鶴岡雅義が、アントニオ古賀の歌のバックでレキント・ギターを弾いていたとは驚きでした。
そこで、寒い冬にピッタリの曲で、彼がリーダーとなった鶴岡雅義と東京ロマンチカの代表曲を取り上げました。
「小樽のひとよ」
作詞 池田充男 作・編曲 鶴岡雅義 テイチク レコード SN-577
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/18/8a/b2ef0b6879a4124b35c2bc210fd3d2fb_s.jpg)
この詞のエピソード、
最初はJAL機内のオーディオの紹介で知り、書き留めておいたのが以下の内容です。
当初は、釧路駅で別れを惜しむ男女を描いた「電話で愛を」というタイトルであったが、詞が弱いということで、池田さんが若い時に旅行した小樽の粉雪の風景に塩谷の地名を入れて書き替えられ、この歌となった。
これについては、フリー百科事典にも詳細が綴られていました。
「小樽のひとよ」は、ムード歌謡を代表する鶴岡雅義と東京ロマンチカが1967年9月に発売したデビュー・シングルである。
累計売上は150万枚を超えた。
[解説]
北海道・小樽を代表するご当地ソングとして知られる。
ボーカルは三条正人であった。
なお発売当初は大海晴彦「花園町哀歌」との両A面扱いであった。
曲は公演先の釧路で地元の女性と恋仲となった「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」メンバーの実体験を元に鶴岡がまず曲を書き、以前にも鶴岡の曲に詞を付けたことのあった池田に作詞を依頼した。
池田は曲の舞台を自らもよく知る小樽に変更することを提案、鶴岡から聞いた体験談も盛り込み「電話で愛を」という曲名で詞を書いたが、鶴岡がパンチ不足であるとして、池田に新たに作詞を依頼。
そこでできたのは「粉雪のラブレター」という曲であった。
しかし、小樽市サイドから「もっと観光PRを」との要請を受け、随所に地名などを織り込んだ歌詞に変更し、「小樽のひとよ」に改題したものである。
曲名は、北島三郎の「女シリーズ」を参考に、「女」を平仮名の「ひと」にして「よ」をつけたものである。
レコードジャケットの制作は小樽のデザイナーである藤森茂男に依頼され、藤森がデート中にバーで喫煙する妻を描いたスケッチがジャケットに使われた。
リリースは1967年9月であったが、1968年5月になってようやくBEST10に初登場した。
千昌夫「星影のワルツ」とザ・タイガース「シー・シー・シー」に阻まれて2位止まりとなったものの、1968年の年間第4位に輝いた。
1969年に東映制作、NET(現・テレビ朝日)系で放送されたテレビドラマ『霧のロマン 小樽の女』の主題歌にもなった。
一方、北海道以外では、「粉雪のラブレター」もほぼ同時期にシングル発売されたが、こちらはヒットしなかった。
このように、曲が生まれた経緯を知り、改めて聴くと、いっそう興味をそそる歌になります。
そして、レキント・ギターの響きと、三条正人のソフトな声が、印象に残る1曲です。
そこで、寒い冬にピッタリの曲で、彼がリーダーとなった鶴岡雅義と東京ロマンチカの代表曲を取り上げました。
「小樽のひとよ」
作詞 池田充男 作・編曲 鶴岡雅義 テイチク レコード SN-577
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/74/07/3147f6d1618c2e9f78b006b9a674a721_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/62/a1/fa4f3f3783d68e37aefc2bebfe9004dc_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/30/83/07ac84109cf8d95b1f42069e536f9ca1_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/18/8a/b2ef0b6879a4124b35c2bc210fd3d2fb_s.jpg)
この詞のエピソード、
最初はJAL機内のオーディオの紹介で知り、書き留めておいたのが以下の内容です。
当初は、釧路駅で別れを惜しむ男女を描いた「電話で愛を」というタイトルであったが、詞が弱いということで、池田さんが若い時に旅行した小樽の粉雪の風景に塩谷の地名を入れて書き替えられ、この歌となった。
これについては、フリー百科事典にも詳細が綴られていました。
「小樽のひとよ」は、ムード歌謡を代表する鶴岡雅義と東京ロマンチカが1967年9月に発売したデビュー・シングルである。
累計売上は150万枚を超えた。
[解説]
北海道・小樽を代表するご当地ソングとして知られる。
ボーカルは三条正人であった。
なお発売当初は大海晴彦「花園町哀歌」との両A面扱いであった。
曲は公演先の釧路で地元の女性と恋仲となった「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」メンバーの実体験を元に鶴岡がまず曲を書き、以前にも鶴岡の曲に詞を付けたことのあった池田に作詞を依頼した。
池田は曲の舞台を自らもよく知る小樽に変更することを提案、鶴岡から聞いた体験談も盛り込み「電話で愛を」という曲名で詞を書いたが、鶴岡がパンチ不足であるとして、池田に新たに作詞を依頼。
そこでできたのは「粉雪のラブレター」という曲であった。
しかし、小樽市サイドから「もっと観光PRを」との要請を受け、随所に地名などを織り込んだ歌詞に変更し、「小樽のひとよ」に改題したものである。
曲名は、北島三郎の「女シリーズ」を参考に、「女」を平仮名の「ひと」にして「よ」をつけたものである。
レコードジャケットの制作は小樽のデザイナーである藤森茂男に依頼され、藤森がデート中にバーで喫煙する妻を描いたスケッチがジャケットに使われた。
リリースは1967年9月であったが、1968年5月になってようやくBEST10に初登場した。
千昌夫「星影のワルツ」とザ・タイガース「シー・シー・シー」に阻まれて2位止まりとなったものの、1968年の年間第4位に輝いた。
1969年に東映制作、NET(現・テレビ朝日)系で放送されたテレビドラマ『霧のロマン 小樽の女』の主題歌にもなった。
一方、北海道以外では、「粉雪のラブレター」もほぼ同時期にシングル発売されたが、こちらはヒットしなかった。
このように、曲が生まれた経緯を知り、改めて聴くと、いっそう興味をそそる歌になります。
そして、レキント・ギターの響きと、三条正人のソフトな声が、印象に残る1曲です。