私が吉良上野介の名前を初めて知ったのは、たぶん「さ・え・ら書房」の昔話を集めた子ども向けの本だった。「忠臣蔵」の物語を知る以前のことである。「赤馬の殿様」というようなタイトルのおはなしだった。
吉良の殿様は頻繁に赤馬(農耕馬?)に乗って領地を回り、きめ細かい心配りや気さくに領民に話しかけたりした人気のある君主だったようで、領民に大変慕われていた。
ところがある日、吉良の殿様が斬り殺された、というニュースを聞いて、領民達は嘆き悲しんだ。その後、殿様を殺した家臣達が切腹を命じられたものの「忠臣」と称えられ、吉良の殿様がすっかりワルモノ扱いされていることを耳にするのである。
尊敬する殿様をなくした上、ワルモノにされてしまった領民達は、耳を疑い憤慨するが、自慢の殿様の人格や恩義を忘れないよう、赤駒の人形を作り殿様を記憶した。また、自分たちだけは吉良の殿様の真実の姿を知るものたちとして、その人柄を伝えて行った、というようなおはなしだったと記憶している。
いまだに愛知県の吉良市では吉良上野介の悪口は御法度みたいな感じである。
私は「忠臣蔵」を知る以前にこれを刷り込まれてしまったため、いまだに忠臣蔵に馴染めない。「忠臣蔵」の美意識については、どうしても保留かかかってしまう。大石内蔵助たちを中心とする平面の物語としては、もう見られないのだ。そこに名君・吉良上野介が、がめつい悪役として登場してしまうので、一挙に複雑な模様を呈する三次元の物語に化学反応してしまうのだ。
物事や事件や、まして人間は、常に多面的で、ナナメからも後ろからも裏からも眺めてみて、それでも謎が残ったりするものかも。私が断罪したり断言したりするのが基本的に苦手なのは、この「吉良上野介」の評価がバッチリ分かれる記憶が尾を引いているからかもしれない。
何が真実なのか、年を取っても、そうやすやすとは解らないものだ。いや、年を取るほどに、かえってわからなくなってしまうことも多くなったりして。知識が増えれば増える程、正義や正解が消えて行ったりするのだ。
吉良の殿様は頻繁に赤馬(農耕馬?)に乗って領地を回り、きめ細かい心配りや気さくに領民に話しかけたりした人気のある君主だったようで、領民に大変慕われていた。
ところがある日、吉良の殿様が斬り殺された、というニュースを聞いて、領民達は嘆き悲しんだ。その後、殿様を殺した家臣達が切腹を命じられたものの「忠臣」と称えられ、吉良の殿様がすっかりワルモノ扱いされていることを耳にするのである。
尊敬する殿様をなくした上、ワルモノにされてしまった領民達は、耳を疑い憤慨するが、自慢の殿様の人格や恩義を忘れないよう、赤駒の人形を作り殿様を記憶した。また、自分たちだけは吉良の殿様の真実の姿を知るものたちとして、その人柄を伝えて行った、というようなおはなしだったと記憶している。
いまだに愛知県の吉良市では吉良上野介の悪口は御法度みたいな感じである。
私は「忠臣蔵」を知る以前にこれを刷り込まれてしまったため、いまだに忠臣蔵に馴染めない。「忠臣蔵」の美意識については、どうしても保留かかかってしまう。大石内蔵助たちを中心とする平面の物語としては、もう見られないのだ。そこに名君・吉良上野介が、がめつい悪役として登場してしまうので、一挙に複雑な模様を呈する三次元の物語に化学反応してしまうのだ。
物事や事件や、まして人間は、常に多面的で、ナナメからも後ろからも裏からも眺めてみて、それでも謎が残ったりするものかも。私が断罪したり断言したりするのが基本的に苦手なのは、この「吉良上野介」の評価がバッチリ分かれる記憶が尾を引いているからかもしれない。
何が真実なのか、年を取っても、そうやすやすとは解らないものだ。いや、年を取るほどに、かえってわからなくなってしまうことも多くなったりして。知識が増えれば増える程、正義や正解が消えて行ったりするのだ。