師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

神のおもい

2009年02月23日 | 天意の実践

今日は日嗣皇子である皇太子殿下のお誕生日です。

今年も、幣立神宮と天岩戸神社に参拝してきました。

平日にも関わらず、どちらもたくさんの参拝者が来ていました。

前日の夜に降った雨のおかげで、まだ少し曇っていましたが、

幣立では空気がとても澄んでいて、気持ちよくお参りをしました。

お参りをして、南を向くと、ゆっくり、空の薄い雲の中に、丸い日輪

だけが輝いて見えました。

そんな風に、幣立神宮では、一瞬だけ、顔をのぞかせたお日さまが

天岩戸神社の奥の天の安河原で、お参りをすませて、師匠が日拝を

はじめると、雲は晴れ、すっかりよい天気に。

そして、行きには感じなかった檜の香りを、本殿の入り口から

帰りの車の中までも、しばらく漂っていました。

師匠の周りで香る招霊の木の葉先に、ぽつぽつと芽がついてました。

来月あたりは開花していることでしょう。

神さまからこの日のお参りを言われて、毎年行っていますが、

この道中の間、師匠に語りかけられている神様から、

何かを感じている師匠を見ていても、そこからは何もうかがえません。

ことばではないものを、毎年いただいていると言った方が、

わかりやすいかもしれませんね。

以前にも書きましたが、神さまの意図することは、私たち人間には

はかりしれません。

神さまには、神さまの理(ことわり)があって、人間の理(ことわり)とは

違いすぎるので、わかりようがありません。

それが私たちの違いです。

神さまのフィルターは、とても深く細かい、思慮に満ちています。

神さまのフィルターの目はとても細かく、人間のフィルターは荒い

ので、神の思慮は私たちを通過して行きます。

それは、気が利く人間と、気が利かない人間の感性を思い浮か

べれは、なんとなく、イメージができるかもしれません。

神さまからかけられることばは、とてもシンプルです。

人間はついその奥に在るかもしれない思いを探ろうとしますが、

そこには何もないのです。

不思議なくらい、透明な思い。けれども、的確で、それ以外は

存在しえない神の絶対な思いは今も、地にふりそそがれています。

      

追記 

加筆、修正しました。

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