バカ犬

ちょっとバカ犬になって、本音を言ってみたいと思いませんか?

文字 vs 動画

2021-09-26 | Weblog

抽象を理解するということは、人間が自分の頭を使うということだと思う。

オーストラリアの学者によると、女の子の方が男の子よりも 、より深く理解する力を持っているとデータで証明している。
記事を要約すると、次のようになる。

要約
タイトル:男の子は読書が苦手(OECD調査)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/06/oecd6.php
2021年6月マーガレット・クリスティン・マーガ氏(豪カーティン大学)
フィクションはノンフィクションよりも、言語能力や読解力などの識字能力に結び付くことが多い。
男の子にマンガを読むよう勧めることもあるかもしれない。子供はさまざまなタイプの文章に触れることで得るものがあるだろうが、マンガやメール、SNS 投稿、新聞、雑誌からは、フィクションと同程度の読書力を身に付けることはできない。
共感力やさまざまな視点から物事を見る能力など、社会的な力にもつながることが研究で示されている。
読解力では女の子のほうが男の子よりはるかに優秀――OECD(経済協力開発機構)は、オーストラリアの全国一斉テストNAPLAN でも見られる傾向だ。読書量が多いほど識字能力のさまざまな指標での成績も高くなることが示されている。



<本を読む少年:記事より借用>

その条件は、本を読むということだと結論付けている。 言葉の塊である文章を読んで、それを理解するためには想像力を働かし、脳をフル回転させて、やっと中身のあることを理解することができる。男の子に比べて、女の子の方が、読む本の数が多いようだ。

要約終わり

この記事を読んで、僕の頭に浮かんだことは次のようなことだった。

人間の持つ一番抽象的なものはなんだろう。おそらく音楽だろう。それを楽譜にすると、ちょっと具体的なものになる。それを演奏すると具体的な音になる。同じ楽譜を演奏しても各人各様に異なる具体的な音が音楽として、出来上がる。

僕には、音楽のその先は語れないから、語れる世界に逃げよう。文字の世界だ。

一番短い詩歌として知られる俳句は、5+7+5の音(字)という短い言葉の繋がりから一人一人が想像して、ある世界とか風景とか人とか場所とか、そういった具体的なものを頭の中で作り出し、理解することができる。俳句は単なる言葉の塊。それは、決して具体的なものではなく、その短い言葉、つまり抽象を演繹して、個人が個人的に想像する風景だと思う。

Ex.“古池や蛙飛びこむ水の音”松を芭蕉作) 



<ここまで具体的であれば、問題だろう>

その基本には、言葉の理解が存在している。 言葉を知らなくては、俳句を楽しむことができない。そういう意味では、字は本当に抽象的なものだと思う。

逆に、人間が作り上げた一番、具体的なもの(非抽象的なもの)として挙げられるものを並べてみると、絵とか、映画だとか、動画だとかが考えられる。 この場合、自分の頭は、それを認識するという受け身のもので、フルには自分の脳を使わない活動だと思う。抽象的な字、もしくは言葉の必要のない世界だと思う。 つまり、人間が脳を使う度合いは、低いのではないかと思う。

人間にとって文字、言葉の持つ意味は重要な基本的な能力で、決して他の動物はついてこられる世界ではない。つまり、全ての根っこには、文字があるということだ。

最近の SNS や Youtube、動画 は、絵から始まっている、非常に具体的なものだ。抽象ではなくて 、作者によって限定された具体的なものだ。頭はそれを見せられて、こういうものだと理解する。それでは頭の活躍度は、低くて抽象から遠いところにある。

言葉もしくは文字は、抽象であるが故に、各人が自由に自分の 独自のかたちあるものを想像することができる。各人各様、同じ言葉を介して非常に自由な世界の展開ができる。 さらに、その過程で浮かんできた別な言葉を介して、新しい言葉にたどり着く。そこから新しい世界を展開することができる。 言葉の展開力を用いていけば、人間の想像できる世界は無限大に広がることになる。

例えば、紙の本の挿絵を見て自分で脳に描き出す図柄は各人各様で、自由な創造の産物である。

一方、他人が作った動画を通して理解する図柄は、かなり限定されたものだと思う。つまり文字という抽象的なものを自己展開することなく、他人の定義した絵を見て認識するということは、自分の想像能力を摩滅させているのかもしれない。

最近の子供たちは、歴史を、ある個人によって描かれた漫画によって理解していると聞いて驚く。とても恐ろしいことではないかと思う。果たして本当に歴史を勉強したことになるのだろうか? 僕はそうは思わない。その時代を語るのに、ある一冊の漫画を読んで理解したと思ったら、それは間違いだと思う。その漫画作家の想像した世界に過ぎないからだ。 最近驚いたのは、Youtubeを、見て本を読んだつもりになっているコラムニストもいるという事実。



<漫画で歴史>

自分の脳を使って、自分で想像してみるという過程を経ないで理解されたものは、あまりにも限定的、断片的だと思う。自分の頭を使って、物事を組み立てて理解するという最も大切なプロセスをちゃんと踏んでもらいたいものだと僕は思う。



<紙の本>

精神科医のアンデシュ・ハンセンがさらに重要なことを言っている。「電子版よりも紙の方が学びの質が高いのです。内容が複雑になればなるほど、紙で読む方が学びの質が高まります。なぜかはわかりません。記憶と三次元で学ぶことが関係しているのかもしれません」と。(注1*)

大学生への生協経由アンケート(朝日新聞:2018-02-26)の結果では、半分の人は、年に一冊の本も読まないと聞く。これでは人間の脳の働き方を放棄していると考えてもおかしくない。 自分の脳を使って物事を理解しないで、他人の理解を目で見る形で受け止めて、そうなんだと思ってしまう。それは危険極まりないと思う。 (注2**)

最初に参照した記事の最後には、次のような警告があった!
“日本の20代~40代の読書率が、21世紀に入ってからの10年間で大きく下がっている。まるで日本では「知の剥奪」が進んでいるようだ”



<本を読む大人>”

皆さんは、こういう記事に対して、どう反応されるだろうか?
もしかすると、「へ~、そうなんだ」で終わってしまうかも…。それは、もう危険な領域。

P.S.
注1*
電子版よりも紙の方が学びの質が高い
https://diamond.jp/articles/-/275768?page=4

注2**
読書は脳のつながりを強化する
https://www.businessinsider.jp/post-225217


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