荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

堀切菖蒲水門と避難橋

2023年10月09日 | 散文

「中土手」を下流に向かって散策中です。綾瀬川の上に変わった形の施設が在ります。橋が架かっていて、人が往来しています。

 

下流側から見ます。「堀切菖蒲水門」です。

 

説明板が有ります。

 

 

上の写真で、水門と綾瀬川と荒川の位置関係が分かると思います。下の写真の右端に、「中川」が登場します。この中川の存在が、水門を必要とするのです(後ほど中川を見ます)。

 

イラストです。綾瀬川の水が葛飾の街に溢れないようにポンプで荒川に排水します。荒川は街を水害から守るために造られた人工の河川です。正に「荒川放水路」です。・・でもね。

 

その際、下流で綾瀬川と合流している中川が逆流して来ないように堰き止める為、ここに「堀切菖蒲水門」を造りました。普通は、上流の水を堰き止める役目の水門が、ここでは下流から逆流する水を堰き止めるのです。高低差が少ない地形から来る対策のようです。

 

中土手を下流に走ります。

 

綾瀬川に黄色い橋が架かっています。右側(中土手側)が高いようです。

 

右が高く斜めに架かっている橋です。これが{避難橋」です。洪水時に、綾瀬川下の葛飾の人たちがこの橋を渡って、界隈で1番高い中土手に避難します。下流にもう1本有って、「堀切菖蒲水門」上にも橋が架かっています。住民の命橋です。・・・これって、綾瀬川の左側、葛飾の街側の土手を高くすれば、溢れた水は荒川に流れて、大雨で綾瀬川が溢水しても葛飾の街が守れるのに、と私は思うのです。

 

葛飾側が低くなっている避難橋の正面です。江戸の昔から、江戸(今は東京)の中央を守る為に、全ての河川の郊外側が低くなっているそうです。洪水を郊外に溢れさせて、中心部の人(江戸時代は圧倒的に中心部に多かった)・資産・指揮命令施設及び組織を守る設計だと聞いています。多摩川も隅田川も、東京の全ての河川が、今もそうなっているそうです。綾瀬川も然り、なんでしょうね。

 

「放水路」として造った荒川にポンプで排水しているのは、綾瀬川の土手を高くする、或いは中土手を低くする土木工事よりは経済的にメリットがあるのでしょうね。また、溢水して土手が崩壊すると、造り直すのに時間と経費が掛かります、、、

 

さて、更に中土手を行きます。中川を見に行きます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中土手と荒川放水路

2023年10月08日 | 散文

東京下町の風景です。中土手を行きます。荒川と綾瀬川・中川(途中で合流)との間の土手を「中土手」と言います。左からぐるりと右端まで首都高速道路が走っています。右端にスカイツリーが望めます。

 

右は荒川です。広い河川敷です。この敷地全てで、周辺河川の余剰雨水を受ける構造です。中空に走るのは首都高向島線です。

 

左は綾瀬川です。首都高中央環状線の向こうは、綾瀬川より低い葛飾の街です。

 

街よりも、荒川よりも高い綾瀬川です。荒川は大正15年に完成した人工の河川です。完成時は「荒川放水路」と呼ばれていました。東京都心を水害から守るために、当時「暴れ川・荒川」と呼ばれていた「隅田川」の水を放流する為に造られました。その機能は、同じく綾瀬川の放水路でもあります。正面は堀切ジャンクションです。

 

右の首都高向島線が、首都高中央環状線と交わる所です。

 

首都高向島線は、荒川を越え隅田川に沿って都心に向かいます。

 

向島線の上り線と下り線及び中央環状線の上り線と下り線が交差する為、4本の高速道路が交わっています。

 

緊急避難用でしょうか、階段も付いています。

 

中土手上に説明板が有ります。

 

現在地は、右からやって来て堀切ジャンクションを潜った所です。「堀切菖蒲水門」の手前です(後ほど行きます)。

 

葛飾のこの界隈は菖蒲の栽培が盛んでした。今は「堀切菖蒲園」が残っているだけですが、都民の初夏の憩いの場です。

 

ここ中土手は永井荷風お気に入りの場所だったようです。

 

目を上げると、視界が開けます。中土手から見る都心方面です。心地良い秋の風が吹きます。風情は変わってしまいましたが、永井荷風同様、私のお気に入りの場所でもあります。

この後更に、中土手を下流に向かいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「まつや」と「やぶそば」

2023年10月08日 | 散文

お昼時の靖国通りです。神田須田町の「まつや」の行列が短いのに気が付きました。これは並びましょう!

