バカ犬

ちょっとバカ犬になって、本音を言ってみたいと思いませんか?

政府補助金ってなんだ!

2008-07-30 | Weblog
漁業団体のストライキに負けて、政府は燃料高騰の影響を緩和するために、漁業団体に700億円もの政府補助を決めた。

政府補助といっても、もとは全て国民の税金。

農業団体が、もうこれに続く。

じゃあ、運輸関連の団体は? 鉄鋼メーカー、およびその関連は? 電力会社は? 石油関連の企業や、関連のガソリンスタンドは?

第一に消費者は? ッてことになる。

際限のない、補助金の支給ができるのか? こんな動きは、国民の間での付回し以外の何物でもない。

800兆円に上る借金大国にそんな事がができるわけがない。

当座の即効性あるの援助はいくらか必要かもしれない。
しかし、本当は、根本原因に迫る対策が必要だ。

なんと言っても、今のグローバルな資金の過剰流動性をコントロールする事が先決だ。ヘッジを中心とする資本主義の行き過ぎを、グローバルなレベルで規制を実施することだ。

たとえば、オイル、食物、生活必需品を中心とする先物取引をコントロールして、実需に基づく取引に近づけていくことは可能だ。それは、国際的な協調がベースでは可能だ。

先物商品取引の、空買い、空売りの架空な取引を規制する方法はある。実需に基づかない、先物取引の期間を短くするとかとか、実際に買いが発生しない場合は、反則金を導入するとか、別途デポジットを取るとか、空売り・空買いを繰り返す業者をリストアップして、コントロール下におくとか、やり方は色々ある。もちろんそれにはグローバルな協調が基本だ。

こうゆう事こそ、G8のようなサミットで、実現のための討議をすべきだったのだが、日本のリーダーシップの不足から、温暖化問題の空約束をまとめたに過ぎない。

一方、国民も、今までどうりのやり方の農業で、今までどうりの漁業で、今までどうりの「~~」が成り立たないから、補助金を出せ!という、付回しを求めてはならない。

これでは、借金の前借(?)の繰り返しに過ぎない。つけを自分たちの子供や、孫たちに回していることを忘れてはならない。

漁業で言えば、零細穂個人経営の業態から、共同での操業で省エネを図るべきだろうし、漁業の方法自体にも新しい発想が必要だろう。

日本人にはまだまだ、知恵があると信じている。

世界のグローバル化に置いていかれる日本の鎖国状態

2008-07-18 | Weblog
前回、日本人の性格的な問題を浮き彫りにしたドラマについて書いた。

今週はさらに、8チャン系の「change」を見た。最終回だが、ストリー展開も何も無く、解散総選挙で「朝倉内閣」は終わり。ドラマもそこで終わってしまった。オバマの「change」を意識してつけられたタイトルだったが、ドラマの出来はもうひとつだった。だが、一番の驚きはその視聴率の高さだった。なんと22.3%だった。

やはり、どこかで書いたけれど、今の福田さんや与野党の政治を見ていると、恐ろしいけれどナチス・ドイツの出現に似た、「全く新しいものの出現を、危険だけれど期待してしまう」という社会の閉塞感があるのではないかと思う。国民は、今の政治にもう飽き飽きしているのだろう。「朝倉総理」のような、全くの未知数を期待している現われだろうと思う。

そんな中、この2~3日、僕の目を引いた二つのコラムがあった。これらは、今の日本の存在の根底を揺さぶる危険性の存在と、それに対する国民の無知度を示す現状に警鐘を鳴らしている。

そのひとつは、日本のGDPが今や世界では22位、アジアの中でもGDP第一位をシンガポールに開け渡した日本の問題点を鋭く突いた大前氏のコラムだ。日本は、経済的に鎖国状態だと断じている。

「アジアで最も豊かな国」から転落した日本」 大前 研一氏

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/140/index.html

さらには、年金問題の運用面での、非グローバル化の状況に対する警告だ。元本自体の減少をも危惧させる年金の運用の実態が、その原因と共に明らかになる。官僚任せで、これも日本の鎖国状況の指摘だ。

