荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

鏡山部屋が廃業していた。

2021年07月24日 | 散文

オリンピック開催式の日です。日本での開催が決定した時から予想されたとおり、今日も厳しい暑さです。小松川境川親水公園を行きます。真夏に木の陰と水の流れが優しいです。住環境は最高です。この先に鏡山部屋が在ります。

 

嗚呼!もう看板が有りません。玄関右のスペースが虚しいです。

 

上の郵便受けは封印されています。下の「鏡山部屋」のテプラが唯一、相撲部屋だったと分かるものです。

 

改めて部屋の跡を眺めます。

 

師匠は元関脇多賀竜でした。貴乃花部屋の貴乃岩を日馬富士が殴打した事件の際に、相撲協会の理事であった鏡山親方が使者となって、無言の貴乃花部屋を訪れていたのが印象に残っています。

 

鏡山部屋の力士は、長い間ずっと2人でした。これでは部屋の発展は難しいです。師匠と2人の力士及び部屋付き親方が纏まって伊勢ノ海部屋へ転籍しました。そもそもこの部屋は、横綱柏戸が伊勢ノ海部屋から独立して興した部屋です。江戸川区にあった伊勢ノ海部屋時代なので、同じ江戸川区の住環境の良いこの場所に部屋を建てたのでしょう。

従って、本家筋の伊勢ノ海部屋への転籍は自然な形です。

 

それでも、目の前のこの住環境は、惜しい!

 

在りし日の鏡山部屋です。

 

江戸川区時代の伊勢ノ海部屋です。

 

今の伊勢ノ海部屋は文京区千石に在ります。江戸川区の部屋が手狭になって、女将さんの実家を改装して部屋を建てました。

 

まわしを探しながら相撲部屋を訪ね始めた頃、相撲界の人たちは皆こんなに親切に話をしてくれるのか、と勘違いしたものです。

そのエピソードが懐かしく甦りました。


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