荒川三歩

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「桜井の史跡と伝説」-26/高麗池の由来

2018年06月01日 | 散文
生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。
記載の文章は、誤字脱字(けっこうあります)を訂正した他は原文ままです。



26.高麗池の由来

今から凡そ、1300年前、斉明天皇の時代、朝鮮は3つに分かれて戦い新羅は唐に、高麗、百済は日本へ救援を求め、日本から兵を出した。


その時、越智守興が兵を率いて出兵してが、戦に敗れ敵の捕虜となり唐につれていかれたが、すきをみて、家来2~3名と逃げ、九州にたどり着いた。


ちょうどその時、天智天皇が九州におられ、守興生還を非常に喜ばれ、守興に、今の朝倉を治めるよう命じた。


守興は、朝倉に来て、隣接する桜井も治めるようになった。




桜井は、大変よい処であるが水に乏しく、その当時、沢山来ていた帰化人の中より、トージさんと云われる高麗人をつれて来て、池を築いた所から、高麗池というようになった。


その時点では現在の池の3分の1程の大きさであったといわれ、のちに明治23年に改修され、200町歩の用水源となり、昭和29年の改修の時には、桜井町(合併前)が総事業費2,500万円余をもって、前改修時の2倍の貯水量をもつ現在の高麗池となった。




<筆者>
平成になっても改修されています。




土手の改修だと思います。
随分と分厚く立派になっています。


池下から見る土手です。
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