八ッ場ダムの問題が、民主党政権の前に立ちはだかっている。
ここまで来たのだから、いまさら中止はないとする地元の意見が障害となっている。
一方、8800億円の予算で、本当に本体工事を含めて完了できるのかと聞かれると、国土交通省も自信はないようだ。完成後のメインテナンスの費用も馬鹿にならない。
本当の問題は、先ずこの事業が本当に必要なのかという原点にある。
そして次に重要なのは、この事業の経済的観点からの検討だ。
従来から、事業を推し進めるために行った経済予測、評価は、必ず破綻している。
前に書いた「行政の経営責任」(2005・10・30)でも主張したように、こうした事業の完成後、見込みとのギャップを誰が責任を取るかという観点がいつも欠けている。
完成後、この事業を評価する仕組みを作っておいてほしい。そして、大きな赤字が出ているなら、この事業を進めた、国土交通省、群馬県、長野原町の決定に携わった人たちはその経営責任を負わなくてはならない。民間と同じように、結果に対して責任をコミットする必要がある。これには、国土交通省の官僚、関連首長たち、そして地方議会多数派の推進指導者が含まれる。
赤字の責任を取って、職を辞するだけではなく、その損害責任から逃れられないということを肝に銘じて欲しい。
即ち、自分の資財をなげうってでも、その責任をとる覚悟があるのかという点だ。そこまでの自信がないなら、再検討を自主的に行うべきだ。
もう一つ、重要な視点がこの議論に欠けているように思う。
利水の目的があるとすると、間違いなく東京都やここから水を買おうとしているところは、とてつもなく高い水を買うことになるということを認識していない。
しかもそれは、将来ずっと払い続けることになるのだ。
現実に、私が住む都市の水道料金は以上に高い。前の横浜に比べると50%以上、高い水を買わされている。原因を調べてみると、その昔々、建設省の口車に乗って、建設省の作ったダムの水を買うと約束したことにあるようだ。水の高い値段は、永久に続く。
感情論で、議論も、報道もしないで欲しい。
行政の経営責任という観点で、議論して欲しい。
それは、単にこのダム計画だけではなく、国土交通省が進めようとしている、ダム計画の全てにいえることだ。
国民は、しっかりこの行方を注視していかなくてはならない、こうした事業の管理組合が国土交通省のOBの天下り先になっているという事実も含めて。
ここまで来たのだから、いまさら中止はないとする地元の意見が障害となっている。
一方、8800億円の予算で、本当に本体工事を含めて完了できるのかと聞かれると、国土交通省も自信はないようだ。完成後のメインテナンスの費用も馬鹿にならない。
本当の問題は、先ずこの事業が本当に必要なのかという原点にある。
そして次に重要なのは、この事業の経済的観点からの検討だ。
従来から、事業を推し進めるために行った経済予測、評価は、必ず破綻している。
前に書いた「行政の経営責任」(2005・10・30)でも主張したように、こうした事業の完成後、見込みとのギャップを誰が責任を取るかという観点がいつも欠けている。
完成後、この事業を評価する仕組みを作っておいてほしい。そして、大きな赤字が出ているなら、この事業を進めた、国土交通省、群馬県、長野原町の決定に携わった人たちはその経営責任を負わなくてはならない。民間と同じように、結果に対して責任をコミットする必要がある。これには、国土交通省の官僚、関連首長たち、そして地方議会多数派の推進指導者が含まれる。
赤字の責任を取って、職を辞するだけではなく、その損害責任から逃れられないということを肝に銘じて欲しい。
即ち、自分の資財をなげうってでも、その責任をとる覚悟があるのかという点だ。そこまでの自信がないなら、再検討を自主的に行うべきだ。
もう一つ、重要な視点がこの議論に欠けているように思う。
利水の目的があるとすると、間違いなく東京都やここから水を買おうとしているところは、とてつもなく高い水を買うことになるということを認識していない。
しかもそれは、将来ずっと払い続けることになるのだ。
現実に、私が住む都市の水道料金は以上に高い。前の横浜に比べると50%以上、高い水を買わされている。原因を調べてみると、その昔々、建設省の口車に乗って、建設省の作ったダムの水を買うと約束したことにあるようだ。水の高い値段は、永久に続く。
感情論で、議論も、報道もしないで欲しい。
行政の経営責任という観点で、議論して欲しい。
それは、単にこのダム計画だけではなく、国土交通省が進めようとしている、ダム計画の全てにいえることだ。
国民は、しっかりこの行方を注視していかなくてはならない、こうした事業の管理組合が国土交通省のOBの天下り先になっているという事実も含めて。