あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

今年のバレンタイン

2014-02-13 | JAZZ
間近に迫ったバレンタイン・デーに寄せて、3人の日本人ピアニストが演奏している「いとしのバレンタイン」を取り上げてみました。
この3人、共に同世代で、いずれも30歳前後の若い時代の演奏です。

板橋文夫 1949年3月8日 栃木県足利市生まれ
「RISE AND SHINE」 コジマ.レコード AL-3004
  
板橋文夫(p) 早川岳晴(b) 亀山賢一(ds)  録音 1975年4月26日
この録音は、75年夏の板橋が渡米する前に、西荻窪のアケタの店で行われた記念コンサートからのものです。
一聴するだけで直ぐに彼だと解るピアノの響かせ方、音の重ね方に特徴があり、ドン・ピューレンばりの速弾きやトレモロも得意としている板橋さん。
しかし、ここでは15分間を、最後までバラードで通しています。

辛島文雄 1948年3月9日 大分県生まれ
「MOONFLOWER」 TRIO RECORDS PAP-9114  
  
辛島文雄(p) ANDY McCLOUD(b) ELVIN JONES(ds)  録音 1978年4月21日、22日
端正な辛島のピアノ演奏が続き、後半、エルヴィンのブラシによるバックで一層の盛り上がりをみせています。
3人のバランスも良く、今回の3枚の中では一番オーソドックスな演奏です。

山本 剛 1948年3月23日 新潟県佐渡島生まれ
「SMOKE A MOTO’S BLUES」 ユピテル・レコード YJ25-7028
  
山本 剛(p) RAY BROWN(b) DONALD BAILEY(ds)  録音 1979年4月30日
曲は、山本の得意な高音域とブロック・コードを織り混ぜた前奏的なイントロから入り、ブラウンのベースによりテーマが演奏されます。
途中のブリッジからはピアノが受けて、1コーラスが終わったところで、トリオによる4ビート演奏になっています。
曲の最後に、レッド・ガーランドが得意としているフレーズが出て来るところはご愛嬌です。
クレジットには西条孝之助(ts)の名前もありますが、この曲はトリオで演奏されています。

今年は、日本人ピアニストによる三者三様の「マイ・ファニー・バレンタイン」を聴いてみました。

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ここは何処

2014-02-12 | 日記
ここは何処?
北海道でも、東北でもありません。
何時も仕事で行く山梨の会社の入り口付近と、駐車場前です。
2月8日夜半から9日にかけて降った積雪は60㎝をか~るく超えたため、あれから4日が経過しても未だこんな状態でした。
   

昨日(11日)夕方までは、中央高速自動車道の一部と、富士吉田線は雪のため通行止めとなっていたので、12日の山梨行きを躊躇していましたが、結局新宿からの高速バスで行くことにしました。
行きのバスは座席シートの関係で、車外が撮影しにくかったので、河口湖ICとその周辺のみです。
1枚目は河口湖IC、
2枚目は富士スバルライン入り口、
3枚目は富士急ハイランドから・・・ 本来ならここから富士山が見えるのですが、今日はあいにくの天気でした。
また、昨夜も雪が少しぱらついたようで、乗用車の屋根が白くなっていました。
4枚目は河口湖駅前です。
   

市内の一部では除雪車も出ていていました。
また幹線道路脇には、除雪した雪が積み上げられていて、しばらく解けそうもありません。
富士山駅の高速バスターミナルから、新宿に戻るため、停車しているバスを撮ってみました。
  

夕方の中央高速道路の様子を、再び揺れる車内から撮りました。(ピントが甘いです)
1車線は除雪が完了していないため、通行不可となっていました。
   

この週末は再び山梨行きの予定ですが、予報では積雪がありそうなので、チョッと気がかりです。

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北原謙二のあの歌この歌

2014-02-11 | 演歌・ポップス
北原 謙二(1939年10月8日 - 2005年1月26日)
私の青春時代に、良くラジオから流れてきた彼の歌、
仲宗根美樹の「川は流れる」と共に、大阪朝日放送のホームソングとして、北原謙二の歌も取り上げられていました。
その歌の名前は「ふるさとのはなしをしよう」で、その曲が入っているアルバム(CD)です。

