久しぶりに来てみたら、巡らされた工事用フェンスの中には何も在りません。ただただ秋の空が綺麗です。
すっかり解体されていました。
女子寮を止めるようです。
跡地は何になるのだろう?
<在りし日の徳川ドーミトリー>
尾張徳川家が営んだ41年の歴史の終焉のようです。古いけど、十分立派な使える施設だと思います。かつては随分人気の、東京のトップクラスの女子寮でした。・・女子寮に入れたい親や、入りたい学生が少なくなったのでしょうか?これも世相でしょうか?
久しぶりに来てみたら、巡らされた工事用フェンスの中には何も在りません。ただただ秋の空が綺麗です。
すっかり解体されていました。
女子寮を止めるようです。
跡地は何になるのだろう?
<在りし日の徳川ドーミトリー>
尾張徳川家が営んだ41年の歴史の終焉のようです。古いけど、十分立派な使える施設だと思います。かつては随分人気の、東京のトップクラスの女子寮でした。・・女子寮に入れたい親や、入りたい学生が少なくなったのでしょうか?これも世相でしょうか?
曳舟川とは、人力で船を引っ張った川です。交通の手段だけでなくて、風流遊びにも利用されました。
川の北側の路地には路面に曳舟川の、昔のレリーフが有ります。これが無ければ後世の記憶に残らないほど、現在の姿にその面影はありません。
川の途中を京成電車が横切ります。
お花茶屋駅を通って、川を遡ります。
現在は浅い川で親水公園になっています。勿論、曳舟は有りません。
夏は水が満たされて、子供たちが水遊びする川です。
秋になると水は有りません。
更に往時の面影はありません。
それはそれで秋の風情を楽しみます。
すっかり秋の風景です。
神田須田町は多くの老舗・名店が在ります。「三日酔」の歴史は知りませんが、店頭の雰囲気が好きでした。2022年12月に閉店していましたが、今日は店の周囲が整然としています。営業中の店先の雰囲気です。
「WHISKY BAR 三日酔」です!19時からの営業のようです。当初は「カレーとBAR」でしたが、BARだけで復活でしょうか?それでも嬉しいです!
店頭のガラス窓がステンドグラス風に変わりましたね。
以前と同様に雰囲気は好いです。
でも、看板が復活していません。あの看板も復活させて欲しいです。
<以下、カレー屋時代の三日酔、2018年の写真です>
京成立石駅北再開発工事がゆっくり進んでいます。
工事の金網の中で、呑んべ横丁の店の解体が進んでいます。
周辺の店も営業を終了しています。
そんな中で、「鮨処 江戸安」は営業を続けています。
新店舗が決まっているのは安心です。解体に際して廃業する店も多いと思います。
・・・でも、オープン迄に半年以上掛るんですね。営業保証はあると思いますが、どんな年末年始を迎えるのでしょうか?
舞い落ちた紅葉の種の傍に虹色の光も落ちていました。自転車置場のコンクリの上です。
午後の太陽光が自転車の何かに反射しました。
そこに見慣れない種類のアゲハ蝶も飛んできて。
すっかり秋の風景です。
神楽坂熱海湯の在る路地です。
石柱と説明板に出逢いました。
なんと、泉鏡花と北原白秋の旧居跡です。
説明板を読みます。泉鏡花と芸者桃太郎の恋を、師尾崎紅葉に叱責された話は有名です。
北原白秋もここに住みましたか。同じ家は珍しいです。彼は北小岩の江戸川土手下にも住んだ事があります。当時の文化人は何度も引っ越しをしています。
背後の白い建物は東京理科大学です。
同じ家に時を違えて住んだ例は他にもあって、森鴎外と夏目漱石も千駄木で同じ家に住んでいます。
泉鏡花の墓は雑司ヶ谷霊園にあります。この霊園で一番端正な墓です。
北小岩の北原白秋関連の記事はこちら。
神楽坂の丘の上です。丘の下から煙突が突き出しています。「熱海湯」は健在でしょうか?気になります。見に行きます。
自転車を押します。
この坂道を行きます。
石段をゴトゴトと、自転車を押して降ります。その先は曲り角です。
角を曲がると熱海湯です。
足拭きマットですよね。熱海湯が健在のようです。
湯船の窓を見上げます。
丘の下の路地に出ました。そこに熱海湯が在ります。
自販機は芸者のラッピングです。
営業前です。
神楽坂は「日本のモンパルナス」なんて言われています。お洒落な店が沢山在ります。ミシュランに登録された店も在ります。
でもここは、その丘の上とは全く違った路地です。普通によくある東京下町です。
神楽坂は、この二面性が魅力です。
この路地を行きましょう。右の看板は「はじめの一歩」?です。
また行き止まりです。
引き返します。
神楽坂大通りです。バナーは「神楽坂阿波踊り」でしょうか?
