「ちがいがわかる」はどこかのコーヒーの宣伝文句だった。なかなか味のあるキャッチコピーだったと思う。旨さが分かる人は当社のコーヒーを選んでいますよと、分別のありそうな感じの良い大人を画像に起用していた記憶がある。
味の違いが分かる能力にはどの程度の差があるものだろう。違いが分かっても好みは又違うだろうから、万人が旨いと思う味はなさそうだ。結局、多く売ろうとすれば大衆向け平均的な癖のない味に落ち着くと思われる。全国チェーンの牛丼など、味付けは死活に関わるから、恐らく重役会議でも試食しながらあーだこーだと激論が交わされていると推定する。
さて、人間はファストフード店やレストランの盛衰を決める味付けをどの程度細かく判別できているのだろうか。同じように細かく判別できても、好みはまた別で子供の時食べていたかや年齢に依っても違うだろうから難しいところだ。
そうしたことを踏まえての提案だが、味覚を判別する言葉を生み出す必要があると思う。食べる専門のタレントも結局旨い美味しいとしか言わないし言えない。表情は色々努力して変えてはいるようだが、言葉は乏しい。ワインのテイスティングではかなり言葉が豊富で、そう言われればそんな味がすると飲み慣れない私のようなものでも、一歩深く楽しめる。
美食家で大食感であった開高健はいくつか食感を表す言葉を残してくれたが、残念ながら十分な市民権を得られていない。言葉は世界を広げる、味覚を表現する言葉を生み出せるのが本当の食の評論家だと申し上げたい。