その前に、北原謙二について、フリー百科事典から
大阪府出身。
ジャズ喫茶で歌っていた事が縁で、鈴木栄治とブルーカーボーイズのメンバーとして上京。
その後、コロムビアレコードのディレクターにスカウトされ、1961年歌手デビュー。
NHK紅白歌合戦に2回出場している。

1991年3月に高血圧症脳内出血で倒れたが、左半身マヒと闘いながらリハビリを重ね、3年後に復帰。
その後は全国各地の福祉施設への慰問活動などを積極的に行っていたが、2005年1月26日、虚血性心疾患のため都内の病院で死去。

[ 代表曲 ]
日暮れの小径(作詞:へてな・たつ/作曲:鈴木英治、1961年、デビュー曲)
忘れないさ(作詞:三浦康照/作曲:山路進一、1961年)
若いふたり(作詞:杉本夜詩美/作曲:遠藤実、1962年)
初恋は美しくまた悲し(作詞:三浦康照/作曲:市川昭介、1963年)
若い明日(作詞:石本美由起/作曲:遠藤実、1963年)
若い君若い僕(デュエット:谷由美子/作詞:三浦康照/作曲:遠藤実、1964年)
北風(North Wind)(作詞・作曲:Rod Morris/訳詞:服部レイモンド、1964年)
潮騒(作詞:三浦康照/作曲:古賀政男、1964年)
ふるさとのはなしをしよう(作詞:伊野上のぼる/作曲:キダ・タロー、1965年)
ヒット曲として知られ、2004年に山本譲二によりカバーされた。

若い太陽(作詞:三浦康照/作曲:遠藤実、1965年)


   

1960年前半、まだ自宅にテレビが無く、ラジオから流れてくる放送だけが楽しみだった良き時代でもありました。
また「若い二人」はドドンパのリズムの曲で、4拍子の2拍目にアクセントがあり、歌手のアイ・ジョージが「これは自分が最初に作ったリズムだ」と言っていたのを聞いたことがあったのですが・・・

再びフリー百科事典から「ドドンパ」を拾ってみると、
ドドンパは日本の音楽のジャンルの一つ。
日本の古来の音楽である都々逸(どどいつ)とルンバを足したものと言われている。
また、京都で演奏していたフィリピンのバンドが演奏していた独特のマンボがドドンパになったとの説もある。

三国同盟締結中、ドイツのタンゴ、イタリアのカンツォーネ以外のポピュラー音楽は敵性音楽として厳しく規制されていたが、第二次世界大戦終了後は連合国から一斉にジャズと共にマンボ、ルンバといったリズム音楽が流入してきたため、当時軽快なリズム音楽に飢え切っていた日本をそれぞれが大席巻することとなった。
これらにより国産軽音楽の衰退に危機感を覚えた小沢昭一、永六輔、中村八大らは、何とか対抗しうる新しい国産リズム音楽を確立しようと模索していた。
その成果として「お座敷小唄」(松尾和子、和田弘とマヒナスターズ)などの小唄歌謡をヒントに四拍子の2拍目にアクセントを置き3拍目と4拍目を三連符とした(もしくは8分の12拍子)「ゥン パッ タタタ ドッド」という印象的なリズムを編み出し、4拍目からの音を取り「ドドンパ」と名付けられ、彼ら自身や周辺の作家によって一連の楽曲が作成された。

ドドンパが一般に知られるようになったのは、1961年に発売された渡辺マリの「東京ドドンパ娘」からである。
「東京ドドンパ娘」は100万枚を超える大ヒットになり、1960年代はドドンパブームが訪れた。
美空ひばりなど様々な歌手がドドンパと銘打った楽曲を発表し、映画のテーマにもなった。
1962年発売の北原謙二「若いふたり」も代表曲である。
「ドドンパ」の歌詞に合わせ脚を折り曲げ、腰を落とす踊りも流行した。
しかし、「東京ドドンパ娘」を超えるドドンパソングが登場しなかったこともあり、ドドンパブームは終息を迎えることとなる。

