今朝の日経新聞は、企業よりも家計や農家にお金がばらまかれたという来年度予算案に対する経済団体幹部の不満を例に上げ、「ばらまきで安心得られず」と断じています。
企業の視点に立てば、不満の残る予算案でしょう。
経済のグローバル化への配慮が足らないというのは、その通りです。
民主党政権の一部に「反グローバリズム」的な考え方を持つ人たちがいるのは残念なことです。
しかし、現実に重い教育負担を背負った家計への予算配分が必ずしも「ばらまき」だと私には思えません。
橋や道路のように形として残る出費には、ある種の安心感がありますし、将来への投資という感じを抱きがちです。
しかし、実態は関連業界が"現在"潤うだけで、将来の世代には大した便益がもたらされず、建設資金の返済負担、施設の維持修繕費用の負担だけが受け継がれるケースも少なくありません。
一方、人への投資は、農地に水をまくようなもので、形が残りませんし、資金が有効に使われるようにするための技術的な課題は残ります。
その意味で、先日ご意見をいただいた奨学金制度の充実も、有効な選択肢でしょう。
優秀な学生を海外留学させるという制度も大切ですが、親の経済的な問題で学業を断念する若者を一人でも救うという裾野の広い施策が、より緊急性が高いように思います。
ただし、巨額の予算配分を行なうからには、例えば、高校中退率の低下に数値目標を設定して、施策の効果をモニタリングするなどの工夫も必要でしょう。
いずれにしても、この予算配分によって一人でも多くの若者たちが教育を受ける機会を得て、将来バリバリと活躍してもらいたいと私は期待します。
若者たちは、私たちの後継者。
彼らには、今後さらにグローバル化が進展する世界を逞しく勝ち抜いてもらわなければなりません。
そんな彼らのために使われるならば、私も税金の"納め甲斐"があるというものです。