バカ犬

ちょっとバカ犬になって、本音を言ってみたいと思いませんか?

むなしい民主党の代表選挙戦

2011-08-25 | Weblog

前原氏の出馬表明で、メディアは湧いている民主党代表選だが、全く国民は湧かない。

前原、野田、海江田、馬淵、鹿野、小沢、誰一人として、日本の将来像を語る者はいない。

政治の目的は、自分自身の考えをベースに、日本をどう造りなおしていくのかを国民に訴え、それに賛成する人間がその人を選ぶはずだ。

しかし、そんなことはみんな忘れて、民主党内部の力学で票集めを行っているのすぎない。

こんな与党しか持てない国民は不幸だ!

政治家の資格はない。

中でも、一番の悪者は、小沢一郎と、鳩山由紀夫だ。
二人とも、抱き合い心中した過去をどう総括したのかを聞きたい。

本当は、議員辞職をすべき二人である。
にもかかわらず、相変わらずの古い体質で、長老かのような発言をして、党内をかきまわす。

許せない!

さら他にも悪い奴らがいる。
小沢一郎を取り巻く150人もの、馬鹿集団だ。
信ずるところがあれば語ればいい。
彼らの語ったのを聞いたことがない。
しかし、小沢の周りで群れているだけだ。
語る信条も夢も主義もない輩だ。

その最たるものが、
樽床であり、
輿石だ。

こんな奴らに、日本の将来は託せない。

菅さんも菅さんだ。
どうせ、止めるなら、こころの中をみんな語ってほしい。

ストレステストはどうした?
北海道では、泊原発がストレステストもなく、従来のインチキ保安院の保障のもとで動き出す。
菅さんは、自分の言葉に責任を持って、身を挺して再開をストップさせるべきだ。
国民はそう願っている。

菅さんは、小沢は、鳩山は、どう評価しているのか明らかにすべきだ。

アメリカに続いて、日本の国債の格付けが下がった。
将来の見えない日本に、世界がやきもきしている。
1000兆円の借金をどう処理できるのか、世界中のみんなが????でみている。

このギャップを、メディアは鋭く突く責務があるだろう。
しかし、民主党の議員と同じレベルで、クリティークもできない。

なんだか、かなしい日本の将来が見える代表選挙だ。

物の本質:失敗の本質:核リサイクルの本質

2011-08-10 | Weblog
最近、珍しく中身の濃いコラムを読んだので、その報告を兼ねて書いてみたい。

先日、NHKの予算に委員会の議論を偶然テレビで見ていた。
ストレス・テストを菅さんが唐突に持ち出した直後だったと思う。
質問する野党は、その必然性を迫る。
ちょうど、恥ずかしくも佐賀県の古川知事と、玄海村の山本町長が、政府=経済産業省の保安院の意見を入れ、お上の言うことを信じて、九州電力玄海発電所の運転再開を支持した直後でもあった。

菅さんへの質問の途中で、自民党の誰かが、原子力安全委員会の斑目委員長に質問を飛ばした。
「ストレス・テストは、運転再開の前提になるのか?」と問われた斑目(=でたらめ)委員長は、菅さんの目の前で、「前提とはなりません」と言い切った。
驚いた。全く自分の責任、立場についての配慮のかけらすらない発言だった。

その後、菅さんは、この身内の反乱で、わけのわからない答弁を繰り返した。
本来であれば、斑目氏は、原子力安全委員会としてもストレス・テストに対する見解をその場で述べるべきだったであろう。しかし、それをしないばかりか、運転再開の条件ではないと言い切った。

菅さんは、即刻、斑目さんを首にすべきだったと思う。しかししなかった。

前にも述べたが、政府の「原子力安全委員会」こそ、国民の視点に立って、原子力の安全を確保するチェック機関のはずだ。しかし、「原子力村」の中枢で、のうのうと政・産・官・学の癒着の中で、自分を泳がしてきた張本人だ。そんな役割は眼中にない。
逆に、いわゆる、原子力安全神話の伝道者であったわけだ。もちろん、それに対する自戒の念は見られない。

最近、読んで気骨のある論調を張る学者がいることを知って、少しうれしくなった。

「引用」

大東亜戦争の敗戦を日本の“第一の敗戦”とするなら、失われた20年を経て、3.11とともに勃発した東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故(Severe Accident)による惨事は、日本の“第二の敗戦”をほぼ決定づけた。その失敗の本質を問わなければ、復興は不幸の繰り返しになるだろう。

という書き出しで始まる、東京農工大学大学院産業技術専攻教授 松下博宣氏の論文だ。

「第22講:原発過酷事故、その「失敗の本質」を問う」

ITpro 5/18

中身の紹介は省くが、下記の引用はその本質を喝破する素晴らしい論文だと思う。

「引用」
「想定外」という言葉がよく使われるが、地震、津波による福島第一原発の被害は、2010年12月に公表された原子力安全機構の「平成21年度 地震に係る確率論的安全評価手法の改良=BWRの事故シーケンスの試解析=」という文書の「津波時のイベントツリー」(同文書の3-11ページにこのことが記載されている)の中で起こりうる事故・被害イベントが正確に予測されている。流説とは裏腹で、まったく想定内だったのである。

戦前の日本軍の敗退の背景にある失敗の本質と、今回の福島原子力発電所の事故発生の社会的温床が同一であるという理論には、全面的に賛成だ。

政・産・学・官・報共同体が、閉鎖的な人間関係を作り上げてきているというのは、まさに的を得ていると思う。

結果としては、
「隠蔽と失敗から学ばない体質」を生み、
山本七平ではないが
「空気の支配と神話的思考」にいたると説く。

最後に、
戦艦大和の哨戒長臼淵磐(うすぶち いわお)が、沖縄に向かう時にしたためた文章で進歩しない物は滅びる、敗れてそれに目覚めると結ぶ

「引用」
「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ。負ケテ目覚メル事ガ最上ノ道ダ。日本ハ進歩トイウ事ヲ軽ンジ過ギタ。私的ナ潔癖ヤ徳義ニ拘ッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテキタ。敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ。今目覚メズシテ救ワレルカ」(『戦艦大和ノ最期』より)

本文の中の、下記の指摘も含めて、素晴らしいコラムである。

「引用」
同志社大学の山口栄一教授は、日経ビジネスオンラインの記事の中で今回の原発事故の本質として「現代技術は、常に科学パラダイムに基づいていて、その科学パラダイムが提示する『物理限界』を超えることはできないという命題への本質的な理解の欠如だった」と指摘している。

ご一読をお勧めする。

さらに、最近はメディアが意識的に取り上げることを避けている事実も、併せて思い起こしてもらいたい。

それは、なぜ、政府がすでに破たんした、青森県六ケ所村の再処理工場の建設に2兆円もの金を投げ込んでいるのかという疑問と、だれ一人、その完成に確信の持てない、福井県のもんじゅのリサイクル・システムの構築(全く進んでいない)に1兆円なんて金を投入し続けているかということの本質だ。

折しも、広島・長崎の原発記念日に呼応するのだが、政府の誰かは、または政治を動かしている本当の黒幕は、アメリカと結託して、日本に核爆弾の保持の可能性を維持させ続けたいと思っているのではないかと思う。

それは、中国・ロシアに対しても、又は北朝鮮に対しても、日本はプルトニュームを蓄積しているから、1~2年で原子爆弾などは容易に作ることできるというポジションを日本に維持したいというのが本音ではないかと思う。

すなわち、日本は潜在的ではなく、実質的には核保有国だという地位を獲得したい勢力が存在するのだ。
国民も物の本質を問う姿勢を忘れないでほしい。