葬儀に参加した文人達の記録によって、根岸の子規庵から田端の大龍寺までの「正岡子規葬送の道」を辿ることができます。この赤鬼不動尊は、代表的な葬送の道のチェックポイントです。
この写真を見ないと、阿像(右)・吽像(左)が分かりません。・・・否、阿像・吽像の左右の位置は決まっています。
そうなんです。ぱっと見の物体に惑わされました。昨年は台風一過で赤紙が吹き飛ばされていて裸状態でしたが、今年は見事な赤鬼です。
吽像です。
阿像です。色んな所に病気を持っている人が沢山居るんですね。私も他人事ではありません。今年は虫垂炎の手術をして以降、お腹の膨満感が絶えません。常に張った感じです。手術するとすぐには元通りにならないものですね。
病気が快癒した人がお礼に奉納した草鞋です。赤鬼は病気快癒祈願の人を巡って治療に行くので、沢山の草鞋が必要です。そんな習わしです。
横から見ます。体の側面が悪い人は少ないようです。
後ろは、なるほど、私も慢性的な腰痛に悩まされています。
説明板です。この赤鬼は何度か移転しています。江戸時代の末までは「田端村の鎮守である八幡神社の門前にあった」と書かれています。その八幡神社こそ、正岡子規の墓所である「大龍寺」の隣りなんです。正岡子規は、赤鬼不動に導かれて、葬られるべくして大龍寺に葬られたのですね。
そして、正岡子規が大龍寺に葬送された時は、7m前方にあって、平成21年に道路拡張されたようです。私が知っているのは現在の道です。
年に一度くらい、正岡子規の墓所を訪ねる時に訪問する不動尊です。
葬送の道の記事はこちら。
とこちら。
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