『ねえ、自分の引き起こした結果の全てに責任を取れる人間なんて
どこにいるだろう』
橘 圭一郎 『西洋骨董洋菓子店』 よしながふみ著ー
師匠「本当に、そうだよね。
責任について、追求しだしたら、取り留めがなくなってしまう
ような世界だよね、今はさ。」
私 「責任追及から、関係者が並んで、頭を下げる光景が、よく報道
されるようになりましたよね。」
師匠「自分のことだけで、責任について考えることは、とても大事な
ことだと思う。
ただ、同じだけ、同等の責任を、相手に追求するのは難しい。
責任だ、なんだと、思い始めたら、もう終わったことであっても
いつまでも、相手を責めていたりして、自分の身動き自体が、
とれなくなって、歯止めも、聞かなくなってしまう。
それはそれで、こわいことだよ。妬みや嫉みの感情はマイナス
エネルギーだから、そのエネルギーに自らが、力をあたえて、
餌をあたえて、汚染を広げることになる。その結果、自分や、
他者を傷つけることが起きるかもしれない。
マイナスエネルギーには所有者誰某、発信者何某、増幅者何某、
なんて、名前が書いてあるわけじゃないから、責任は追求され
ないけれど、破壊力が大きい。」
私 「師匠、まじめな話なんですから、冗談にしないでください。」
師匠「そこでだ。もう済んだ過去のことなんだから、そんなこととは
存在すらしない幻だから、闘わなければいいのに、つい闘って
しまい、相手を許せればいいのだが、この許すということを
できずに、ひとは苦しむことがある。なんであの時、あのひとは
私の言ったとおりに動いてくれなかったのか。私はちゃんと私の
すべきことをして、私の責任は果たしているのに。とね。」
私 「許しですか。許す行為をする。」
師匠「そういって、はい、私はあなたを許します。言えたら、思って
アタマを切り替えられたら、話は早い。
だけど、許すことができない時。どうしたら、いいのか。
最近思うんだよ。この世界で、自分には、自分の役目がある。
相手にも、相手の役目がある。そして、自分と相手が出会った
とき、自分も相手も、互いにとっての役割を果たしたんだ、
ってね。
そして、役割を果たしたら、もうそれは、済んだのだから、
自分の役目に集中しようよ、ってことかな。
ひとそれぞれ、認知可能なことばの癖がある。この場合は
ことばにするなら、手放す。放下と、表現される場合もある。」
私 「それが、今回のお題になっているんですね。」
師匠「そう。
私の役目に沿って、他者は私の役目に必要な役割を
果たしてくれている。この逆もありだな。自分が役割のときも、
あり。
そうやって、この世界は、私と私以外のもので、いろんな事象が
創造されて、できていくわけだ。」
そうして、自分の役目を果たしていくことに集中していけば、
師匠がいう、マイナスエネルギーの汚染から、自分や自分の周囲を
守れることにつながります。
今の世界は、過去の知識や、過去の体験だけで理解や判断、認識
しようとしても、実際は難しい状況になっています。
今までとは違うものが、現れようとしているのです。
理屈ではなく、理屈を捨てる。
こういうと、また、理屈へ繋がってしまいそうですが、
私は、私の役目を果たす あなたは、あなたの役割をする
こういうふうに捉えてみては、いかがですか。
こころが少し、軽くなりませんか。
少しでも軽くなったら、軽くなった新しい自分が動き始めています。
新しい視点、新しい世界が広がっていきます。