バカ犬

ちょっとバカ犬になって、本音を言ってみたいと思いませんか?

公貧社会について

2008-09-14 | Weblog
昨日(9/13)の朝日新聞の「公貧社会(支え合いを求めて)」の特集には、うん、新聞にしか出来ない企画だなぁと久しぶりに感じ入った。

一つ目は、
「税金から逃れるサラリーマン」が急増している事実だ。税金を納めない方法を探し、それを実践して、税金を出来るだけ少なくしている現状の紹介があった。

給与所得者としての自分のほかに、個人での事業展開をやって個人事業の赤字を計上する。そして、給与所得と相殺して、結果として納める税金をなくする、もしくは、少なくする手法だ。

要するに、経費をを出来るだけ多く捕捉、または作り出し(たとえば、家族の旅行も視察出張にするとか、家族への小遣いをアルバイト代として、経費に計上するとかして)、赤字、もしくは利益の圧縮を極限までやるということのようだ。

例として挙げられていたケースでは、給与所得が1400万円、事業所得が、2400万円あっても、結果としては、60万円ぐらいの税金(所得税、住民税を合わせて)ぐらいまで圧縮したそうだ。

そのほかにも、会社から独立した法人となって、仕事はその会社からもらい、法人事業費用として、経費(たとえば、高級外車の購入なんかも)を最大に計上して、節税する例だとかが書いてあった。また個人事業主となって、経費を上積みして、給与所得と合算して、税金をチャラにするとか…。
いずれも合法。

結果として、公が取得できる税金は目減りしていくわけで、従来言われていた給与所得者は収入の補足率が他に比べて高くて、取られ損という感じに対して、サラリーマンたちが「反乱」を起こしているというわけだ。

これはなにをを意味するのだろうか?やはり根底には、国の、税金の使用に対しての、国民の国、公に対する、不信感が根底にあるようだ。公に金をとられても何もしてくれない。それならば、自分で…というわけだ。

もひとつは、
「税より重い、社会保障費負担」だ。中央大学大学院の森信教授の研究の結果だ。
税負担の増加より、社会保障費の増加のほうが国民感情的に反発が少ないことから、社会保障費用の増額がこの6~7年、進んでいるという。

結果として、大多数のサラリーマン、年収1000万以下のサラリーマンでは税金の負担よりも社会保障費の負担が、多くなっているという実態だ。
役所も、財務省と厚生労働省の二つの分離されている縦割り構造だから、全体で家計にどれだけ負担を強いているか国は補足していなかったという。

さらには、社会保障費負担は、年収1000万円を過ぎると、逆累進性が顕著に現れてくるというデータもある。

私自身の実感でも、社会保障費の増額は着実に、あまり議論されないまま進んでいるようだ。

根底には、国、公の国民に対する十分な視野、配慮の不在にあるといえる。

公に何処まで頼れるのか、それとも、個がもっともっと自衛的に自分の将来保全をやっていかなくてはならないのかという岐路に立っている日本の現状がこうしたことに現れている。
でもそんなことを考えて、実行していく時間的、金銭的余裕のある世帯がどれだけあるだろうかとも思う。日々の生活で、悪戦苦闘の連続だから。

自民党の総裁選がにぎやかだが、こうした事実をどう彼らが考えているか聞いてみたいものだ。
勿論民主党の小沢さんにも。

率直に言うと、こうゆう側面で自衛的に動くことをやってこなかった自分が馬鹿に見える。

これらのコラムの一読をお勧めしたい。

ビジョンを欠いた日本の漂流?

2008-09-02 | Weblog
福田さんが、昨夜突然辞任を発表したのには驚いた。

そして、とても悲しくなった。
ああ、今の日本には、本当に問題を解決する力がなくなってきているんだなぁと実感したからだ。
安倍さんの時もびっくりしたが、今回はもっと唐突だった。2代にわたって首相が国の運営を投げ出すって…。

前回、8月24日に、「日本の政治は夏休み、そしてメディアも」のタイトルで、

>北京のオリンピック開催、お盆休み、しいて言えば高校野球とかが重なって、日本の政治は約一ヶ月以上休暇。何も動きがない。(中略)
>世界的経済の停滞状況、燃料高騰、資源の高騰、異常気象などの外的要因のほかに、日本国内では、格差の拡大、社会福祉制度の崩壊など、大きな問題が山積している。(中略)
>さあ、目をさまして現状をみよう!

と書いた。少なくとも、新しい内閣を作って、新しい方針を明らかにしたのだから、今は実行の時期と思って、「目を覚まそう」といったわけだが、総理大臣が自分の職を投げ出してしまうとは情けない。

そこには、日本全体に、問題解決の能力が不足していることが如実に現れていると読み取れる。

自民党の政治家だろうが、民主党の政治家でろうが、政治家(むしろ、政治屋といいたい)には、国を治めていく力がないようだ。何しろビジョンがない。新しい日本を定義する力がないのだ。さらには、国民のいろんな力を、そのビジョンの実現に向けて収斂させていくというリーダーシップが完全に欠けている。

そうかといって、官僚にそうした力があるとも思えない。彼らは,官僚による、官僚の為の行政という名の権利を好きなように使っている。国の将来を考えるような気配は見えない。

では、民間はとなると、期待は出来るのだが、うまくのそのエネルギーを取りまとめていくプロデューサーの役割を果たせる力とか、グループ力とかが有るとは思えない。

やはり、ここは政治の力が重要だ。

場当たり的な政治をやって、中長期的なビジョンのない国は、ただ漂うばかりになる。
いわんや、国内をうまく治められない国が、国際的なイニシアティブを取れるとは、とても思えない。
国際関係の中でこそ成り立っている日本の国の存在を認識すれば、世界に向かってのビジョンの透明性は重要だ。

山積した問題の解決のための、方法論を個々に説いても始まらない。そんなことで時間を消費しているうちに、日本は、どんどん凋落の方向に漂っていくのではないかと危惧する。

今やるべきことは、各政党でも、グループでも、個人でも、メディアでも、誰でも、自分の考える中長期的な日本のビジョンを作ることだ。勿論、それは、山積する問題の解決の方向性を示すものである必要がある。

それを明らかにして、解散・総選挙を早急にやって欲しい。
そうして、国民の意思を再確認して再出発するのが必要だと思う。

自民党からは、次は人気度から麻生さんだとの声が上がる。
そんなレベルで、動いたら、「二度あることは三度ある」ことになると思う。

本当に、ここは頑張り時だと思う。