山手線・埼京線の新大久保駅が見えてきました。
異国情緒タップリの街です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/26/8b895dec3f6c75ee10e89579a41795c5.jpg)
横断歩道を渡ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/38/edd014e046a4a598e2e40ee7117f56ed.jpg)
韓流店を見上げます。
向こうから見下ろされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/a7/6deb4c6f5c571f353fa6833bfc539c72.jpg)
ガード下へ入ります。
壁画がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/bf/f1232a650f37f6381d87feb66b10f733.jpg)
皆仲良くしている楽しそうな絵です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/35/3a81957389605e89c27a4e35c047ae64.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/d8/d7da8b0fb5570fa35d39b8883923805d.jpg)
ガードをくぐり抜けると百人町です。
日の丸があって、ガラリと雰囲気が変わりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/00/7a4ade199c2343f2a21476b018087af0.jpg)
隣の新大久保との違いを強調しているように見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/2f/5cdbb063061d4a0f52e0d10db110b09c.jpg)
「百人町明るい会商店街」に来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/82/62be6abc3bc419534064f6d8bc34f165.jpg)
韓流店が無くなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/ca/92234a18e241c697d7f3b243da3cb10e.jpg)
中央線大久保駅が見えてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/83/3bb3bac0c2c95e5d9df9a78cb574be84.jpg)
ガード下に「江戸幕府鉄砲組百人隊と大久保つつじ」の説明板がありました。
天正18年(1590年)徳川家康が江戸入府の際、内藤氏に率いられた伊賀組などの鉄砲同心は、江戸の西の警備にあたるために駐屯しました。関ヶ原の戦いの後、幕府は鉄砲組に組屋敷を与え、現在の百人町に定住しました。鉄砲組は同心百人を配属されたので百人組と呼ばれ、百人町の地名の由来になりました。平時は、江戸城の警護にあたり、将軍が寛永寺、日光東照宮などに参拝する際には警護にあたりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d6/8cfa1d882b3224f6911f60fb1d4f0e0d.jpg)
大久保村付近は、つつじの自生地であったとされますが、鉄砲組は定住後、屋敷内で余暇を利用して、つつじの栽培を行いました。やがて名所として江戸で評判となり、「江戸名所図会」「江戸名所花暦」などに紹介されています。つつじ栽培は、明治維新以降、一時衰退しましたが、明治16年に大久保躑躅園が開園し、一万株ものつつじが栽培され明治時代花見客で賑わいました。明治天皇が、大久保つつじの短歌を詠まれ、それを記念した歌碑が皆中稲荷神社に建立されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/61/fe3e3f9a20b95c59044ed972d7ada217.jpg)
その後、日比谷公園ができると大部分のつつじが移され、町の発展の歴史と共に姿を消していきました。しかし、「大久保つつじ」への愛着は強く戦後になって毎年4月、ゆかりの深い皆中稲荷神社において、地元商店街の二世会の若者たちによって「大久保つつじ祭り」が行われるようになり、昭和47年には新宿区の花に指定されました。また昭和36年からは、「江戸幕府鉄砲組百人隊出陣行列の儀」が地元有志の尽力により行われるようになり、平成14年に新宿区無形民俗文化財として登録されました。
大久保壁画制作委員会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/03/186f7ce4dc7b8c97c74f176b98160107.jpg)
なるほど、誇りを持った壁画ですね。
大久保駅を過ぎて小滝橋通りを北上したら、柏木教会がありました。
歴史があって、色々な文化が共存している街のようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/17/7d30a0258168f869ea93c4da0645dd6e.jpg)
異国情緒タップリの街です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/26/8b895dec3f6c75ee10e89579a41795c5.jpg)
横断歩道を渡ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/38/edd014e046a4a598e2e40ee7117f56ed.jpg)
韓流店を見上げます。
向こうから見下ろされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/a7/6deb4c6f5c571f353fa6833bfc539c72.jpg)
ガード下へ入ります。
壁画がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/bf/f1232a650f37f6381d87feb66b10f733.jpg)
皆仲良くしている楽しそうな絵です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/35/3a81957389605e89c27a4e35c047ae64.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/d8/d7da8b0fb5570fa35d39b8883923805d.jpg)
ガードをくぐり抜けると百人町です。
日の丸があって、ガラリと雰囲気が変わりました。
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隣の新大久保との違いを強調しているように見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/2f/5cdbb063061d4a0f52e0d10db110b09c.jpg)
「百人町明るい会商店街」に来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/82/62be6abc3bc419534064f6d8bc34f165.jpg)
韓流店が無くなりました。
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中央線大久保駅が見えてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/83/3bb3bac0c2c95e5d9df9a78cb574be84.jpg)
ガード下に「江戸幕府鉄砲組百人隊と大久保つつじ」の説明板がありました。
天正18年(1590年)徳川家康が江戸入府の際、内藤氏に率いられた伊賀組などの鉄砲同心は、江戸の西の警備にあたるために駐屯しました。関ヶ原の戦いの後、幕府は鉄砲組に組屋敷を与え、現在の百人町に定住しました。鉄砲組は同心百人を配属されたので百人組と呼ばれ、百人町の地名の由来になりました。平時は、江戸城の警護にあたり、将軍が寛永寺、日光東照宮などに参拝する際には警護にあたりました。
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大久保村付近は、つつじの自生地であったとされますが、鉄砲組は定住後、屋敷内で余暇を利用して、つつじの栽培を行いました。やがて名所として江戸で評判となり、「江戸名所図会」「江戸名所花暦」などに紹介されています。つつじ栽培は、明治維新以降、一時衰退しましたが、明治16年に大久保躑躅園が開園し、一万株ものつつじが栽培され明治時代花見客で賑わいました。明治天皇が、大久保つつじの短歌を詠まれ、それを記念した歌碑が皆中稲荷神社に建立されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/61/fe3e3f9a20b95c59044ed972d7ada217.jpg)
その後、日比谷公園ができると大部分のつつじが移され、町の発展の歴史と共に姿を消していきました。しかし、「大久保つつじ」への愛着は強く戦後になって毎年4月、ゆかりの深い皆中稲荷神社において、地元商店街の二世会の若者たちによって「大久保つつじ祭り」が行われるようになり、昭和47年には新宿区の花に指定されました。また昭和36年からは、「江戸幕府鉄砲組百人隊出陣行列の儀」が地元有志の尽力により行われるようになり、平成14年に新宿区無形民俗文化財として登録されました。
大久保壁画制作委員会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/03/186f7ce4dc7b8c97c74f176b98160107.jpg)
なるほど、誇りを持った壁画ですね。
大久保駅を過ぎて小滝橋通りを北上したら、柏木教会がありました。
歴史があって、色々な文化が共存している街のようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/17/7d30a0258168f869ea93c4da0645dd6e.jpg)