 

十数年ぶりにまつやで蕎麦を食べます。

 

 

店内も変わっていません。味もそのままでした。

 

 

さて、神田須田町のもう一つの蕎麦の老舗を覗きに来ました。

 

あれ?定休日でしょうか?行列がありません。

 

入口に案内書きがあります。

 

へえ~!こういうシステムに変わったんですね。

変わらない店、変わった店、老舗も様々です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「男はつらいよ 第26作」の現場を訪ねて 綾瀬川五兵衛橋

2023年10月07日 | 散文

印象深いシーンに橋が登場します。寅さんに付き添われて定時制の試験を受けに行ったり、函館から男友達が訪ねてきたりする場所です。

 

 

 

これは散々探しました。定時制高校のすぐ近くの中川かと思っていたら、綾瀬川に架かる「五兵衛橋」との事です。散々探しましたが、映画の面影が全くありません。この歩道橋の先です。映画では高速道路なんて在りません。

 

五兵衛橋です。平成15年に竣工した橋です。映画の橋はとっくに造り変えられたんですね。

 

下流の正面には「東京拘置所」が在ります。あのカルロス・ゴーンが拘置されていたアレです。

 

映画の面影なんて皆無です。頭上に高速道路が通るなんて、、

 

めちゃめちゃ隔世の感があります。映画のロケ地案内はここなのですが、絶対に同じ場所だとは思えません。

 

1つ上流の「綾瀬新橋」です。

 

ここで気が付きました!この橋は古いままです。

 

 

映画の橋の面影があるように思います。

 

ここじゃないけど、映画の雰囲気を感じます。

これで納得せざるを得ません。

 

さて、映画は寅次郎がいつものように失恋して終わるのですが、旅に出た後、さくらが定時制高校に呼ばれます。

 

すみれと一緒に通った定時制高校の雰囲気を気に入った寅次郎です。

 

定時制高校への入学願書を提出していました。

 

寅次郎は中学校中退なので、高等学校受験の資格が無いのです。

そんな切ないエンディングでした。寅さんって、昭和15年の生まれなんですね⁉

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「男はつらいよ 第26作」の現場を訪ねて 立石5丁目

2023年10月07日 | 散文

先週の「土曜は寅さん!」は、第26作「寅次郎かもめ歌」でした。昭和55年制作、56年の「お正月映画」です。マドンナは伊藤蘭でした。撮影場所の1つがよく行く立石なので行ってみました。

 

テキヤ仲間が死んで、娘「すみれ」を寅さんは柴又に連れて帰ります。先ず驚いたのがその勤め先です。「近所の小さなスーパー」との事でしたが、何と、あの「セブン・イレブン」です。こんな制服だったんですね。

 

すみれは定時制高校へ行きたいと言います。映画等で柴又駅界隈の賑を見て、葛飾区の中心地だとお思いの方もいらっしゃると思いますが、柴又は葛飾区の東の端です。中心地は立石5丁目界隈で、区役所が在ります。

 

「タカラトミー」も在るのです。

 

 

受験に自信がないすみれが受かりました。喜んで走って校門を出ます。とら屋の皆んなと虎さんに報告です。

 

「葛飾高等学校」定時制課程に入学です。

 

このモデルが立石5丁目に在ります。柴又から電車で二駅目青砥駅で降りると、直線距離で約700m、徒歩10分くらいの場所です。葛飾区役所の斜め前です。

 

数年前に建て変わっています。映画ではこちらが校門みたいです。

 

運動場の雰囲気は昔を彷彿とさせます。

 

 

そして、実際に「南葛飾高等学校」は定時制課程があるのです。

 

