BAMBOO-JET  ~うみの部屋~

タケノコジェットでどこへでも!
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仲間の旅立ち

2007-09-11 23:52:07 | のほほん日記
私は以前2000年からNY留学する直前の2005年の春まで、
2000年に始まった「21世紀祭りプロジェクト」というのにかかわってました。
21世紀に新しい祭りを作ろうというのがコンセプトで、
ココから生まれたのが「つがる~あどのまつり」です。
このときのプロジェクトメンバーの一人が先日亡くなりました。
若干36歳と言う若さでした。
がんです。
正直言って、はじめ聞いたときまさかと思いました。
早すぎる、若すぎる死だからです。
私達のメンバーでそんな状況に置かれた方が現れるなんて想像もつかなかった。

今日お通夜に行ってきました。
祭壇に掲げられたSさんの変わらぬ写真の中の顔を見て、不思議に思いました。
未だに実感がわかないのです。
私とそんなに歳の差もない奥さんが気丈に振舞いながら、話した挨拶が心にしみました。
主人は自分のことよりもいつも私や息子のことばっかりで、本当に優しい人でした。私は彼との結婚生活はたったの9年間でしたが、ほんとうに幸せでした、と。
切なくてとてもやるせないのに、彼は本当に妻や子供を、彼なりに一生懸命大事にしてたんだなぁと言うのが伝わり暖かくなりました。
お通夜の間ずっと彼の生前の姿を思い浮かべてました。
私とSさんは最初祭りを企画していたプロジェクト時代に、
メンバーをA,B,Cに分けてたときの同じBチームメンバーでした。
祭りの最初の企画の会議でBチームに分かれたとき、
沖縄で見た三線のことが忘れられず、津軽三味線と一緒に融合できないか、、、熱く語りながら提案したのが、Sさんでした。
そして三味線を中心にした「つがる~あどの祭り」が生まれたのです。
私達は沖縄好きなSさんの提案とみなの希望もあって、その年の冬には沖縄に研修にまで行きました。
初めてみる美しい沖縄の海やその異国情緒あふれる雰囲気。
Sさんがあのとき三線のことを持ち出してくれたからこそ、
私が沖縄へ行けたのかもしれません。
私は祭り初期のまだ妊娠中であった奥さんとSさんの幸せそうな笑顔を思い出した。
好きなことには一生懸命に、家族を大切にしてたSさんでした。
小学校へ来年上る息子さんの成長がどんなに楽しみだったのか。
一時期同じ目標向かって一緒に突き進んだ仲間との別れ。
まさかこんな形に急になるとは思わず、未だに信じられない気持ちでいっぱいです。
人生は短く、命は本当に儚いと改めて思いました。
だからこそ、Sさんのように毎日精一杯生きなくてはならないんだと思う。
Sさんに天国での安らかな眠りを、ご冥福をお祈りしています。
私は沖縄の雰囲気を、三線の音を聞くたびにいつも彼を思い出すでしょう。