荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

棚田で想う。

2016年08月28日 | 散文
水平360度、上下約45度棚田の中に居ます。
四国に多くある落人伝説を想います。

何らかの理由があって山中深く逃れて来た人々は、外部との接触を絶ち隠れ住みます。


食用になる獣も少ない土地です。
生きていく為家族を養う為には農耕が必要です。
稲作に不適な土地に先ず水を引きます。

何処から引いたのでしょう?
雨水を溜める池が必要です。

やっと引いた水をせき止めます。


せき止めた土地の土を小さく砕いて稲作に適した泥に変えます。


小さな田が出来ると、それを潤した水を一つも漏らす事の無いように誘導して、また田を造ります。


それを延々と毎日毎日繰り返します。数世代を経て繰り返します。


人里から隠れた暮らしです。


手伝いなんかありません。


一緒に逃れて来た一族だけでの作業です。


病気になっても怪我をしても医者は居ません。

多くの大人が早く死んだと思います。

栄養状態も悪いだろうし、不作・凶作もあります。


乳幼児の死亡率も高かったと思います。


他人に感づかれずに棚田を造るには土地に限界があります。


おのずと人口が制限されます。


子供の間引きや姨捨の風習があったかも知れません。


結婚できない若者が居たでしょう。


望まない結婚をした娘も居たでしょう。


近親結婚の弊害もあったと思います。


どうして、そんな暮らしを続けたのでしょう?


己の業を子孫に残し、同じ苦しみを伝えて良いものかとの葛藤も生じたでしょう。


一方で、いつかの代に晴れて隠れ里を出る時が来ると思っていたのでしょう。



源平或いは戦国時代から暦が折り重なって誰もこのような里の人を敵視しなくなった頃、開けた人里に下りる機会が巡って来ます。


新たな土地を入手する為にはお金が必要ですが、彼らは外部との交流を絶って、貨幣と縁遠い暮らしをして来ました。


もともと貨幣と交換できる程の収穫はありません。


繰り返し繰り返し続けられた暮らしをまた繰り返すしかありません。


代を経る人々はまた次の代に託します。

語り伝えられた先祖の意思は昔物語りになります。

伝承されるうちに、やがて伝説となります。

落人伝説として今に伝承されます。

上下左右棚田に包まれた谷でそんな事を想います。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 登泉堂へかき氷を食べに行く。 | トップ | 画像フォルダが満杯 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ろこさん (荒川三歩)
2016-08-28 10:17:45
棚田は日本の原風景と言われますが、それは「心情風景」ではないか、と思ったりもします。
返信する
隠れ里 (ろこ)
2016-08-28 08:19:35
おはようございます。
 美しい棚田になるまでの歴史は悲しい逸話に彩られていたと思うと風景が胸に一層しみますね。
 
 驕る平家も悲しい末路になり、糊口を自らの手でしのぐまでは壮絶な月日が棚田の様に積み重なっていったのでしょう。

 なぜか写真に心奪われた理由がわかったような気がします。
返信する
k秋さん (荒川三歩)
2016-08-28 08:04:35
日本の原風景と言われているとおり郷愁を誘う風景ですが、それを開拓して現在に繋げた人達の肉体的労苦と、彼らの心情を想います。
途中で消滅してしまった棚田と一族が多く在ったと思います。
返信する
三歩 様 (k 秋)
2016-08-28 07:31:13
おはようございます。
棚田、写真の被写体だけでなく、
裏には悲しい物語があるのですね
我が県にも、奥会津の桧枝岐というところがあり、
苗字は、星・平野・橘、だけです。
平家の落ち武者が住み着いたところと言われております。
今は尾瀬の玄関口です。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

散文」カテゴリの最新記事