被害者にはお気の毒だと思いますが、なんだか変な感じがしました。
山登りの経験のある者は、沢登りが一番危険で、厄介だということを知っています。周りの岩盤の状態で、滑落するかもしれないし、水にぬれて滑落するかもしれません。ラック(落石)の危険だって高いのが沢歩きです。尾根道を快適に歩くより、要注意で、難易度も上がります。
広島には「山抜け」という言葉があるようですが、土砂崩れが、昔から多かったからだと思います。昔の人は、その危険性を察知していたのかもしれません。地形、土の質などを知っていて。
理科で、川の裾野に広がる扇状地を習ったことがあると思います。川が上流から土砂を運びこんできてできた、一見、平な土地です。しかし、そこには土砂が流れてきた、これからもくるということが明らかです。
写真を見ると、住宅地はかなり上流まで広がってもいたようです。かなりの急傾斜面に住宅が建っていたことが分かります。
僕も、戸建を二件、マンションを二件選びましたが、過去の地図を見て、沢の扇状地とか、谷を埋め立てたような場所は調べて、除外しました。海の近くの埋め立て地も地盤が軟らかいから、選択から外しました。
このカラムで前回も書いたように、考える大人の幼稚化が進んでいるようで、不思議な気がします。
被害者となった、住んでいる人の言葉が気になります。立派な大人の言葉です。
・家が建っている場所は安全だと思っていた
・今回の場所は土砂災害防止法の警戒区域指定に指定されていなかった
・宅地分譲の業者は教えてくれなかった
・何十年も平穏に暮らしてきた
・我が家は土砂崩れには関係ないと思っていた
・元のところに戻りたい
・いつ帰れるのかはっきりしてほしい:誰が決められるのでしょうか?
等々
住む場所の選択は、本人の意思決定です。他の誰をも責められるものではありません。責めても、何も変わりません。
大人がこんなことを言っているのだから、子供たちは、自分で考えることなく、親のせい、学校のせい、社会のせい、先生のせい、大学のせい、会社のせい、などと、当事者意識が消えてしまっているのではないでしょうか?