バカ犬

ちょっとバカ犬になって、本音を言ってみたいと思いませんか?

今回の広島の土石流から思うこと

2014-08-25 | Weblog

被害者にはお気の毒だと思いますが、なんだか変な感じがしました。

山登りの経験のある者は、沢登りが一番危険で、厄介だということを知っています。周りの岩盤の状態で、滑落するかもしれないし、水にぬれて滑落するかもしれません。ラック(落石)の危険だって高いのが沢歩きです。尾根道を快適に歩くより、要注意で、難易度も上がります。

広島には「山抜け」という言葉があるようですが、土砂崩れが、昔から多かったからだと思います。昔の人は、その危険性を察知していたのかもしれません。地形、土の質などを知っていて。

理科で、川の裾野に広がる扇状地を習ったことがあると思います。川が上流から土砂を運びこんできてできた、一見、平な土地です。しかし、そこには土砂が流れてきた、これからもくるということが明らかです。

写真を見ると、住宅地はかなり上流まで広がってもいたようです。かなりの急傾斜面に住宅が建っていたことが分かります。

僕も、戸建を二件、マンションを二件選びましたが、過去の地図を見て、沢の扇状地とか、谷を埋め立てたような場所は調べて、除外しました。海の近くの埋め立て地も地盤が軟らかいから、選択から外しました。

このカラムで前回も書いたように、考える大人の幼稚化が進んでいるようで、不思議な気がします。

被害者となった、住んでいる人の言葉が気になります。立派な大人の言葉です。

・家が建っている場所は安全だと思っていた
・今回の場所は土砂災害防止法の警戒区域指定に指定されていなかった
・宅地分譲の業者は教えてくれなかった
・何十年も平穏に暮らしてきた
・我が家は土砂崩れには関係ないと思っていた
・元のところに戻りたい
・いつ帰れるのかはっきりしてほしい:誰が決められるのでしょうか?
等々

住む場所の選択は、本人の意思決定です。他の誰をも責められるものではありません。責めても、何も変わりません。

大人がこんなことを言っているのだから、子供たちは、自分で考えることなく、親のせい、学校のせい、社会のせい、先生のせい、大学のせい、会社のせい、などと、当事者意識が消えてしまっているのではないでしょうか?

日本の敗戦の日 8月15日

2014-08-15 | Weblog

 僕の家も、3月の東京大空襲で家が焼かれ、一家6人の厳しい戦後が始まった日でもある。

 食べ物は無く、家具もなく、10畳に6人がごろ寝するという生活が続いた。親父はすでに歳で兵役は免れていたが、疎開先に仕事は無かった。

 戦争で失った最大のもの、それは教育の機会。

 高校卒業とともに、上の姉は、仕事に就き独立していった。お袋は、比較的裕福だった土佐の実家に、僕の直ぐ上の姉を連れて、別居して帰っていった。

 結果として、僕の家はバラバラ。親父と祖母と僕の三人が残った。赤貧の時間が過ぎていった。

 失ったものは教育の機会。

 中学までは親父が面倒を見てくれたが、高校からは自分でやれと突き放された。周りの援助もあって、高校からの日本育英会の奨学金と、大学の授業料免除制度で何とか大学を卒業した。僕の戦後が終ったのは、就職が出来た年と言える。

 安倍さんを中心とする、「戦後レジームからの脱却」を旗印に、戦争を反省しない日本は今どこに行こうとしているのだろうか。

 1945年、昭和20年以前の生まれが、総人口、1億2千万人の2割以下になったと最近学んだ。戦後は消えつつある。逆に言えば、戦前に戻りつつあると思えて仕方がない。

 それは、日本の平均的な大人度の低下にも見られる。みんなが、右や左を見て、まあいいやと日々を送っている。自分自身の頭で考えて、判断するということを放棄しているように見える。

 中国を意識して、軍備を拡張しても、大国、中国に張りあえるわけがないのに、「積極的平和主義」とかいう、定義の無いおまじないの言葉に乗って、戦前に立ち返ろうとする亡霊が現れているのに、皆は気がつかない。

 日本が大切にするべきは、人の外交力であって、戦力ではない。

 昨日の「ウォールストリートジャーナル紙」が、アジアの「ノーマル」を描いてみせた。

読んでみてもらいたい。

参照記事:

【オピニオン】アジアの「ニューノーマル」は中国主導 WSJ 8月13日2014年
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303959804580089053515259576?mod=djem_Japandaily_t

P.S.
この抜粋が、
毎日新聞⇒オピニオン⇒毎日ジャーナリズム⇒リスニング に採用されました。

無関心の生む恐怖

2014-08-08 | Weblog

安倍さんが就任以来、やっていることは、まさに、日本の戦前化に他ならない。


今日の朝日の朝刊に次のような寄稿を見つけた。


(寄稿)「戦前」という時代 作家・中島京子

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11289702.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11289702


国民の持つ無関心さが、国の将来を決定ちしているという、戦前の実証だ。

今日、行われていること、行われていることは、いかに戦前にみんなが気が付かないうちに入り込んでしまった戦争への道と酷似していることか?

行政が憲法を自由に解釈していることに対する、無関心さ。

国民の当事者意識のなさ。想像力のなさ。迎合主義。

そんなものが、時間のかけて、戦前に日本の戻していくかもしれない。

無関心の空恐ろしさを感じた。

一読をお勧めする。子供たちにも読ませてほしい。