Windows8には、手を加えれば使いやすくなる部分がだいぶあるようです。
「見る」だけの人には、使い勝手のことなどは無関係ですから、何でもずらっと平らに並べておいて好きなように見てくれというデフォルト状態でやってきます。
デフォルトを未設定と呼んだのでは、製作半ばのようで具合が悪いでしょう。しかし、デフォルトには適訳がないようです。
使う人が何もせずに手に入れたときの状態のままで満足に使えるような製品を極上とする考えには合わない言葉のようです。
使う人がとりあえずは何もしなくても使えるように、多数の人が望みそうな設定にしてある状態がデフォルトですから、未設定とは呼べません。設定途上もおかしいでしょう。
かと言って、暫定ではやはり中途半端です。
「失敗しない」というのはどうでしょう。債務不履行や欠席裁判などとは逆の意味になってしまいますが。
Windows8のデフォルトは、「見る」人向きで、「する」人向きではありません。
「見る」人には、とにかく何も考えずに見てもらいたい、というより「見せて」おきたいという設計思想が底流にある感じもします。
これから販路を広げていく地域は、アフリカあたりに狙いがあるのでしょう。
白肌青眼の文化を都合よく浸透させていくには、「見せる」ことが肝心です。身体能力の優れた人たちには「する」歓びを拡げてしまうと、言うことをきかなくなるおそれがあります。
座らせておかなければならないTVだけでなく、スマートという名を冠して歩きながら「見させる」ことで、ご都合文化の浸透は見事に加速します。
受容することを厭わない心の大きな人たちは、不運も不遇も、人の集まったところでは、みなで笑い飛ばしてしまうと聞きました。
それが一人ひとり小さな板切れのようなものを見つめて、歩きながら笑いこける姿を想像すると、何か不気味に思うのは私だけでしょうか。