その後、1976年に桜たまこが「東京娘」(東京ドドンパ娘のリメイク)を、1992年にモダンチョキチョキズが「ティーンエイジ・ドドンパ」(アルバム「ローリング・ドドイツ」に収録)を、2004年に氷川きよしが「きよしのドドンパ」を出しヒットとなるが、ドドンパブームの再来とまでは至っていない。

パチャンガ、スクスクと並ぶ3大流行ジャンルとなったこともあった。


全く違う話ですが、富士吉田市にある遊園地、富士急ハイランドの大型ローラーコースターの一つも「ドドンパ」と言うのだそうで、これにはチョッと笑ってしまいました。

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大雪の後

2014-02-10 | 日記
先週末に降った雪は、東京都内でも27㎝の積雪を観測し、45年ぶりの大雪となりました。
おかげで、2日間の休みの間は一歩も外に出ませんでした。
週明けの10日、都内のメイン道路はすっかり雪が解けていました。
歩道にあった雪だるまさんも、昨日の太陽に照らされて、可愛そうな姿になっていました。
終業後の帰宅時に路地裏を通ったところ、ご覧の通りで、若い女性の雪かきに出会いました。(4枚目)

    

ところが暗い夜道の我が家の周りは、下記の様にまだまだ残雪が多く残っていました。
4枚目は雪かきの後、積み上げられた雪です。
    

我が家の周りの日蔭は、暫らく残雪があり、路面の凍結には注意が必要です。

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私の愛聴盤 (第33回)

2014-02-08 | 私の愛聴盤
第33回はマル・ウォルドロンの「トウキョウ・バウンド」です。

マル・ウォルドロン(Mal Waldron) 1926年8月16日 - 2002年12月2日
ニューヨーク州ニューヨーク市出身

ジャズピアニストで作曲家、陰影あるフレージングに特徴があり、1954年から56年にかけてチャールス・ミンガスのピアニストとして活躍、アルバム「直立猿人」にも参加しています。
また、57年からはビリー・ホリデイの伴奏者となり、59年に彼女が他界するまでその役を務め、ビリーへの哀悼の意を込めたアルバム「レフト・アローン」は特に有名です。
61年から1962年には、エリック・ドルフィー、ブッカー・リトルのコンボに参加し、ファイブ・スポットでの歴史的なライブも記録されています。
日本では人気の高いピアニストですが、本国ではさほど注目されず、1965年に欧州に渡ってからは、活動拠点をヨーロッパに移し、日本にも度々来日するようになりました。

今回のアルバムは、丁度44年前の2月に、初来日した時を捉えて録音されたトリオ・アルバムで、同年のスイング・ジャーナル・ゴールド・ディスク、並びにジャズ・ディスク大賞「銀賞」を受賞しています。
ジャケット表面にはSJ・GDのシールが貼り付けられています。

「TOKYO BOUND」 VICTOR SMJX - 10089
  
   
1. JAPANESE ISLAND
2. ROCK ONE FOR JIMBO SAN
3. ATOMIC ENERGY
4. MOUNT FUJIYAMA
MAL WALDRON(p) 荒川康男(b) 猪俣 猛(ds) 録音 1970年2月12日

初来日時に録音されたこのアルバムでは「日本の印象」を綴った4曲が収められていて、彼の奏法の特徴であるモールス信号のような「トツ・トツ」とした単調な音の繰り返しによる曲が大半を占めています。
2曲目の「ジンボさん」とは、このアルバムのディレクターである神保富士也さんのことで、録音前夜に作られたものです。
バックでサポートしている日本人2人とも、初共演ながら息の合ったところを見せており、録音とも相俟って優れた内容となっています。
私自身、発売当時から今日まで、時々引っ張り出しては聴いているレコードでもあります。
日本では、この来日を切っ掛けにして、マルの人気が益々高まり、過去のアルバムも次々と再発されました。