三叉路です。
道路が分岐すれば、狭い方へ行きます。
見番横丁です。お稲荷さんが有ります。
お参りします。
道標前が見番です。神楽坂は花街です。
来た道を振り返ります。そこは洋風の街角です。
自転車を置いて散策しています。路地を巡ります。この路地に走ります。突き当りは右に行けます。
喫茶店です。
民家の玄関前に店の立て看板です。ここは右折しかできません。
この路地に続きます。店の向こうを左折します。
新たな路地です。舞台が変わるように景色が変わります。
さっきの店です。「おちゃめな老後」ポスターです。
この路地を行きます。
行き止まりです。
あ、ここ変わりましたね。
ここは変わっていません。ずっと民家です。不動産業者から引く手数多でしょうね。
周囲は店舗です。
路地を抜けると毘沙門天です。
13時を過ぎました。上り(西行き)の一方通行になりました。一気に車がやって来ました。
路地に入ります。
散策が続きます。
この路地に入ります。ここも私の好きな一角です。
BARの前を通ります。
レトロなホテルの裏口です。
角を曲がった所が玄関です。
古民家とアパートを改造したホテルです。
その前に石段が在ります。
下ります。
右側のレストランを見ながら降ります。
振り返り、見上げるレストランです。
すぐ脇は高層マンションです。
ホテルを眺めます。右手の看板が好きです。
石段を上がります。
<2019年はこんな路地でした>
この路地に入ります。
散策が続きます。
お昼休みは自動車進入禁止の坂です。午前中は下りの一方通行で、13時から上りの一方通行になります。
狭くて車が多い坂なので、この時間は自転車が走り易いです。
でも、結構キツイ坂です。左右の店は変わらないようで結構変わっています。
「すしざんまい」が進出していました。馴染まないように思います。
風情を求めて路地に入ります。先ずはここから。
風景が一変します。
騒音もなくなります。旅館「和可菜」の在る路地です。
石段を上がります。
そして振り返ります。
更に石段を上がります。
路地の散策が続きます。
都電の踏切に捕まりました。遮断機が降りて、電車をやり過ごします。
停留場に停まったのに、遮断機が上がりません。
また来ました。
秋の始まりにふさわしいのんびり感が満載です。
覗いた路地にトリコロールがなびいています。
このフランス国旗に出逢ってもう数年になります。今だに正体不明ですが、ちょっと好きな景色です。
路地を出た所にはシェアハウスが在ります。ここはかつて社会問題になって事業破綻した「カボチャの馬車」でした。その後別の名前で運営しているのを確認していました。
暫くこの路地に来なかったら、玄関の窓とドアノブに鍵が掛けられていました。可愛いハウスなのに、運営は厳しいみたいです。
警報器が鳴ります。
都電が行きます。
秋を感じさせる下町の路地です。
更に中土手を下流に走ります。こんな説明板が有りました。「30景のその10」なので他に20有るということですが、他を知りません。この場合は、荒川というより四つ木・東立石の説明です。よく行く街ですが、知らない場所も載っています。今度行ってみます。
2つ目の避難橋です。
その先に、首都高中央環状線の「かつしかハープ橋」が見えます。あの辺りが、綾瀬川と中川の合流点です。
綾瀬川の向こうに学校が見えました。佐田雅志君が通った「葛飾区立・中川中学校」です。彼がテニス部で重いローラーを引いた校庭です。そのテニスコートがプールに建て変わったエピソードがあります。校舎の裏が「中川」です。そこからの校名でしょう。
ハープ橋に向かいます。
高速道路から車でこの橋を見ると、東京に帰ってきた、或いは埼玉が近い、と思います。
見上げます。空に浮かぶハープ橋です。
その下に、「上平井水門」が横たわっています。
ちょっと上流は、左に綾瀬川、右に「上平井橋」が架かった中川です。
ここで綾瀬川は合流して中川になります。ずっと下流で中川は荒川に吸収されます。大雨や高潮の水流を調整する上平井水門です。
頭上に走る首都高中央環状線に沿って、左端の中土手を下って来ました。正面に中川、左に綾瀬川です。
上平井水門の下流側です。
やって来た中土手です。
地図で見ると、こんな場所です。
お付き合いありがとうございました。