随分久しぶりにやって来ましたが、全く変わっていません。
ここは「御隠殿」跡です。
15代に渡って親王や天皇の猶子を迎えて輪王寺宮とし、上野寛永寺で勤め、ここ「御隠殿」を休息の場としたそうです。私が思うに、天皇家から人質を取って、徳川家代々の菩提を弔わせたのだろうか?
邪推はさておき、小さな境内に入ります。
隅に小さな庭が有ります。
その側に、当時の地図が掲示されています。広大な地所です。左下の31番が現在地です。右端3番が「芋坂」で、4番が「羽二重団子」です。敷地に大きさに圧倒されます。
現在の「芋坂」
と現在の「羽二重団子」です。
右端の石柱脇が「芋坂」です。
ちなみに、多分初代が「笹の雪」の名付け親です。在りし日の「豆腐料理笹の雪」です。
上記地図の左3〜400mの場所に在りました。
根岸薬師寺です。
小さな中庭が有ります。
民家と変わらない佇まいです。