「愛媛県庁/えひめの棚田」HPでは「せんじょう」と記載していますが、その漢字から「せんぢょう」だと思います。
加茂川を遡って高知へ抜ける道を走っています。
大昔、川は山塊を穿って、その岸に人々は古道を成しました。
その道をベースに造った国道だと思います。
目的地は多分あの山懐です。
村の入口にいきなり「復興」碑がありました。
一度は廃村になった村かも知れません。
この村は来歴がはっきりしています。
戦国時代に土佐から山を越えて土着した伊藤氏が拓いた村です。
数えきれない程の段々式水田があって、「東予の千枚田」として知られています。
「えひめの棚田」HPより。
この伊藤氏以外にも、道の途中に、開拓・復興に尽力した人々と思われる表彰碑があります。
皆で復興した村のようです。
つづら折りの坂を上がって行きます。
自然石を砕いて積み上げています。
気の遠くなるような年月を費やした作業です。
棚田がありました。
一気に上まで行ってみます。
思っていたよりも人が住んでいて、途中何度か車とすれ違いました。
一番上の集落の入口です。
この道の左手に伊藤家のお墓があったので、開拓者の子孫の集落だと思います。
水の管理上、棚田は上に在るほど有利です。
力のある者が上の棚田を所有したと思います。
思っていた以上に廃屋が点在しています。
ここから先は車では行けません。
引き返しながらHPに言う「数えきれない程の」棚田を観ます。
次回に続きます。
加茂川を遡って高知へ抜ける道を走っています。
大昔、川は山塊を穿って、その岸に人々は古道を成しました。
その道をベースに造った国道だと思います。
目的地は多分あの山懐です。
村の入口にいきなり「復興」碑がありました。
一度は廃村になった村かも知れません。
この村は来歴がはっきりしています。
戦国時代に土佐から山を越えて土着した伊藤氏が拓いた村です。
数えきれない程の段々式水田があって、「東予の千枚田」として知られています。
「えひめの棚田」HPより。
この伊藤氏以外にも、道の途中に、開拓・復興に尽力した人々と思われる表彰碑があります。
皆で復興した村のようです。
つづら折りの坂を上がって行きます。
自然石を砕いて積み上げています。
気の遠くなるような年月を費やした作業です。
棚田がありました。
一気に上まで行ってみます。
思っていたよりも人が住んでいて、途中何度か車とすれ違いました。
一番上の集落の入口です。
この道の左手に伊藤家のお墓があったので、開拓者の子孫の集落だと思います。
水の管理上、棚田は上に在るほど有利です。
力のある者が上の棚田を所有したと思います。
思っていた以上に廃屋が点在しています。
ここから先は車では行けません。
引き返しながらHPに言う「数えきれない程の」棚田を観ます。
次回に続きます。