バカ犬

ちょっとバカ犬になって、本音を言ってみたいと思いませんか?

どうなっているのか、今の日本!

2012-02-23 | Weblog
以下は最近、強く感じていること。

日本はいたるところにほころびが見えるように感じる。
従来、国というものを動かしてきた3大権力とか、5大権力とかすべて崩壊して、国の方向を示すことができない。

政治・政界

与党も野党も、国の方向性を議論することを放棄している。
かといって、直面する問題の解決を全力で実行しているようにも見えない。
各政党の政治行動の目標というものが、全くはっきりしない。
政党というのは、同じ目的を持って行動する議員グループであるはずだが、そうではない。党内がバラバラ。

民主党では、小沢氏(この人が元凶だと思うが)が執行部のグループに離党を勧めているという。離党して別の政治集団になるべきは、他ならぬ小沢氏一派そのものだ。
考えの違いを鮮明にするため、別の小沢新党でも作ればいい。
政権を揺さぶるためだけに存在している利益集団にしか見えない。
民主党は国民の期待を担ってはいない。担うことはできていない。
理由は将来ビジョンが欠落しているからだ。
自民党、公明党、みんなの党なども、独自のビジョンを持たない。

この先、20~30年、もしくは50年くらいのタイムスパンで、物事を考えていく視点が存在していない。方向性を決められないから、国を挙げての動きにならない。

基本的な課題として、戦後の復興期から、高度成長期、バブル期、バブル崩壊以降の不況の時代を経て現在、どんな日本の将来像を政党は描いているのか、全く分からない。従来型の輸出立国では、日本はじり貧なのは見えているのに。
日本の国内外の環境は激変しているが、政治はその変化についていけない。
自分で考えようともしない。

世論調査などによると、国民の半数が、支持政党を持たない現実が見える。もう既存の政党政治は、国民から支持されていないということだ。
単なるポピュリズムの政治になってしまって、国民の欲求を政治が後ろから追っかけているにすぎない。

そんなところから、橋下氏の率いる「大阪維新の会」などの、新しい切り口で、新しい勢力が生まれてこようとしているのだと思う。国政のレベルへこの波が及んでくれば、国民の大多数は、こうしたグループに希望を託して躍進する可能性がある。

ただここには、恐ろしさも同時に存在している。第二次世界大戦の前のヨーロッパにその系譜を見る気がする。ヒットラー率いる一党独裁の政治だ。
とくに、農耕民族の「横並び」を強く意識する日本人は、その画一性から、誰かに従いたい、強いリーダーシップに引っ張られたい、それが楽だと考える人たちが多い。危険な臭いだ。

経済界はどうか?

豊かになりすぎてしまった日本で、どうビジネスをやるかを考えあぐねているようだ。世界に誇れる日本固有の技術は枯渇している。あったとしても、あっという間に海外に持って行かれ、先行者利益を得ることができない。結果、価格競争に引き込まれ、韓国、中国に太刀打ちできないでいる。仕方がないから、海外進出という名前の「放浪の旅」に出て行く。戦略があるとは見えない。
結果、日本国内に残る産業は少なくなっていっている。日本の強みであった製造業においても、若い人たちの働く場がどんどん減っている。

こうした構造自体は、労働人口を確保できないという目先の話ばかりではなく、長期的な少子化という悪循環を生み出している。
生活の基本が確かではないまま、恋愛し、結婚し、子供をたくさん儲けられるわけがない。将来は、一億二千万の人口が、六千万人台まで減ると読めている。しかし、政治も財界も何もできていはいない。何一つできていない。祝詞だらけ。

エネルギーの問題もある。
危険極まりないものと、やっと皆に分かった原子力発電の、その先が見えなくなっている。
もともと、4大プレートに押し上げられた海山・山脈の尾根か頂上にある狭い日本列島のどこに地震から逃れられる安全な場所が存在するというのか?
100以上の活火山と、2000もの活断層が存在する日本には、原発という、制御不能な危険なものを置ける安全な場所など、どこにもないのだ。
しかし、原発に代わる代替案は本気で考えられてはいない。
個人的には、太陽光、風力はもちろん、小規模・分散型の地熱発電と、水力発電が日本列島の地形的には有効だとは思っているのだが…。


官僚

むかしは、官僚は権力の一つではあったけれど、今は、身内だけの世界に留まっている。過去には、政治をも引っ張って、国の方向を決めるってことだってあった官僚たちだが、今は、小さくまとまって保身の世界から飛び出そうとはしない。しかも高給取りばかり。天下りを含めて、日本で一番恵まれた労働環境に安穏としているようだ。


