無知の知はソクラテスが言った言葉とされ、自分が無知であることを知ることによって、より深い思索と知へ辿り着けるといった意味らしい。哲学的な解釈はよく分からないので脇に置いて、単純に自分が物事をよく知らないことを自覚することが、どんなに重要かということには気付いているつもりだ。
ソクラテスの時代に比べたらそれこそ何千倍否何万倍も人類全体の持つ知識は増えているだろうが、無知の知の持つ意義は変わっていない。奇妙に聞こえるかもしれなが、新知見に伴い新たな無知の範囲が広がってくるし、個人の脳力はソクラテスの時代とさほど変わっていないと考えられるからだ。多少脳力が上がっているとしても 失われた謙虚さや感性を差し引けば総合力が大きく優ってきているとは思えない。
自分を例に取れば医学の知識は研修医の頃に比べたら何倍も増えているが、医学の進歩は目覚ましく新知見が何十倍にも膨らんでいるので、無知の分野は広がっている。幸い人間そのものはさほど変わらず、臨床経験が生きるので、研修医の頃に比べればより良い診療ができているとは思う。
今では課していた一日三十分の勉強時間も、十五分二十分に減り新知見に追いつけなくなっているが、こんなに知らないことがあるという自覚は保つことができている。尤もこんなに知らないことが増えちゃあ、そろそろ引退かなあという思いも湧いてくるので難しい。