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吉田のうどん (番外編2)

2014-02-07 | 吉田のうどん
吉田のうどんの番外編です。
「吉田のうどん」は富士吉田市内のうどん屋さんで、且つ「(一財)ふじよしだ観光振興サービス」に登録されたお店で提供されるうどんのことを言っています。
しかし富士吉田市の近隣にも、その特徴であるコシが強く、キャベツと馬肉をトッピングしたうどんを提供してくれるお店があります。
そこで、最近行った2軒を紹介します。

最初は富士吉田市と都留市の間にある西桂町で、国道139号沿いにある「うどんの駅」です。
うどんの種類も数多くありましたが、この店の一番人気という「肉汁うどん」と、トッピングとして「かき揚げ」をオーダーしました。
    
うどんのコシは噛み応え十分、スープは醤油ベースで、さっぱりと仕上げてあり美味しかったです。


次は山中湖に近い忍野村内野にある「渡辺うどん」です。
お店は広く、大勢のお客さんが入っていました。
   

お店の方にお断りして、厨房も撮らせて頂きました。
大きな延しテーブルと茹で釜が印象的でした。
 

ここでも「肉うどん(大)」をオーダーしました。
入り口の看板(純手打)通り、正真正銘の手打ち麺で、たっぷりのキャベツと馬肉です。
そして、肝心なうどんのお味は、と言うと・・・
寒い土地柄でしょうか、スープは醤油・味噌の濃いめの味、それにしっかりしたコシのうどん、
馬肉は他のお店より甘めの味付けでした。
 

今回紹介した2軒、正しく「よしだのうどん」で、いずれもお勧めのお店です。

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2014年の富士山 (2月)

2014-02-06 | 富士山
今日(6日)の山梨行きは、2月4日に降った雪が道路に残っていて、ノーマル・タイヤでの運転は危ないので、今回は新宿から中央高速バスを利用しました。
その関係で、車窓からの富士山を撮ってみました。
中央自動車道を大月ICから富士吉田線に入り、西桂町から河口湖ICまでのおよそ10kmの間、バスの進行方向左側シートに座るとしっかり見ることができます。
但し写真は窓ガラスを通しての「絵」なので、クリアという訳にはいきませんが・・・

午前中は良い天気で、素晴らしい2月の富士山を見ることができました。
写真は西桂町から富士吉田市に入ったところの4枚と、富士急ハイランド付近の4枚です。
最後のアップ写真は、富士急ハイランドでの停車中に窓を開けて撮りました。
   
   

最後の富士山の拡大写真の中で、中央にある一番高い木の先端部分の先に「農鳥」と呼ばれる雪形が見えます。
このことは、昨年11月の富士山(第2回)の中で、「鳳凰のような雪形」の記事を紹介しましたが、正にその場所です。

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こんな日は

2014-02-05 | JAZZ
雪が降ったこんな日は、カリフォルニアの太陽が羨ましい !
そう思っても、それは叶わないので、せめてカリフォルニアをテーマにした音楽でもと、ナベサダさんの軽快なアルバムを引っ張り出してみました。

「CALIFORNIA SHOWER」 FLYING DISK VIJ - 6012
   
1. CALIFORNIA SHOWER
2. DUO-CREATIS
3. DESERT RIDE
4. SEVENTH HIGH
5. TURNING PAGES OF WIND
6. NGOMA PARTY
7. MY COUNTRY
Sadao Watanabe(as,sn,fl) Dave Grusin(key) Lee Ritenour(g) Chuck Rainey(elb) 
Harbvey Mason(ds) Paulino Da Costa(perc) and Others  録音 1978年3月 LA 

軽快なリズムに乗って、快調にサックスとフルートを奏でるナベサダさん、
カリフォルニアの空気と太陽を感じられるアルバムです。
当時、このアルバムのタイトル曲は、化粧品会社のCMにも使われ、大ヒットしました。
サダオさんのアップの写真、この濡れた顔を撮るにも色々ご苦労があったと聞いています。