メディア=新聞、テレビなど

これらは、他の権力構造を監視する役割があったはずだが、今や自分の頭で考え、自分の論理で、政治を、経済界を、民衆を議論することはなくなっている。
この世界こそ、民衆への迎合、政治への迎合、財界への迎合で、その日暮し。

3紙を横断的に読める「あらたにす」は、その特徴を明確に教えてくれた。
この「あらたにす」は、朝日、読売、日経の3紙の社説、トップ記事から、社会面まで、横に並べて読ましてくれる画期的なサイトだ。http://allatanys.jp/
読み比べてみると、3紙の間になんの差もない。ここでも強い横並びを実感できる。
新聞自身の立ち位置が、横並びになってしまったら、当然、その主張はみんな同じになってしまう。何らの、差も見当たらない。

厳しく見ると、単に政府・与党が、官庁が、産業界が流した情報を、そのまま鵜呑みにして、紙に刷っている、もしくはネットで発信している。
社会現象についてのものの見方も、その姿勢は同じ。各社の独自の付加価値、視点がないのだ。これらに、毎日、東京、産経を加えてみても同じことだ。
新聞案内人、早稲田大学大学院教授、川本裕子さんの「新聞への期待」を読んでいただきたい。

テレビはもっとひどい。
NHKは、国民から強制的に視聴料を取っておきながら、中立な、客観的なニュースなどは流していない。常に政府の代弁者であり、官僚の代弁者であり、財界の代弁者でしかない。しかも民放の何倍もの金をかけて、くだらない番組をせっせと作り出している。たとえば、「大河ドラマ」とか「のど自慢大会」とか「紅白歌合戦」とか、何十年も同じ企画で電波を独占している。
しかし、見る方の選択の自由は全くない。金は取る、しかし、作る番組では、新しい自己の視点が打ち出せない。マンネリだ。視聴者の自由も奪ったままの、御用番組曲でしかない。こんなものが、他の権力に対抗する、監視することなんてできっこない。
たとえば、ロイターでもBBCでも、CNNでも一度、見比べてみるといい。
NHK、ここにも巨大な世界から取り残されたガラパゴス現象がある。それを国民は馬鹿のように、口をあんぐり開けてみて笑い転げている。平和なものだ!

もう一つ忘れてはならない、強大な権力がある。
それは、アメリカ合衆国。
日本の安全保障を人質に、日本政府に毎年、彼らの要求を突き付けてくる。日本政府は全く抵抗できない。
毎年秋には、彼らの「命令書」=年次改革要望書が日本政府に伝えられる。(注)
例を挙げるなら、地方都市の駅前商店街をシャッター通りにしてしまった大規模小売店舗立地法、小泉さんのやった郵政改革も彼らの意図だ。保険の自由化も、彼らの要求が通って、アメリカの会社が損害保険業界、医療保険業界では大成功だ。

要は、アメリカの企業が、日本という市場に乗り込みやすいように法律を作らせたわけだ。

今回の沖縄海兵隊の削減、グアムへの移転、フィリピンなどへのローテーション構想も、全くのアメリカの意図通りに進む。日本が反対しようが、賛成しようが、彼らのポジションには何の影響もない。対中国がその根底にあるからだ。
今後も、アメリカは日本に対して、自由に自分の意図を押し付けてくる。それに対応できる外交力は、日本外務省にはない。


こう見てくると、誰も日本国民の権利・利益・将来を考えてはいないということが明らかになる。
国民一人一人が、お上にお任せではなく、自分で考えて、自分の意見を表明することが必要だと思う。

内橋克人氏が、昨年の12月、「NHKの100年インタビュー」でこう語っている。
日本人の本質をついていると思う。

いわく、

日本人は、過去に学ばない。
太平洋戦争で、大きく変わったと思われた日本の価値観は、明治以来の「お上に任せる」と言う、全面的なポピュリズムの嵌っている。
不連続と思われた、太平洋戦争までの価値観と、その後の現在に至る価値観は非連続ではなかった。その延長線上にある。


自分で深く考える、自分で決定するという原点を獲得することが、日本の今後を生きる道だ。それのみが、今の日本のたゆたいを解決する道なのだと思う。
たとえば、原発廃止の国民投票を国に要求する運動にサインするのはどうだろう…。
おそらく、将来のエネルギー政策の策定に、一定の効果はあるだろう。
たとえば、首相公選制の要求書に署名するのもいいだろう。
自分で行動しない限り、この国は没落していく。

皆さんはどうお考えだろう。


注:鳩山内閣の時に廃止されたが、実質は、アメリカ大使館が日本政府に要望を出している