「なぜ年金はこれほどの危機を迎えたのか」
「財務省は「入るを量りて出ずるを制す」の原点に立ち返れ」 山崎 養世氏

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20080716/165540/?P=3

専門家の信頼できるコラムを、皆さんにちょっと時間をかけてでも読んでほしいと思う。

国民もメディアも、もう少し世界全体と日本を双眼で見ることをやっていかなくてはならない。まずは、動物としての、自己防衛本能を再認識しなくてはならないともいえる。


メッセージ性のあるテレビドラマ

2008-07-12 | Weblog
7月8日の夜、日テレ系のチャンネルで、「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった」というドラマを見た。

NHK,民放を含めて、久しぶりにメッセージ性のあるちゃんとしたドラマを見た気がする。
最近の地上波テレビのドラマは、漫画か劇画をモチーフにしたまったく見るに耐えない安っぽい質のものばかりでうんざりだ。結果として、ドラマは見ないようになった。

こんな中、このドラマは珍しくまじめに見ることの出来るドラマだった。言っては悪いが、いつもの4チャンのくだらない路線とも一線を画していた。

このドラマになにを見たかというと、そこには日本人が持つ「横並び精神」というか、「村八分の恐怖にいつも敏感な個人」とか言える思考パターンだ。恐ろしい感じがした。

筋を追うつもりはないが、
太平洋戦争で飢餓に苦しんで、結果として敵のオーストラリア軍の捕虜になった日本軍捕虜たちの行動の変化の経緯が見事に捉えられている。

捕虜生活を気楽に過ごしていた捕虜の中に、「生きて虜囚のはずかしめを受けず」という戦陣訓にどっぷり浸った日本軍の組織風土と縦系列の関係に価値を見出しているグループが加わってくる。その中には、位の高い将校連中がいる。彼らは、捕虜になってもさらに戦うのが軍人の誇りだといって、死に至る脱走を計画する。

それに対する、合意形成がなされる過程で、日本人に多く見られる、「人と一緒の行動しよう」、「仲間はずれにはならない」、「上の言うことには服従しよう」、「身内に迷惑をかけてはならない」という、心理的状況が自然に生まれてくる。

結果として、トイレットペーパーによる投票、それもみんなが見ている前での投票で、大多数が死を覚悟して、機関銃に撃たれるとわかっている脱走に一票を投じる。
本音と建前のせめぎ合いでは、当然建前しか選ばれない。そして、可能性の無い脱走劇を演じる。そして、ほとんどの人が死んでしまう。

こうした、見えない圧力を受けて、自分の行動を自由に行動しない、できないという状況は、今の世の中でも日常的に見られることだ。これこそ、日本人の特性かもしれない。農耕民族の悲しさかもしれない。

会社の会合でも、地域社会でも、こんな風に自分を押し殺して、多勢に付く人たちが大多数だ。個人の意見をしっかり主張する人は少ない。ああ、変わっていないんだなぁと思う。

ホテルウインザー洞爺

2008-07-04 | Weblog
サミットが行われるホテル、洞爺湖ウインザーホテル。

「環境問題」を話し合うというG8サミット会場。
温暖化問題、それにつられたオイルの高騰、そして食糧危機などを話し合うことになっている場所だ。

このホテルが、「環境問題」の話し合いの場所にふさわしいとはどうしても思えない。

あの姿から判るとおり、人間が乱暴に自然に切り込んで、周りの環境を破壊して、山の上にぶっ立てたコンクリートの醜悪な塊だ。自然との調和なんてまったく感じられないデザインだ。

バブル期に立てられ、結果としてバブルがはじけて、北海道、唯一の都銀、北海道拓殖銀行を破綻に追い込んだホテルだって事も忘れてはならない。人間の傲慢さを象徴している。

日本には他に、もっと自然に溶け込んだG8にふさわしい場所は、いくらでもある。

環境破壊の後は何十年たっても、歴然と残っている。そんな場所で、「環境問題」を語るとは、まったくの自己矛盾だ。

なんて、感性の無い連中が、この企画をしたんだろう。
こんな場所を、いくら警備上の利点があるとはいえ、矛盾を感じず選んだ首相もまったくの感性不足。

心ある、美意識に満ちた首脳の中には、醜悪な自然環境の破壊の証を、憮然としてみる人が出てくるに違いない。