更になんと!この高校は、キャプテン翼の「南葛高校」でもあるのです。

 

 

作者がここのOBです。

この話、続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おしるこ竹むら」の佇まい

2023年10月06日 | 散文

神田須田町おしるこ竹むらです。変わらぬ佇まいです。

 

まだ夏の花です。よく手入れされています。

 

その佇まいを眺めます。

 

やっぱり老舗は風情がありますね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いせ源 あんこう入荷しました。

2023年10月06日 | 散文

暖簾が掛かって玄関が開いていました。え、もうやっているんですね。神田須田町のいせ源は、あんこう鍋の老舗です。

 

玄関脇のショーウインドウを覗きます。居た!もう入荷しているんですね!まだ10月の初めです。あんこう鍋は冬の物です。この時期に来るのが初めてなので、驚きました。この時期は、上からも氷を吊り下げるんですね。

 

お昼時です。メニューが店頭に出ています。

 

いつものように、店の風情を眺めます。

 

 

 

 

 

最後にもう一度。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつの間にか模様替えした「柳原商栄会」

2023年10月05日 | 散文

北千住から商店街を通ってやって来ました。「柳原商栄会」です。

 

昔ここにはこんなアーチが有って賑やかでした。いつの間にか模様替えしていました。・・・よく見ると、一番手前の家は、たばこ屋だったんですね。

 

もうたばこ屋は営んでいません。玄関脇のシャッターが降りた窓でたばこを売っていたんですね。

 

アーチに変わって、可愛い袖看板になりました。確かにこうして比較すると、アーチは時代遅れに思います。

 

たばこ屋隣りのビルは変わっていません。

 

以前もクリーニング屋だったのかは定かではありません。

 

商店街を行きます。と言っても、住宅街になった商店街です。

 

 

この店は自転車屋でした。1度入った事があります。

 

知らないうちに閉店していました。

 

交差する路地です。ここは先日報告した、消滅した「千住柳原通り商店街」です。

 

電気屋です。ここの中空に「北千住駅」の矢印看板が立っていました。

 

銭湯「大和屋」です。大きな商店街には銭湯が在りましたね。

 

煙突が煙を吐きます。大和屋は現役の銭湯です。

 

シャッターを降ろした店と住宅が多いです・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷中富士見ホテルの今

2023年10月05日 | 散文

夕やけだんだんの坂の上です。まだ富士見ホテルの看板が有りました。

 

周囲が更地になったせいでよく見えます。

 

 

ホテルの内装でしょうか?

 

玄関へ行きます。

 

前回訪問時とあまり変わってないようにも感じます。

 

 

 

引き返しながら振り返ります。左右が更地になっているので、富士見ホテルも解体されて、何かが建つのでしょうね?ひょっとして富士見ホテル?・・・もう富士山は見えないのにね。

営業していた時は周りも含めてこんな感じでした。ちょっとごちゃとして、懐かしい雰囲気が魅力的でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷中再開発工事進捗中

2023年10月04日 | 散文

秋でも賑わうかき氷屋の向こうが明るくなりました。

 

真ん中の茶色のビルを除いて、七面坂に沿った周囲が更地になりました。

 

いつも思うのですが、何が在ったか思い出せません。場所柄、商店だったと思います。

 

解体工事が長引いていたのに、こうなってしまうとあっけないです。時は存在を忘却させます。

 

振り向くと、谷中銀座の賑わいです。

 

改めて眺めます。

 

夕やけだんだんの隣りです。

 

「質屋おぢさん」が目立ちます。

 

どんな建物ができるのか、ちょっと楽しみです。住みたいな、と思うアパートだったら良いなと思っています。1階にお洒落な店があって、、、。

 

夕やけだんだんから見下ろす左手の風景が、やがて変わります。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡倉天心記念公園に秋が来た。

2023年10月04日 | 散文

木漏れ日に落ち葉散る、岡倉天心記念公園です。

 

落ち葉を踏みます。

 

 

今日は岡倉天心像を覗きます。

 

 

遊具を見に行きます。

 

 

 

木漏れ日と落ち葉です。

 

木漏れ日の中のブランコです。

いつも静寂な小さな公園です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根岸薬師寺 御隠殿跡

2023年10月03日 | 散文

随分久しぶりにやって来ましたが、全く変わっていません。

 

ここは「御隠殿」跡です。

15代に渡って親王や天皇の猶子を迎えて輪王寺宮とし、上野寛永寺で勤め、ここ「御隠殿」を休息の場としたそうです。私が思うに、天皇家から人質を取って、徳川家代々の菩提を弔わせたのだろうか?

