写真1 1960年代、西郷さんの横顔に見なされた溶岩、写真中央に残る
写真2 1960年代のクロマツは、せいぜい①の樹高
写真3 烏島埋没展望所から溶岩原と鹿児島市街地を望む
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1914(大正03)年の桜島大噴火
流れ出た溶岩は桜島と大隅半島を陸続きにし(注1)
海岸から500m沖の烏島を20m下に埋める
約50年後、1960年代の烏島埋没溶岩原(注2)
国道に国鉄バス定期便や観光バスが走り
島民を運び、新婚カップルを運ぶ
乗車島民の一人が通学の筆者
当時、観光バスは速度を落とし、バス停・烏島入口もある
当地は観光名所・景勝地
一つは前後左右360度、黒茶色の溶岩原
整備展望所はなく、バス停から見渡す
噴煙上がる山頂や鹿児島市街地が目に入る
二つは人の顔や動物に見える溶岩
例えば西郷さんの横顔に見える溶岩(写真1中央の溶岩)
さらに約50年後、2019年02月17日、筆者は当地を歩く
上記国道は旧道となるも拡幅整備され、展望所が設置される
観光バスは止るもバス停はない
旧バス停辺りからの眺望は悪い、辛うじて山頂が見える
展望所に上がり昔日の360度眺望となる
黒茶色の溶岩原でなく、緑の凹凸に富む美しい溶岩原
現在、無土壌の裸地・溶岩原にクロマツ等の植物が侵入
植物群落を形成する乾性遷移の段階にある(注3)
さて溶岩原に植物が侵入、少々疑問
侵入の文字面では自然侵入を連想
筆者が中学高校通学時
松を鹿児島大学が既に植林と記憶(注4)
植林の標柱も立っていた
植林・人為侵入を含める植物群落と考える
注1 最大距離400m、最深100mの瀬戸海峡を埋める
注2 烏島埋没溶岩原は弊ブログ2013年03月24日に記す大正溶岩原の一部
注3 典拠資料:当地に設置された「鹿児島大学農学部附属演習林 桜島溶岩実験場」の案内板
注4 弊ブログ2013年03月24日
執筆・撮影者:有馬洋太郎
撮影日:2019年02月17日
撮影地:鹿児島市
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