大学生の頃は、休講になると学校から歩いて10分程の距離にある植物園に行った。動物園は複数で行く方が、がぜん楽しいのだが、植物園はひとりで植物の名前を確認しつつぶらぶらと歩くのが、なんともいいのだ。ベンチで読書するのも気持がいい。
冬の植物園はシーズンオフなので、人の入りも少なめである。
冬には丸天井の巨大な温室に入り、熱帯の植物に出会うのが、暖かで一石二鳥である。熱帯の気分を高めるためか、鳥カゴに原色カラフルなオウムまでいた。水生植物のスイレンなんかも花を咲かせていたし、幸福の木、タマゴの木、お金の木などの不思議なネーミングの肉厚の葉の付いた木にも出会えた。
たぶん100円くらいの入場料だったが、何かというとすぐに植物園にいっていた私は、緑色の回数券を購入して利用していた。
せっかく京都にいるのだから、時間があれば神社仏閣にいけばよかったのに、とお思いの方もいらっしゃるだろう。だが季節によって咲く花も変わるし、風景も違う。それに草木や花は無言で心が通じる気がして、神ホトケとの対面するのとは別の意味で、大変慰められるのだ。
府立の植物園は広大な敷地だが、きれいに整えられ、よく管理されていた。たまに園内で働かれているおじいさまに出会う事もある。スムーズな動き、熟練のワザ、速やかに片付けられる仕事ぶりの様を見ているのも心地よかった。
市民の憩いの場でもあり、芝生の広場で遊ぶ親子連れを見るのも、心が和んだ。広場の近くには自販機があって、温かい飲み物やカップヌードルも入手できた。お天気のいい冬場はこの場所ではふはふとカップヌードルを食べたりしたが、植物園でのカップヌードルは信じられないほど美味しかった。
友達と一緒に冬の植物園に行き、冬枯れた薔薇の木の名札を見ながら花を想像したり、愉快な名前にツッコんだりして、それは楽しかったことを思い出した。
華奢でかわいらしかった彼女は、(今も同様に華奢で可愛らしいが)東京でIT関連会社を立ち上げて社長さんになっている。当時はそんな未来を知る由もなかったなあ。でもフリーのライターさんでもあるので、こちらは夢がかない、めでたしめでたしである。自社で電子書籍も出しておられる。(もっとも私はPCオンチなので、彼女の仕事内容に付いては、あまり理解できていない)
植物園には心和む思い出が数々あって、日々の雑用の合間に久しぶりにいろいろ思い出して、自分ながらほほえましかった。
braryさんのブログに触発されて、植物園の思い出などを書いてしまいました。
冬の植物園はシーズンオフなので、人の入りも少なめである。
冬には丸天井の巨大な温室に入り、熱帯の植物に出会うのが、暖かで一石二鳥である。熱帯の気分を高めるためか、鳥カゴに原色カラフルなオウムまでいた。水生植物のスイレンなんかも花を咲かせていたし、幸福の木、タマゴの木、お金の木などの不思議なネーミングの肉厚の葉の付いた木にも出会えた。
たぶん100円くらいの入場料だったが、何かというとすぐに植物園にいっていた私は、緑色の回数券を購入して利用していた。
せっかく京都にいるのだから、時間があれば神社仏閣にいけばよかったのに、とお思いの方もいらっしゃるだろう。だが季節によって咲く花も変わるし、風景も違う。それに草木や花は無言で心が通じる気がして、神ホトケとの対面するのとは別の意味で、大変慰められるのだ。
府立の植物園は広大な敷地だが、きれいに整えられ、よく管理されていた。たまに園内で働かれているおじいさまに出会う事もある。スムーズな動き、熟練のワザ、速やかに片付けられる仕事ぶりの様を見ているのも心地よかった。
市民の憩いの場でもあり、芝生の広場で遊ぶ親子連れを見るのも、心が和んだ。広場の近くには自販機があって、温かい飲み物やカップヌードルも入手できた。お天気のいい冬場はこの場所ではふはふとカップヌードルを食べたりしたが、植物園でのカップヌードルは信じられないほど美味しかった。
友達と一緒に冬の植物園に行き、冬枯れた薔薇の木の名札を見ながら花を想像したり、愉快な名前にツッコんだりして、それは楽しかったことを思い出した。
華奢でかわいらしかった彼女は、(今も同様に華奢で可愛らしいが)東京でIT関連会社を立ち上げて社長さんになっている。当時はそんな未来を知る由もなかったなあ。でもフリーのライターさんでもあるので、こちらは夢がかない、めでたしめでたしである。自社で電子書籍も出しておられる。(もっとも私はPCオンチなので、彼女の仕事内容に付いては、あまり理解できていない)
植物園には心和む思い出が数々あって、日々の雑用の合間に久しぶりにいろいろ思い出して、自分ながらほほえましかった。
braryさんのブログに触発されて、植物園の思い出などを書いてしまいました。