ります。

鉄橋の下に堀切菖蒲が見える場所です。

説明板です。

ここに渡しが在って、川向うのあの辺りに「市川関所」が置かれていました。

今は、川下のすぐそこに、「市川橋」が架かっています。

対岸へ行ってみようと思い立ちました。

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