昨年秋に発売された「ジャズ批評」は、サダオさんを特集しています。
  

下記の2枚はジャズではありませんが、「カリフォルニア」がタイトルに付いたEP盤です。
* ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」
  1960年代にフォーク・グループとして活躍、これはデビュー・シングルとして全米4位になっています。
* イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」
  1971年に西海岸のロックバンドとしてデビュー、1976年の大ヒット曲です。
  このジャケットでは、オリジナル・ジャケットが醸し出す雰囲気を味わうことは出来ませんが・・・



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この冬の初雪

2014-02-04 | 日記
昨日の節分は暖かく、桜が散る時期の陽気だったのに、今日は一転、真冬に逆戻り、しかも、この冬の初雪となりました。
都内は夕方4時前後には、雨からみぞれに変わり、そのおよそ30分後の一時は、猛烈な勢いで雪が降って来ました。

下の写真は、午後4時過ぎの虎の門付近と、5時前の池袋
     

そして、我が家の最寄駅で下車すると…
駅前の広場には雪だるまが…
通りの植込みのツツジは雪帽子、駐車場も雪、雪で、明朝の気温は氷点下の予報も出て、道路の凍結がチョッと心配です。
   

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ジュリアス・ヘンフィルの1枚

2014-02-03 | JAZZ
ジュリアス・ヘンフィル(Julius Hemphill) テキサス州フォートワース出身、1995年他界

ジュリアス・ヘンフィルは、アルト・サックスとフルートの即興演奏家ですが、作曲も得意とした彼が手にした最初の楽器はクラリネットでした。
高校時代はジェリー・マリガンをお手本とし、バリトンサックスを吹いていました。
1964年軍隊入隊時にティム・バーンに教えを乞うたこともあり、1968年にセント・ルイスに移動して自身のレーベル(MBARI)を立ち上げています。
このムバリは、シカゴ派のAACM (Association for the Advancement of Creative Musicians)に対し、セントルイスで結成された集団即興演奏グループBAG(Black Artist Group)でもあります。
1970年代に入ってからニューヨークに移動し、1976年にはオリバー・レイク、ハミイット・ブルーイット、デイヴィッド・マレイと共に、WSQ(World Saxophone Quartet)を結成、一方で、アンソニー・ブラックストンや、レスター・ボウイらとのロフトでの演奏活動が中心となります。
1990年代初頭にはWSQを脱退し、再び自身のサックス・グループを結成し、デュオやビック・バンドの録音も残しています。

今回取り上げた1枚は、ムバリでの自費出版の1枚です。
同レーベルからは、下記のアルバムの他「Blue Boye」の計2枚が発売されています。

「DOGON A.D.」 MBARI  MPC 501
   
1. DOGON A.D.
2. RITES
3. THE PAINTER
JULIUS HEMPHILL(as,fl) ABDUL K. WADUD(cello) BAIKAIDA YASEEN(tp)
PHILLIP WILSON(perc)  録音1972年

ヘンフィルの音楽は、ヨーロッパのクラシックと、アフロ・アフリカンをベースとしており、このアルバムではフリー・ジャズ系の音楽であるにも関わらず、根底にブルースが感じられます。
また、テキサス・スタイルの香りや、オーネット・コールマンのようなところも顔を出します。
因みにオーネット・コールマンとはフォートワースの同郷でした。
このアルバムでは、チェロ奏者のアブドゥル・ワダッドが大きくフューチャーされていますが、彼とはその後も共演が続いています。

余談ですが、上記のAACMは1965年にリチャード・エイブラムズによってシカゴで設立された非営利の音楽団体で、主にジャズ、フリー・ジャズを中心とした集団であり、
加入しているジャズ・ミュージシャンの人数は多いです。
今後、機会があればこちらのグループのアルバムも順次取り上げて行きたいと思います。

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