 

邪推はさておき、小さな境内に入ります。

 

隅に小さな庭が有ります。

 

 

 

その側に、当時の地図が掲示されています。広大な地所です。左下の31番が現在地です。右端3番が「芋坂」で、4番が「羽二重団子」です。敷地に大きさに圧倒されます。

 

現在の「芋坂」

 

と現在の「羽二重団子」です。

 

右端の石柱脇が「芋坂」です。

 

ちなみに、多分初代が「笹の雪」の名付け親です。在りし日の「豆腐料理笹の雪」です。

 

上記地図の左3〜400mの場所に在りました。

 

根岸薬師寺です。

 

小さな中庭が有ります。

 

民家と変わらない佇まいです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根津の路地に秋が来た。

2023年10月03日 | 散文

根津を散策しています。私の好きな根津の路地です。秋の風情です。

 

 

 

 

 

 

振り返ります。

 

突き当りの路地はまだ夏の名残りの光です。

 

出ると左手にパン屋が在ります。

 

右は㋪です。

 

初めてパン屋の屋号を知りました。「ボンジュール マジョマジョ」です。

路地裏散策に丁度好い季節になります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清砂大橋と葛西橋を過ぎたら、

2023年10月02日 | 散文

秋らしくなりました。曇り空なので尚更秋っぽいです。キバナコスモスの向こうに清砂大橋です。地下鉄東西線を並走しています。東京の地下鉄は、田舎に行ったら地上を走ります。

 

ちょっと上流です。キバナコスモスの向こうに葛西橋です。江東区と江戸川区を結びます。間には荒川です。

 

もうちょっと北上したら荒川ロックゲートです。いつものように自然に閘室を覗きました。十数艇のカヌーが閘室を出ていくところですが、最後尾の様子が変です。閘室脇の遊歩道を追いかけます。

 

集団に置かれて、カナディアンカヌーがカヤックを曳いています。あれって、水没しているよね⁉

 

重そうです。漕いでいるのに進みません。しかも、後ろの人は漕いでいません。一人で漕いでいます。後ろの人が乗っていたカヤックだろうか?何があったんだろう?先行した艇は誰も応援に来ないし、仲間割れしたのだろうか?

もう5分早くロックゲートに着いていたら経緯が分かったのに!と、野次馬根性丸だしで見ていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京ゲーテ記念館

2023年10月02日 | 散文

文学の秋です。やって来たのは「ファウスト」の説明板です。

 

西ヶ原の坂の途中に在る小さな公園です。

 

公園前の道路柵に有るレリーフです。どういう建物なんだろう?右下に書いてある文字が読めません。第2外国語はドイツ語だったのにね・・・?

 

「ゲーテ年譜」も有ります。

 

ここは「ゲーテ記念館前ポケットパーク」です。

 

で、前を見ると、堂々とした大きな建物が在ります。

 

 

建物前からポケットパークを見ます。

 

こちらの道路前の柵には「ゲーテの小径」です。この車の往来が煩わしい坂道の事だろうか?そうだよね、この道路柵にあるものね・・・?

 

建物を振り仰ぎます。

 

「東京ゲーテ記念館」です。

 

日本は、明治維新後一等国になろうと急速に西洋文化を取り入れ、咀嚼して自分の物にしました。東京では時々そういった痕跡に出逢います。

 

その一つがこの「ゲーテ記念館」でしょう。

文学は世界の共有財産です。フランクフルトには「近松門左衛門記念館」が在るのだろうか?森鴎外でも良いんだけど・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする