あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

歴史的名盤の1枚

2015-01-15 | JAZZ
ジャズの歴史的名盤とされる「ジャズ・アット・マッセイ・ホール」を取り上げてみました。

このライブ盤は、ジャズの巨人達の演奏が、ベーシストのチャールズ・ミンガスにより私的に録音されました。
そして、最初はミンガスがマックス・ローチの協力を得て設立した「DEBUT RECORDS」から発売されています。

右は、そのオリジナル・ジャケット 

こちらは同じ「DEBUT」でも、デンマークのレコード
「JAZZ AT MASSEY HALL / THE QUINTET」 DEBUT DEB-124
  
1. PERDIDO
2. SALT PEANUTS
3. ALL THE THINGS YOU ARE
4. WEE
5. HOT HOUSE
6. A NIGHT IN TUNISIA
DIZZY GILLESPIE(tp) CHARLIE PARKER(as) BUD POWELL(p) CHARLES MINGUS(b) MAX ROACH(ds)
録音 1953年5月15日 Canada Tronto

この日、参加が予定されていたトロンボーンのJ.J.ジョンソンは消息不明、
酔っぱらいのパーカーは、自身の楽器が質に入っていたため手ぶらで来て、現地の古物商からプラスチック製のアルト・サックスをレンタル、
ガレスピーは、同時刻に開催されたボクシング世界ヘビー級タイトルマッチの中継に夢中、
パウエルは、精神病院から出てきたばかりで、医師が付きそい、
そして、ベーシストのオスカー・ペティフォードは、怪我で出演できず、ミンガスが代役として参加・・・

と、まあよくもこれだけ色々とありながら、歴史的名演となるところがスゴイ!

ところで、この音源、
60年以上前の、しかも私的録音なのでコンディションは致しかたないところですが、ベースの音がラッパやサックスと肩を並べる位大きいです。
これは、ミンガスが後からオーバー・ダビングしているのだそうで、このレコードも同様でした。

なお、この演奏会が開催されるところまでの経緯は音楽愛好家・小栗勘太郎 の、【今週の音盤「ジャズ・アット・マッセイ・ホール」 by ザ・クインテット】に詳細に書かれています。

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親子の共演アルバム

2015-01-14 | JAZZ
ジミー・レイニーと、ダグ・レイニーの共演アルバム、
親子である2人のギタリストを聴きくらべてみましたが、どちらがどっち?

「STOLEN MOMENTS」 Steeple Chase SCS 1118
  
1. JONATHAN’S WALTZ
2. CHELSEA BRIDGE
3. STOLEN MOMENTS
4. HOW MY HEART
5. I SHOULD CARE
6. SAMBA TEEKENS
7. ALONE TOGETHER
JIMMY RANEY(g) DOUG RANEY(g) MICHAEL MOORE(b) BILLY HART(ds)
録音 1979年4月19日

2人のギタリストはスピーカーの右と左に分かれ、中央にベース、左チャンネル寄りにドラマーが配置されています。
親父さんのジミー・レイニーのプレイは、これまでに何度も聴いているのですが、
このアルバムでどちらがジミーかと言われても、チョッと分かりずらいです。

大半の曲で、右チャンネルのほうが先発で出てくるし、ソロの部分も多いし、
ということで、裏の解説を読んでみたところ・・・
「Jimmy is on the right channel Doug on the left ・・・, if your speakers are connected propertly」 と、記載されていました。

そして、オリバー・ネルソンのペンによるタイトル曲の3曲目、
先発でソロを取るのは右チャンネル、後発の左チャンネルの方がギター音の伸びが良いです。
裏解説を読むまでは、左側がてっきり親父さんだと思っていました。

考えてみたら、当然のこととして、ソロが多い右チャンネルのほうが威厳のある親父さんですよね。
アルバムの写真の配置とは逆の方向となっていました。

それにしても似通った音色の親子でした。

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ウイッチクラフトを聴く

2015-01-12 | JAZZ
ウィッチクラフト(witchcraft)
英訳では魔法という言葉だそうですが、音楽の世界ではキャロリン・レイ(作詞)と、サイ・コールマン(作曲)のコンビによるスタンダード・ナンバーで、ジャズの中にも名演が多くあります。

その中で、3枚を取り上げてみました。

最初は、3管編成の分厚いサウンドが聴けるドナルド・バードのアルバム、
バードが少し遅いテンポで、シンプルにテーマを歌いそのままアドリブへ、
次のアダムスは対象的に豪快なソロを、続くディビスのピアノは流れるようなタッチで、
最後のラウズが締めくくりにふさわしく、これまた快調なソロで続きます。
忘れてならないジョーンズと、テイラーの好サポートも・・・
「BYRD IN HAND / DONALD BYRD」 BLUE NOTE 4019
  
DONALD BYRD(tp) CHARLIE ROUSE(ts) PEPPER ADAMS(bs) WALTER DAVIS JR.,(p) SAM JONES(b) ART TAYLOR(ds)
録音 1959年5月31日 (演奏時間 8分25秒)

ピアノ・トリオは再登場のビル・エヴァンス、
ラファエロとのインタープレイが痛快、ブラシで4つを刻むモチアンも・・・
「PORTRAIT IN JAZZ / BILL EVANS TRIO」 RIVERSIDE 1162
  
BILL EVANS(p) SCOTT LAFARO(b) PAUL MOTIAN(ds)
録音 1959年12月28日 (演奏時間 4分32秒)

最後はクリス・コナーのヴォーカルで、
ベツレヘムに続くアトランティックへの吹き込みは、チョッピリ暖か味も加味されて・・・
アルバムのトップに配置されたタイトル曲、オーケストラをバックにストレートに歌っています。
「CHRIS CONNOR / WITCHCRAFT」 ATLANTIC 8032
  
CHRIS CONNOR(vo) RICHARD WESS(arr)
録音 1959年9月21日 (演奏時間 3分7秒)

偶然ですが、3枚共に1959年の録音でした。

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今年の出初式

2015-01-11 | 日記
近所の公園で行われた「2015年出初式」に出かけてみました。

開会式に続いて、消防自動車の隊列、それに空からヘリコプターも参加し、地上では獅子舞と地元の太鼓のクラブの演奏で会場が盛り上がりました。
   

出初式に欠かせない梯子乗りは、木遣り歌に合わせて、梯子の周りを纏が一周・・・
   
説明によると、梯子は15段で、高さは凡そ7m、それを12人で支えるのだそうです。

そして、いよいよ梯子登りとなり・・・
   

皆さん、お見事です。
   

締め括りは青、黄、赤の放水で、
  

3時間半に渡って行われた出初式が終了しました。

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私の愛聴盤 (第55回)

2015-01-10 | 私の愛聴盤
第55回はデューク・エリントンの「マネー・ジャングル」です。

エドワード・ケネディ・デューク・エリントン(Edward Kennedy "Duke" Ellington / 1899年4月29日 - 1974年5月24日)
作曲家、ピアノ奏者、オーケストラのリーダーで有名ですが、スモール・コンボでのピアノ演奏も素晴らしいです。

このアルバムは、ピアノ・トリオというフォーマットながら、ミンガスとローチという強烈な個性の2人が参加したことにより、そこから紡ぎ出される「音」が強烈です。

「MONEY JUNGLE」 UNITED ARTISTS UAJ 14017 
   
1. MONEY JUNGLE
2. LE FLEURS AFRICANES
3. VERY SPECIAL
4. WARM VALLEY
5. WIG WISE
6. CARAVAN
7. SOLITUDE
DUKE ELLINGTON(p) CHARLIE MINGUS(b) MAX ROACH(ds)
録音 1962年9月17日

最初のタイトル曲である「マネー・ジャングル」、
ミンガスのベースに導かれ、エリントンがまるで打楽器のようにピアノの鍵盤を叩きつけていますが、それに絡むミンガスが熱演、
次の「アフリカの花」、
エリントンのピアノに応呼し、ローチがマレットを使いタムタムを鳴らします。
3曲目の「ヴェリー・スペシャル」、
このセッションの9日後に、コルトレーンとの共演した「テイク・ザ・コルトレーン」のような曲想へと続いていきます。
この演奏はアドリブに入り、ミンガスがしっかり4拍子を刻み、ローチもこれに応えてハイ・ハットとスネアで後方から煽り、聴いている内に体が自然とスイングしてくる本当にすごい演奏の連続です。

また、バラードで演奏される「ウォーム・ヴァレー」と「ソリチュ-ド」、
エリントンのソロ・パートでは、独特のハーモニーを聴くことができ、バックでサポートするローチが絶妙なブラシ捌きを披露しています。
そして「キャラバン」、
ピアノの低音部を中心にして再びパーカッシブな演奏へと、色々な変化が楽しめる本当にスペシャルなアルバムです。

なお、CDには別テイクや、LPに入っていない8曲が追加され、これら全てが異なった感覚で演奏されており、こちらも一聴の価値ありです。


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1枚の絵

2015-01-06 | 日記
山梨の会社の壁に何となく掲げてあった1枚の絵、
それは明治40年(1907年)10月、文部省第1回美術博覧会に出展し、入選作となった林竹次郎の「祈りの朝」でした。

林 竹治郎(1871年 - 1941年)
日本の画家で、ハンセン病患者のために生涯を尽くした医師林文雄の父でもあります。

この絵はクリスチャンで、林文雄さんと同窓でもあった初代社長が掲示していたのですが、数えたら既に40年以上が経過していました。
原画は色あせ、全体が薄青色に変色していましたが、額縁の隠れた部分にわずかに残っていたオリジナル色を元に修正したところ、見事に再生できました。(現在の素晴らしい技術です)
それを新しいフレームに収め直して、素晴らしい絵画になりました。

 

現在、この絵画のオリジナルは北海道立近代美術館に所蔵されています。

なお、札幌市北区市役所のホームページ には、
『71.道内芸術家の第一号「朝の祈り」は語る』として、この絵の詳細が記載されています。

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東京ロマンチカの代表曲

2015-01-04 | 演歌・ポップス
鶴岡雅義が、アントニオ古賀の歌のバックでレキント・ギターを弾いていたとは驚きでした。
そこで、寒い冬にピッタリの曲で、彼がリーダーとなった鶴岡雅義と東京ロマンチカの代表曲を取り上げました。

「小樽のひとよ」
作詞 池田充男 作・編曲 鶴岡雅義 テイチク レコード SN-577
    

この詞のエピソード、
最初はJAL機内のオーディオの紹介で知り、書き留めておいたのが以下の内容です。
当初は、釧路駅で別れを惜しむ男女を描いた「電話で愛を」というタイトルであったが、詞が弱いということで、池田さんが若い時に旅行した小樽の粉雪の風景に塩谷の地名を入れて書き替えられ、この歌となった。


これについては、フリー百科事典にも詳細が綴られていました。
「小樽のひとよ」は、ムード歌謡を代表する鶴岡雅義と東京ロマンチカが1967年9月に発売したデビュー・シングルである。
累計売上は150万枚を超えた。

[解説]
北海道・小樽を代表するご当地ソングとして知られる。
ボーカルは三条正人であった。
なお発売当初は大海晴彦「花園町哀歌」との両A面扱いであった。

曲は公演先の釧路で地元の女性と恋仲となった「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」メンバーの実体験を元に鶴岡がまず曲を書き、以前にも鶴岡の曲に詞を付けたことのあった池田に作詞を依頼した。
池田は曲の舞台を自らもよく知る小樽に変更することを提案、鶴岡から聞いた体験談も盛り込み「電話で愛を」という曲名で詞を書いたが、鶴岡がパンチ不足であるとして、池田に新たに作詞を依頼。
そこでできたのは「粉雪のラブレター」という曲であった。
しかし、小樽市サイドから「もっと観光PRを」との要請を受け、随所に地名などを織り込んだ歌詞に変更し、「小樽のひとよ」に改題したものである。
曲名は、北島三郎の「女シリーズ」を参考に、「女」を平仮名の「ひと」にして「よ」をつけたものである。
レコードジャケットの制作は小樽のデザイナーである藤森茂男に依頼され、藤森がデート中にバーで喫煙する妻を描いたスケッチがジャケットに使われた。

リリースは1967年9月であったが、1968年5月になってようやくBEST10に初登場した。
千昌夫「星影のワルツ」とザ・タイガース「シー・シー・シー」に阻まれて2位止まりとなったものの、1968年の年間第4位に輝いた。
1969年に東映制作、NET(現・テレビ朝日)系で放送されたテレビドラマ『霧のロマン 小樽の女』の主題歌にもなった。
一方、北海道以外では、「粉雪のラブレター」もほぼ同時期にシングル発売されたが、こちらはヒットしなかった。



このように、曲が生まれた経緯を知り、改めて聴くと、いっそう興味をそそる歌になります。
そして、レキント・ギターの響きと、三条正人のソフトな声が、印象に残る1曲です。

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その名はフジヤマ

2015-01-03 | 演歌・ポップス
メキシコのラテン・グループ、トリオ・ロス・パンチョスが歌う「その名はフジヤマ」
トリオ・ロス・パンチョス2度目の来日時(1960年暮~61年初)に、チューチョ・ナバロにより「Se llama Fujiyama」として作られました。
帰国前のレコーディングに際し、女性コーラスのハニー・ベアーズとの共演を望んだことから、LPではコーラス入りの曲となっていて、レーベルは、当時の米国コロムビアのオリジナルにちなんで「シックス・アイ」が使われています。

「日本のトリオ・ロス・パンチョス」 日本コロムビア YS-149
  
1961年5月発売

このレコード、ラテンの名曲集とはなっておらず、
「日本の・・・」のタイトルの如く「その名はフジヤマ」を始め、ハマクラ・ナンバー3曲や、当時のヒット曲、映画音楽等で構成されています。
実は「その名はフジヤマ」が入っているもう1枚のLP盤、
過去に登場しているイーディ・ゴーメのコーナーでも少し触れましたが、発売当時、田舎の実兄が持っていたはずも、今はどうなってしまったかが分からず・・・
それはオムニバス盤で、巷で聞いた話では日本コロムビアが独自に制作したため、契約の関係で没となり、市場から消えたということでした。

それからず~~~~と探し続けていました。 が、最近やっとの思いで我が家へ、しかも、盤は傷無しで、中袋までしっかりついていた完璧なコンディションで、、、
ヤフオクで見つけ、50円からスタートしたのですが、他に入札者無くそのままゴール、
100倍位まで覚悟していましたが、結局価格は50円で落札。
但し売り方から「別途消費税と、送料600円が掛りますが」と言われました。(笑)
待ちに待って、やっと見つけたブツなので、なんの、なんの・・・

このレコードを探していた理由は、
オムニバス盤らしく「その名はフジヤマ」は当然として、ラテンの名曲や、映画の主題歌、それにハマクラの「黄色いさくらんぼ」まで、色々楽しめます。
しかし、決め手はこのジャケットで、3人の表情も素晴らしいからです。(バックは当時の東京駅のようです)
裏面解説の下段には、発売時期の64.3(月)の文字がありました。
「THE BEST OF TRIO LOS PANCHOS」 日本コロムビア YS-319
   
当然のことながら、一番聴きたい「その名はフジヤマ」は、最初のレコードと同じソースで、コーラス入りでした。
予想はしていたけど、3人だけでのフジヤマが聴きたいと思っていたので、これだけはちょっとガッカリでした。

この曲をトリオだけの歌で聴いてみるには・・・
1997年の来日時の群馬県太田市民会館での映像があります。
但し、このトリオの黄金期(第三期)のメンバーは、トップ・ヴォーカルのジョニー・アルビノだけしか残っていません。
「TRIO LOS PANCHOS LINE IN JAPAN 97」 日本クラウン CRVY-30050

定位置で動かぬカメラ・アングル、モノラル録音、
それでも満足なのです。

こうなれば、カバー・アルバムもと、
最初はアントニオ古賀で、
詩は安井かずみ(みナみかズみは初期のペンネーム)、レキント・ギター演奏は、東京ロマンチカの鶴岡雅義が担当しています。
アントニオ古賀は1番を日本語で、2番を原語で歌い、バック・コーラスを中島安則とラテン・リズム・キングが務めています。
「その名はフジヤマ」 日本コロムビア SA-597
作詞 みナみかズみ 作曲 C・ナバロ 編曲 アントニオ古賀 コロムビア レコード SA-597
  
1961年4月発売ですから、トリオ・ロス・パンチョスの最初のLPより1ヶ月早い発売となっていました。

次は牧秀夫とロス・フラミンゴスで、
全て原語で歌われていますが、ムード・コーラス・グループらしく、そのような雰囲気を醸しだしています。
「ナイト・スポット / その名はフジヤマ」 日本コロムビア LSS-144-N
  
1964年4月発売

「その名はフジヤマ」、「富士山」と共に、何時までも愛すべき名曲です。

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2015年初詣

2015-01-02 | 日記
今年も初詣は「北口本宮 富士浅間神社」へ

例年、昼前後に行くと駐車場は一杯で、近くには止められないし、
お参りするにも長蛇の列で数時間以上かかるので、今年は早朝に出かけてみました。

いつも参道は人、人でごった返しているのに、今回はご覧の通り、誰も並んでいません。
 

大鳥居を潜り、脇を通って、本堂に出ました。
    

お賽銭を投げて「ムニャ・ムニャ」とお願し、破魔矢を買って1年が始まりました。
  

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2015年の富士山 (1月)

2015-01-02 | 富士山
2015年最初の富士山は、夜明け前、赤富士が美しかったのですが、
余りに寒かったので、躊躇していたら、あっという間に曇空に変ってしまいました。

そこで、何時もの場所から今年初めてのシャッターを切りました。
午前8時、気温-8℃です。

 


それから2時間ほどで雲が切れたので、もう一度撮り直しました。
 

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